9 上司決定
リンは、魔法将軍の娘が就職することがこんなにも難しいなんて思いもしなかった。
ごく一般的な庶民の学校を卒業したが、成績もよく、リンよりも下の成績の人達が何人も国の機関に就職していた。なので家業だとか、特別な仕事を継がない自分でもすぐに仕事が見つかると思っていた。
しかし就職したくても国の機関はいつでも試験を受けられる訳ではない。
特別な技術のないリンはお役所などの中途採用や、家政婦紹介所、個別の飲食店を幾つも回ったが、リンがあの魔法将軍の娘と解るや否や、大切なお嬢さんに何かあっては申し訳がないと全て断られてしまったのだ。
そこで友人の勧めもありノルトに相談した。
ユリスのコネを使えば仕事は見つかるだろうが、ユリスのことだから自分の側に置きたがると思ったのでできなかった。魔力はあっても魔法が使えないリンでは魔法将軍の側で役に立つことはできない。
対して魔法将軍の有能な副官はリンの悩みも全て分かってくれており、過保護なユリスも納得できるだろう仕事をいくつか紹介してくれることになった。リンの能力を慮り、採用する相手にとっても負担にならない仕事らしい。
「俺に相談してくれて本当によかったよ。ユリス様を利用したい輩は多いからね。一歩間違えばリンは人質だ。目の届く範囲にいて欲しいから城の中ってのはしょうがないとしても、なるべく色眼鏡で見られない部署を選んだから」
家事が得意なリンにまず紹介されたのは王城内にある裁縫所だ。
城の中に勤める人たちの身だしなみを整える役目がある裁縫所だが、王族や登城した貴族の衣装に関わる仕事もしているので、特に身元のしっかりした信頼できる人しか採用されないらしい。かといって貴族出身者ばかりが採用されるわけではなく、割合としては平民の多い職場だ。
裁縫所を一通り見て回ったリンは、次に文書部という所に案内されようとしていた。
「文書部は城に届いた書類が一斉に集まる場所だから、記憶力の良いリンにはうってつけだと思う。各々に担当が与えられるけど、リンは平民扱いだから王族に文書を届けるようなことにはならないだろうから安心していいよ」
「魔法軍に届けることは?」
「あるかも知れないね。でも届けるとしても魔法将軍へ手渡すなんてことはないからユリス様には会わないよ」
「そうですか」
確かにそうだろう。リンは一緒に暮らしているから魔法将軍と顔を合わせているが、仕事となると話は別。リンのような庶民が軍のトップに直接何かを手渡すなんてあろうはずがない。
「調理部も考えたんだけど、リンは家に帰ると家事があるから、一日中飯を作ることになるんでどうかなぁと思ってね。そうなると裁縫所もやめた方がいいかな?」
「そんなことはありませんけど、裁縫所は夜勤があると言っていましたね。ユリス様が許してくれるでしょうか?」
「リンはどうしたいの?」
「紹介してもらうんだから贅沢は言いません」
「俺はね、リンが就職してこのまま近くの誰かと結婚して都にいてくれたらそれでいいんだけどね」
「ユリス様を引退させないために?」
「まぁね。魔法軍はユリス様で持ってるようなもんだから」
魔力はごく当たり前に誰もが少なからず持っているものだが、それを使えるかどうかは素質によって変わる。
元恋人のイドは魔法具士の仕事を親から引き継ぐが、それはイドが魔力を道具に込める力に長けていたからだ。なりたくても誰もがなれる仕事ではない。
さらに魔法を武器として使えるような人はごく一部で、魔法軍に属するような存在は本当に一握りなのだ。その中にあってユリスは恐れられる程の力を持っている。リンは見たことがないが、魔法軍の精鋭十人が集まってもユリスには敵わないらしい。ちなみにその精鋭の一人に副官のノルトも含まれている。
そんな話をしながら白い大理石の廊下を進んでいると、前方からやって来る人の姿を認めたノルトが「うわぁ……」と嫌そうに声を漏らした。
どうしたのかと伺うようにノルトを見上げると、「回れ右して逃げてもいい?」と笑顔で問われて首を傾げる。
「聞こえているぞ、ノルト=パシェシウス」
「相変わらずの地獄耳で」
徒歩なのにあっという間に間合いを詰めた男は見上げるほど背が高く、ユリスと同じような灰色の髪に渋い顔立ちの、日焼けをしたがたいの良い四十代中頃の男性だ。服装から高貴な人だと一目でわかり、リンは一歩後ろに下がって静かに頭を下げた。
「お前がユリス=ウイリットの養い子か?」
ふてぶてしく声をかけられたが、思わず聞き惚れそうになるような低音の良い声だった。リンは慌てて返事をすると「リン=ウイリットです」と名乗り、どうするべきが正解なのかをノルトに視線で問う。するとノルトは嫌そうな顔をしながら、目の前の御仁をリンに紹介した。
「こちらは財務大臣、エルマー=テゲトフ殿だよ」
と言うことは。
数か月前、ユリスが見合いをしたメティア嬢の伯父様だ。
うっすらと口角を上げたエルマーに見下ろされ、リンはぶるりと体を震わせた。
「リン=ウイリットか。噂以上に美しい娘だな」
思わぬ言葉にリンは瞳を瞬かせ、何かを察したらしいノルトがリンを守るように間に入ろうとした所、それを阻むようにエルマーが右腕をリンに差し出した。
「よろしくウイリット。今日から私が君の上司だ」
「却下!」
「絶対に許しません」とノルトが声を上げたが、エルマーは唖然とするリンの手を取り勝手に握手に持ち込んだ。