第36話 見届ける者
少し前、イベント会場。
イベント会場の外は大混乱になっていた。
観覧席の客は逃げ惑い、周辺住民もビルから避難している。
スタッフも将棋倒しの事故を起こさないよう、誘導するのが精いっぱいであった。
政府機関も行動しているが、人手の集中する都心と夕方。
素早い避難は期待できない。
その中で、荒川はドローンの映像から状況を確認していた。荒川の肩の出血も止まっている。応急処置のおかげだが、体力とマナは回復していない。
(回復役も、マナ切れ……。万事休すか)
回復役の覚醒者も、イジャールの到着前にマナを使い切ってしまっていたのだ。仮に達也が戻ってきても、回復させることはできない。
つまり、達也がここからどれだけ耐えられるか。
それが全てだった。
「んっ、うっ……!!」
荒川のそばにいるレイナが目を覚ます。
状態で言えば、荒川よりもレイナのほうがずっと良い。
何かできるとすれば、核はレイナだ。
「気が付いたか……」
「わ、私は……あの魔獣に攻撃されて……」
そこでレイナはドローンの映像に目をやる。そこでは達也とイジャールが向かい合っていた。
業火の双角イジャール。
レイナの家族を殺した、憎き魔獣。
あれがまた現れたのだ。
だが、レイナは唇を嚙むことで復讐心を抑え込んだ。
見たはずだ。
荒れ狂うマナの奔流と、信じられないほど圧縮された真紅のレーザー。
とてもレイナの手に負える相手ではない。
今、達也だけがイジャールと戦える可能性がある。
考えなくても、わかることだ。
しかし荒川とレイナもまだ、戦闘不能ではない。
何か出来ることがないか……。
なすべきをなす。それが覚醒者の責務なのだ。
混乱の中にありながらも、レイナは素早く情報を摂取していく。
「……状況は?」
「彼とイジャールが一騎打ちだ。他に魔獣はいない。外は避難中……だが、遅々として進まない。イジャールは仕留めそこなえば、数千人が死ぬだろう」
「他の覚醒者は?」
「マナがない。回復も無理だ。それに――あの指先からのレーザーで瞬時に殺される」
それにはレイナも同意するしかなかった。レーザーが当たると思った瞬間、身体がぶれたおかげで、かすり傷で済んだのだ。
あれは荒川の斥力だろう。レイナも食らったことがあるので、わかる。そして荒川の状態を見れば、彼がレイナを優先して助けたことは明らかだった。
「都心だから、援軍到着まで10分稼げばいい。だが……」
「……厳しいと」
レイナは話しながら、達也とイジャールのやり取りを見ていた。明らかに達也も時間稼ぎを狙っている。
しかし、今のイジャールに消耗したままの達也で勝てるのか?
わからない。達也の力の底については、レイナでさえ知らない。
マナの総量で見れば、達也に勝ち目はゼロだ。それほどの差を一瞬のうちで、レイナは感じ取っていた。
映像の中のイジャールが腕にマナを集中させる。
それに荒川とレイナは戦慄した。
「――ッ!!」
「まさか……そんなことが……」
マナの集中を魔獣が使うなど、ふたりも見たことがなかった。無意識に急所を守る程度が魔獣の限界のはず。
しかし、今のイジャールは完全にマナの集中を使っている。さきほどのレーザーの応用……? だが、重要なのはそこではなかった。
これで達也の勝算は限りなく低くなった、とふたりは直感した。魔獣に対して人間の持つアドバンテージは、数を除けば技術だけだ。
上級魔獣の体皮は、マナがなくても鋼のように硬い。生まれ持ったマナの量も、人間と魔獣では桁が違う。特化能力も、魔獣ほど強力なモノを人間は持てない。
だが、マナの集中を行える魔獣はいない。だから一対一でも勝てる。
しかしその前提が、崩れた。
イジャールを逃がせば、人間社会への脅威となり続けるだろう。
映像は続く。
