第37話 伝説のおっさん、追い詰められる
左腕を捨てる、決死の作戦。
しかし俺にとっては不発としか言い様がなかった。
腹に一発当てたものの、致命傷には程遠い。
一番の原因は、命中の直前にマナのガードで防がれたこと。
腕に集中させることが出来る以上、腹部に集中させることが出来るのも道理だ。
マナの量の差は、まだ歴然としている。
イジャールにどれだけ食い下がれるかは、俺の能力の発動次第だ。
(討伐隊が来るまでは、時間を稼がないとと思ったが……。厳しいな)
俺は率直に認める。
もし全快時であったなら、互角以上に戦える自信はあった。
しかし、残りのマナがもう少ない。
体力も限界だ――左腕がないんだからな。
俺は特化能力のおかげで、苦痛をほぼ感じない。
しかしそれは、体力の消耗を無視できるという意味ではない。
イジャールは接近戦を挑みながらも、まだ慎重だ。
右腕のマナが俺の腹部を狙う。
それを、欠けた左腕で防ぐ。
さらにイジャールは足払いを狙う。
俺はあえて、ダメージを受けない程度にマナで防ぐ。
衝撃は受け流さず、そのまま綺麗に転んでやる。
「器用な真似を」
おかげでイジャールの左腕は空振りをする。
転んだ俺をイジャールが踏もうとするが、遅い。
格闘術の練度はさほどでもないな。
俺は身体のバネを使って転げまわり、回避する。
そして体勢を立て直す。
人間同士なら、決して見逃すことのない隙。
「……どうした? 来ないのか」
「そうまでして、時間を稼ぎたいのか? 地面を転がって、無様な真似を晒してまで」
イジャールが俺の転んだ地面に、侮蔑の目線を落とす。
人間の命を何とも思ってないくせに、妙なところで気位が高い。
いや、だがこの奇妙な精神性こそが、特異個体なのだ。
「ああ、そうさ。もっとも俺は、無様とは思わねぇけどな。勝つためなら、なんでもやる。片腕だって捨てる」
「そうか……。俺には理解できん。お前に出来る最善の選択肢は、逃げることだったはず。醜態を見せて、生き残って何になる?」
なるほど、恐ろしいほどプライドが高い。
だからこそ、俺に負けたのが我慢ならないんだろう。
こいつの言葉を返せば、わざわざ俺に挑む理由なんかない。
それでもイジャールは挑んできた。傷ついたプライドを取り戻すのが、俺を殺すことなのだろう。
これほどの力を持ちながら、他を害する以外に生き方を知らない。
どこまでも自分本位の、悲しい存在だ。
「それがお前が、人間を理解していないからさ」
「己よりも、他の存在が重要だと……それが、お前と俺の違いか」
「ああ、そうだ」
「下らん差異だ」
イジャールが足元にマナを集中させる。
この技は、16年前に見た。
俺は全身にマナのガードを張り巡らす。
イジャールの脚から、放射線状に赤熱したマナが伝わっていく。
同時に乾いた大地が焼け、猛烈な火炎が巻き起こる。
数十メートル四方が一気に燃え始めた。
これがイジャールの代名詞、業火の能力だ。
「時間もあまりない。お前を確実に、焼き尽くす」
この技を使ってこなかったのは、イジャールも消耗が激しいからだろう。
しかし現状では、俺のほうが不利だ。
一瞬でも集中を切らせば、死ぬ。
うねる火炎の中を、イジャールが進む。
そこから、神速の攻防が始まった。
周囲に業火を呼び起こしても、イジャールの接近戦は全く衰えない。
完全に制御しきっている。
俺の中のマナがさらに失われる。
しかし、イジャールのマナも失われていくのがわかる。
額に浮かぶ汗も即座に蒸発する。
灼熱地獄の中で、俺とイジャールは拳と蹴りを応酬する。
俺の中のマナが強固に、鋭利になる。
イジャールとの差は、わずかずつだが詰まってきている。
(だけど……足りねぇ)
俺は本能で感じ取っていた。
イジャールの生来のマナは膨大だ。
俺は運良く、油断したイジャールに一撃を当てて勝利しただけ。
不意の一撃なしに、どう勝てばいいのかはわからない。
数十秒、決死の攻防が続く。
俺にとってはワンミスで終わり。
しかし、そこで俺は気付いた。
ここから離れたゲートに、ふたりの侵入者がいる。
恐らく援軍だ。
イジャールは俺に集中しきっている。
