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8 巣立ちの準備



「え……就職?」


 唖然と呟いたユリスが手にしていたうさちゃんを取り落とす。その光景にリンとノルトは「え、ユリス様?」と同時に漏らした。


 ユリスがうさちゃんを取り落とすなんて初めてのことだ。リンはユリスの元に駆け付けうさちゃんを拾って差し出した。ユリスは「就職?」と呟きながらうさちゃんを受け取りぎゅうっと抱き締める。


「ノルト、これはいったいどういうことかな?」


 魔法将軍、週に一度の休みの日。リンがノルトに相談があると手紙を出すと、この日を指定され、ユリスが起きてくる前に訪ねて来た。

 親離れをする為にもまずは就職したいと相談していたら、灰色の髪を寝癖だらけにしたユリスが起きて来て、真っ青になり、今にも死にそうな顔をしている。


「どうもこうも、リンが世間を知るために就職を希望して俺に相談してきたんですよ」

「どうして僕じゃなくノルトに?」

「あなたに相談したら自分の補佐として魔法将軍付にするでしょ。それじゃあリンの世界が広がらない。かといって市井で探しても魔法将軍の養い子って肩書のせいで敬遠される」

「どうして? このままじゃ駄目なのかい?」


 表情を失くしたユリスが瞳孔の開き切った目をリンに向けると、「自宅に引きこもってたら新しい出会いもないでしょ?」とノルトが代わりに答えてくれた。


「出会い?」

「イドと別れたそうですよ」

「えっ、本当に!?」


 ユリスがうさちゃんを抱きしめる力をゆるめると、リンの手を引いて長椅子に座らせ、自分は床に膝をついて心配そうに視線を合わせる。


「どうして別れた、何があった?」

「特に何も」

「嫌なことをされたのかい?」


 もしそうなら報復する――という雰囲気を感じたので、リンは慌てて首を横に振った。


「イドのことは好きでした。でも恋愛感情とは違ったので。不誠実だと思ってきちんと別れてきました」

「でも――イドはずっとリンのことを好きだったよね。素直に了承したとは思えないが」

「ちゃんと納得してくれました」


 正直言うと泣いて縋られただけでなく、友人を巻き込んで物凄い抵抗にあった。絶対に別れない、この前は悪かったと謝罪と泣き落としが繰り返された。一月かかって「あきらめるつもりはないから」と告げられたが、それでも最後にはしぶしぶ応じてくれたのだ。


「本当に納得した? 彼はリンに夢中だったじゃないか。二人はそのうち結婚するだろうと思って心構えをしていたのに……リンは後悔してない? そして彼は本当に、本当に納得したのかい?」


 嘘は見逃さないとばかりに強い眼差しがリンを注意深く観察している。怯みそうになるリンに助け舟を出したのはやはりノルトだ。


「ユリス様、ちゃんと話をきいてます? リンはイドを恋愛的な意味で好きではなかったから別れたって言ってるんですよ」


 ノルトは上司であるユリスを半分足で蹴りながらリンから引き離し、対面の長椅子に追いやった。


「心配なのは分かりますが、リンが正直な気持ちを告白したのに、結婚するだろうと思っていたなんて責めるような言い方は良くないですよ~。リンは軍にいる野郎供じゃなくて、可愛い大事な養い子なんでしょ。怖い顔はしない。愛されるだけじゃ幸せにはなれないんですよ~」

「しかし……あんなにリンに夢中だったイドが納得したなんて信じられないよ。正直、僕はリンがいなくなるのは寂しいよ。だけどそうなるものだと思ってどうにかこうにか覚悟をしたってのに……」


 ユリスは瞳を揺らし、額には薄っすらと汗をにじませている。こんなユリスの様は初めてで、リンは驚き目を見開いて様子を窺っていた。


「それはリンの嫁入りが遅れて嬉しいって意味ですかね?」

「いや、まぁ……うん。嬉しい……じゃなくて。これじゃ駄目だ。ああ、うさちゃんどうしよう。朝から気持ちがぐちゃぐちゃだ」


 うさちゃんをぎゅっと抱きしめて、顔を埋めて。ふらふらと立ち上がったユリスはリンの膝に向かって倒れ込んでしまい、リンは顔を赤くした。


「え、ユリス様どうしたんですか? ぼろぼろじゃないですか。リンが困ってますよ。さぁ離れて、とりあえずそこに座りましょうか。ついでに言えばもう昼です」

「うん、分かったよノルト。そんなに引っ張るな」


 うさちゃんに顔を埋めたまま、ユリスはリンの隣に腰をおろして大きく長く息を吐き出すと、一拍置いた後、少しだけうさちゃんから顔を浮かせる。


「それでリン。イドと別れて、新しい出会いを求めて就職したいからノルトに相談した……でいいのかい?」

「はい、そうです。わたしもいい歳ですし、世間に出て見聞を深めようと。結婚相手を探すってよりも、一人立ちしなきゃなと思って」


 リンの答えを聞いた途端、ユリスは「ひっ」と声を漏らすと、うさちゃん片手にリンに詰め寄り二の腕を掴んだ。


「どうして、どうして一人立ちする必要が!? リンは嫁入りまでこの家でゆっくりと普通に暮らしていればいいじゃないか!」

「はいは~い、ユリス様まずは落ち着きましょうね!」

「落ち着くのはノルト、お前だ。リンが家出をしようとしているんだぞ。大問題じゃないか!」

「俺は落ち着いてますよ~リンは家出なんてしませんよ。まったくあなたはリンのことになるとたまにぶっ壊れるから面倒くさいなぁ」


 面倒くさいと言いながらも、ノルトは笑いながらユリスをリンから再び引き剥がす。今回は容赦なく蹴りを入れていた。


 混乱していつもと様子の異なるユリスだが、心から心配してくれている。自分とは違う愛情でも、間違いなく自分だけに向けてくれる特別なものだ。リンの心にじんわりと喜びが溢れ、同時に切ない気持ちが胸を締め付ける。


 ユリスも見合いをする前に言っていたではないか、将来をかんがえないと――、と。リンもユリスと自分のために未来へ踏み出さなければいけないと感じて今回のことを決意した。


「いつまでも子供でいられたら良かったな」


 思わず囁くように本音が漏れる。それを逃さず拾ったユリスが「リンは僕の大事な大事なとても大事な娘だよ」と、今にも泣きそうに顔を歪めたので、リンは目尻に涙を滲ませ「ありがとうございます」と返事をした。





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