イジャールの一撃に、達也は左腕を差し出した。
ちぎれる左腕。
しかし歴戦のふたりは目をそらさなかった。
この一瞬一瞬が死に物狂いで稼いでいる時間なのだと、ふたりは理解していた。
達也が渾身の右ストレートを放つ。
それはイジャールの胴体に突き刺さる。
「入りました……!」
効いてくれ、とレイナは祈った。
イジャールはそのまま、荒れ地へと吹き飛ぶ。確実に命中はした。
しかしイジャールはすぐに立ち上がる。
腹には大きな穴が空いていたが、イジャールの余裕は崩れていない。
ドローン越しにイジャールの声が聞こえてくる。
「なるほど、あえて隙を作ってカウンターを狙ってきたのか」
「……どうだろうな」
「いきなり左腕を捨てるとは、思わなかった。しかしお前の能力を警戒していなかったと思うか?」
イジャールの腕が腹部を撫でる。すると、その瞬間にイジャールの胴体の穴が塞がっていた。上級魔獣の持つ高速再生。肉体的なダメージはすぐに回復してしまう。
「効いていない……!?」
「やつは身体の前面をマナでガードしていた……。神谷さんの攻撃方法を考えれば、合理的だ……」
一瞬の攻防を、荒川は見逃さなかった。
イジャールは達也の左腕を狙い、達也はあえて左腕を捨てて反撃した。そうすることで、特化能力をさらに引き上げようとしたのだろう。
そのまま達也は間髪入れず、右ストレートをイジャールへと放った。しかし、イジャールもまた達也の反撃を警戒していた。命中の直前、マナの集中を身体の前面に展開していたのだ。
達也の一撃は胴体をぶち抜いたが、致命傷にはほど遠い。イジャールのマナにはまだまだ余裕がある。むしろ肉を切らせて骨を断つ、という戦術がバレた分だけ、達也が不利になったかもしれない。
レイナの心に絶望が忍び込む。だが、まだ希望はあった。
「……でも効かないわけじゃ、ない」
「超圧縮されたマナなら、やはり効果はある……」
レイナは自分の右腕をじっと見つめる。その手の上には、黒い渦が生まれていた。
ブラックホール。
対人戦では使用厳禁な、レイナの能力の極致と呼べる攻撃だ。
しかしそれを見て、荒川は軽く首を振る。
「レイナさん、無駄だ。君の能力は知っている……。確かにそれを当てれば、ダメージはあるだろう。だが、君のブラックホールの速度では、イジャールは余裕で回避する。近寄れる可能性もない。戻っても、足手まといだ」
「わかっています……。でも、ひとつだけ」
レイナのブラックホールは、攻撃力はあるが速くない。あれほど高速で移動できるイジャールに当てることは不可能だ。
イジャールの放つレーザーは、ブラックホールよりも遥かに射程が長い。この点からも圧倒的にレイナは不利だ。
しかしブラックホールをより速く、より遠くから飛ばすことが出来れば……必ず効果はある。マナを消耗させることが出来る。
確信はない。しかし同系統の能力なら、可能かもしれない。
例えば、重力と対になる斥力なら……ひとりでは不可能だったとしても。
可能性があるのなら、賭けるしかない。
達也があがくのと同じように、レイナもあがくのだ。
それが達也の弟子である、レイナの持つべき覚悟なのだから。
♢
Dウォッチ日本支社、取締役会会議室――。
そこでは無数の人間が、達也の戦いを見守っていた。
配信サイトであるDウォッチ上では、達也の戦闘がそのまま配信されていた。もちろん通常あれば、片腕が吹き飛ぶような配信を、Dウォッチは許さない。
現在でも無謀な人間はいる。
ドローンの脱出転送機能をオフにして、ダンジョンに挑む輩は後を絶たない。そうした自殺まがいの危険行為について、Dウォッチは一切認めない。
ひとりの取締役が震えながら、声を発する。
「神谷達也の配信は、そのままでよろしいので?」