まだ、侵入者には気付いていない。
隙があれば、一撃をイジャールへと入れられる。
イジャールと俺が戦ったのは、16年前に一度きり。
俺の戦闘実績は秘匿されているから、それ以上の情報はほとんどない。
激戦の間に、俺は探知へと力を注ぐ。
普通ならこのレベルでの戦いで、探知までは無理だ。
イジャールの拳に気を抜けば、あっという間に腹に穴が空く。
もしくは首がもぎ取られる。
だが肉体とマナの損耗が、俺の基礎能力を底上げしている。
今の俺なら、イジャールの攻撃を防ぎながら状況を確認できる。
イジャールの前蹴り。
俺はあえて、最小のマナで受けて吹っ飛ぶ。
10メートル、かなりの距離を飛ばされた。
大地から噴出する炎が、肌を撫でる。
常人なら即死だが、俺には大した効果はない。
残りのマナ残量は1割を切りつつある。
しかし感覚は冴え渡り、体内のマナが俺の意識を超えて流動する。
まさしく、止まらぬ水の境地。
全身ボロボロだが、身体の熱は鎮まらない。
もはや、マナの集中していないイジャールの蹴りは自動で防げる。
ダメージもほぼ、ない。
だが、それゆえにわかる。
もし――俺の特化能力【因果応報】が限界を迎えれば、俺は死ぬ。生死の狭間にいることに、違いはない。
イジャールにあえて吹っ飛ばされ、若干の距離ができた。
このダンジョンに来た人間がわかる。
荒川さんとレイナだ。
恐らくだが、レイナの斥力で飛行して接近している。
もう少しだ。
あと少し、こいつの気を引かなくちゃな。
「ははっ……」
だから――俺はあえて、笑みを作った。
こうすればイジャールが興味を持つと、確信していた。
「面白いな、本当に……。ははっ……」
「何が笑える? 死に際でおかしくなったのか」
「こんなに追い詰められ、死闘を繰り広げたのは久し振りだからな。イジャール、お前は楽しくないのか?」
これは俺の嘘だ。楽しいはずがあるか。
俺が死ねば、一般市民も殺される。
それは疑いようもない。そんな状況で楽しめるわけがない。
だが、こう言えばイジャールが会話をすると、わかる。
俺の中の普段は回っていない歯車が――俺を生かすために今、回っている。
「戦うと楽しい、か。理解できなくはない」
「ほう……魔獣にも共通するか」
「ああ、人間を殺すと楽しい」
淡々と、感情を込めず。イジャールが言い放つ。
「同族は殺すだけでは、楽しくない。やはり喰ってこそだ。人間の肉はマズい。カミヤ、なぜだ?」
「……さぁな、体内のマナのせいか?」
「お前たちの言う、マナ持ちを喰っても美味くはない。不思議だ。まぁ、答えは期待していない。お前たちは、同族を喰わないのだから」
イジャールがマナをかつてないほど、右手に凝縮させる。
まだこれだけのマナを持っていたのか。
「お前のマナ残量は、もう残り10%もない。8%ほどか。最後は、お前に近寄らず殺す」
それは確信に満ちていた。イジャールはここまで、計算し尽くしていたのだ。
決着の際、俺に近付き過ぎれば危険性が増す。
「さて、お前はこれで死ぬか?」
イジャールの右手から、真紅のレーザーが放たれる。
さきほど、指先から出していたレーザーと同質――しかし破壊力が違う。速度は同じでも、溜めた分の火力が上乗せされている。
「ぐっ……!!」
俺は右腕をかざすことで、真紅の閃光を受け止める。
俺の中のマナが失われ、霧散していくのがはっきりわかる。
だが、同時に俺の中のマナがより硬度と輝きを増す。
苦痛という炎によって、俺のマナは鍛えられる。
真紅の光は途切れることなく、俺に向けられていた。
イジャールも全神経を集中させている。
俺の一挙手一投足、わずかな変化も見逃すまいとしている。
だが、それは大きな隙だ。
お前は人間を甘く見ている。
せいぜい、俺だけが警戒すべき相手だと思い込んでいる。
(思い上がりだ、イジャール)
16年前だって、そうだった。
お前は圧倒的な力で覚醒者を殺し続けた。
だが、その犠牲によって俺はイジャールの能力を把握できた。それが勝利に繋がった。
そして、今も俺は一人で戦ってはいない。
荒川さんとレイナが、イジャールを撃てる位置に入った。





