5 独白の地
ベルクヴァインという国がなくなって十一年。ヴァイアーシュトラス領となったこの森を、ユリスは年に一度、ラウラが命を落としたその日に訪れている。
七年この地に眠り続けたラウラの遺体は白骨化していた。生まれた赤子の骨がないのは野犬に荒らされたことにしてすませた。ラウラは今、ヴァイアーシュトラス王家の墓で一人安らかに眠っているが、子を生み血を流したこの場所にラウラの魂が馴染み続けているとユリスは思っていた。
この地に墓標はない。
あの日、ラウラに託された命を汚れたマントに包んだユリスは、爪がはげるのも構わずに石と素手で深く土を掘りラウラの亡骸を埋めたのだ。
ユリスにとってラウラは初恋の、決して届かぬ女性だった。
親がなく物心ついた頃には孤児であったが、秘められた魔力量と将来性を期待され売買された。やがて管理者から魔法の師に引き取られ、師につれられて城に上がる機会を得た。
魔法の師となったのは高位貴族であったため、王族と顔を合わせることが頻発した。王太子であるロエルとは同じ年齢というのもあっていつしか学友となる。その姉で六歳年上だったラウラは、孤児の過去を持つユリスにも弟ロエル同様に優しく接してくれ、気づいたら淡い恋心を持つようになっていた。
ラウラがベルクヴァインに嫁ぐこととなり、ユリスは持参金の一部となることが決まった。ベルクヴァインでラウラの立場を確立させるために選ばれラウラと共に国を出たのである。
生涯をラウラに捧げ、ラウラのために生きるのだと思っていた。
恋心もあったが、向けられた優しさに報いる気持ちの方が強かった。しかし僅か三年でラウラは命を落としてしまった。ラウラの最後の言葉は『お願い』。
これは誰よりも信頼する友人として向けられた言葉だ。主従ではなく、弟のように思っている相手を信じて向けた最後の、ラウラが何よりも望んだ真実の言葉。
幼い頃から親がなく商品として扱われた。そんなユリスに人としての温もりをくれたのが魔法の師、友人となった王太子。そして色眼鏡なく手を差し伸べてくれたラウラだ。
しかしユリスは大切な人を、生涯かけて守りたいと願った人を目の前で死なせてしまった。異国での苦しい立場に寄り添いはしても救うことはできなかった。
報いると決めたラウラの願いは、ユリスの生きる理由となった。
ラウラの望み通りユリスはリンをただのリンとして育てることに成功している。王は気付いているかもしれないが何も言わないので、ユリスもあえて報告するようなことはしない。
ラウラの願いを叶えるためにユリスは己を磨きベルクヴァインを倒して現在の地位を手に入れてた。リンがいなければユリスもあの時、この地で自ら命を絶ちラウラの後を追っていた。
ユリスはラウラを守ることができなかった。優しく、実の弟と変わらぬ愛情を注いでくれたラウラを、当時のユリスには守り抜く力がなかったのだ。
だからこそ二度と後悔しないために力をつけ、どんな汚いことも厭わず、率先して手を血に染めた。ひとえにラウラの残したリンを守るため。大切なあの方が願う未来を切り開くために。
「あの子も今日で十八になりました。ラウラ様に似た心優しい娘に成長しています」
顔は憎いあの男の面影を宿しているが、ユリスにとってはそんなこと何の関係もない。
ラウラの腹から生まれたリンは、ラウラ同様であり、守れなかった存在でもある。ただ孤児としてしまったので今日という誕生の日を祝ってやれないのが残念だが、それも彼女を守るためなら仕方がないとあきらめた。
生涯においていつかリンに本当の誕生日を告げられる日が来ればいい――そんな夢を描いて生きている。
「半年ほど前に恋人ができました。上手く行っているようですよ」
王女として生まれ育ったラウラは恋人など持つことが許されない女性だった。夫となった男はラウラを愛しておらず、まさに政略結婚の見本のようなものだったのだ。
見知らぬ国でラウラは精一杯生きて、最後には故国の土を踏むことができずにこの場で命を落とした。それも今はヴァイアーシュトラスの地となってはいるが、当時はラウラを救える地ではなかったのだ。
「相手の男はイド=キルヒヘアと言って、前にもお話した、ずっとあの子に恋心を持っていた少年です。いや、少年ではなくもう立派な大人ですね。彼は魔法具士になるため父親について学んでいます。ときどき二人で出かけますが、日が暮れる前には帰って来る。きちんとした良識ある男です、私と違って」
こうしてユリスは一年間の報告をする。リンがラウラの望んだとおりの人生を送っているのだと切ない想いに駆られながら。けれど時々本音が漏れてしまうのだ。
「大丈夫です。私はリンを私のような男の毒牙にかけはしない。ラウラ様の望んだ普通の人生を歩ませます」
ユリスの心内には、ラウラを救えなかった自責の念が消えることなく居座り続けている。だからこそ足りずに汚れた己が抱いてはいけない感情があることも正しく理解していた。
当時のユリスにできることは少なかったが、時が経ち大きな力を身に付けた今となっては、この力があの日にあればと思わずにはいられなかった。
そうすればリンはラウラの暖かなぬくもりを知って成長することができたのに。母親に愛され、胸に抱かれて寂しい思いをすることなく成長できたのに。そして血濡れた男の傍らで生きることを強制されることもなかった。人殺しの、醜い心を持った年上の男の側で生活することもなかったはずだ。
己の無力を嘆いても取り返しがつかない。だからこそ唯一守らなければならないことがある。たった一人の主であるラウラの願い。その願いを叶える為に、ユリスは絶対に己の本心を表に出してはいけないのだ。
いくら功績を残し称えられようと心には穴が開いたままだ。この穴は埋めてはいけないもの。救いたかった人はこの場所で命を落とし眠り続けている。託された命は願い通り守れてはいたが、自ら反故にしかねない危うさを秘めていることを自覚している。
日に日に強くなる感情に蓋をして過ごすことに成功しているが、ラウラの前だと全てが暴かれているように感じて、悼むよりも懺悔ばかりが漏れ続けていた。