「……そのままだ。ルール的には、マズいかもしれんがな」
しかしDウォッチ上層部は原則を破り、達也の配信をそのままにしていた。
なぜなら、この戦いが数千、数万の命を左右するからだった。
達也が敗北すれば、イジャールは外に向かうかもしれない。魔獣が人間を襲うのは、本能だ。イジャールから避難する可能性を上げるため、配信はそのままにしておくのが、ベストであった。
Dウォッチ日本支社は、達也の戦っているイベント会場の近辺にある。
ビルの隙間で見えないが、市民の阿鼻叫喚の向こうに達也とイジャールに繋がるダンジョンへのゲートがある。
もしイジャールが地上に出れば、この日本支社ビルも灰燼に帰すかもしれない。会社として避難命令は出したものの、残る人間もいた。
「君たちは、逃げなくていいのかね」
「……間に合いませんよ、あれがイジャールならね」
会議室に集まった人間は知っている。
凄惨にして残虐なるイジャールを。
イジャールはその火炎によって、九州で20万人を殺したとされる。
日本に現れた魔獣の中でも、その悪質さは歴史に刻まれていた。
逃げようと思って、逃げられる相手でも距離でもなかった。
「逃げたいと思いますが、こちらには来ないかもしれません。Dウォッチはインフラです。最期の時まで、万全なままでないと」
「……ありがとう」
この達也の配信を見ている人間は、誰もが同じ気持ちだろう。
このビルに残った全員はもう覚悟している。
そして理解していた。祈ることしかできない。希望があると信じて。
♢
イジャールは達也を興味深く観察していた。
(残りのマナは、全快時の2割以下……)
腹に一撃を受けたのは予想外ではあったが、手応えもあった。
やはりこの段階の攻撃では、イジャールにとって致命傷にはならない。
(消耗するほどカミヤは強くなるが……半面、手に負えないほどではない。まだこちらが圧倒的に有利だ)
片腕が吹き飛んで――息を荒げる達也を、イジャールはじっくり観察する。
内面のマナはより輝いているが、体力の損失は隠しようもない。
(16年前も、ここまでは追い込めた。ここからだ……)
あの時もマナの総量を2割以下にまでは、イジャールも達也を追い詰めたのだ。
しかし焼き尽くしたと思った達也の思わぬ反撃を受け、イジャールは敗北した。
(本当に死にかけた時、こいつはどうなる……? 無限に強くなるのか、それとも……どこかで止まるのか)
そしてイジャールは達也と戦いながらも、周囲の警戒を解いていなかった。人間の縄張りの中心、達也の援軍が来ないとも限らない。
イジャールの探知範囲は、現在200メートル。経験上、危険な遠距離能力の射程は100メートルが限界のはず。その2倍である。
拘束や弱体化の特化能力持ちが来たとしても、即座に排除できる距離だった。
ゆっくりとイジャールが達也への距離を詰める。
焼け焦げた肘を指差して。
「残りの右腕も捨てれば、お前はもっと強くなるのか?」
「ああ、そうだぜ……。めったにやらねぇけどな……」
発音の不安定さ、呼吸の荒さ……。魔獣の知覚力は人間を遥かに上回る。
ブラフではない。達也の限界は本当に近付きつつある。
「そうか」
イジャールが達也の懐に飛び込み、拳を振るう。
やはり狙うなら頭部か胸部。
マナを右腕に集中させ、即死を狙う。
達也もそれをわかっている。達也の左腕は無くなったが、肘から根元は残っている。そこにマナを集中させる。そうすれば、防御はできる。
イジャールの右腕に達也は右腕をぶつけることで、強引に防ぐ。
ふたりのマナが、激しくぶつかり合う。
イジャールが蹴りを放つ。達也の左足に向かって。
達也はそれも防ぐ。
神速の攻防。
一撃ごとにマナが飛散していく。
じりじり、じりじりと。
お互いのマナが消費されていく。





