4 初恋の人
王太子の紹介でまとめられた見合いが破談になった。
それを聞いてやって来たのは、ユリスの副官を勤めるノルト=パシェシウスだ。
ノルトは仕事はきっちりするものの、軽い性格でさらに女好きで有名である。
ユリスが結婚したくないことに理解を示しているが、女性に興味がないユリスについてはまるで理解できないらしい。
ノルトはリンの入れたお茶を飲みながら、くたびれた兎のぬいぐるみを抱いた上司であるユリスに説教をはじめた。
「王太子殿下もですね、宰相閣下や陛下がお立場を持ち出して話をまとめる前に、あなたにとって最も都合が良いであろうご家庭のご令嬢を選別して下さっているんですよ。それを何ですか、あなたは殿下のお心を無下にして。分かっているのですか?」
「その王太子を信頼して適当に決めた相手がリンを冒涜したのはなぜだろうね。戦争のごたごたが片付いて、子供が生まれて無能になったと判断するべきかな」
「返事に困るので俺の前で不敬を吐かないでください。平和な世界であなたが快適に過ごせるだろうとお選びいただいたに違いありません。まぁリンに関することは不手際だったとしか言えませんがね」
「不手際? 冗談だろう? 王太子は僕とリンを引き離そうとしているとしか思えない」
リンは話を聞きながら、ノルトが差し入れてくれた若い女性の間で評判らしいケーキを切り分ける。
そんなリンの様子を見ながら、ノルトはやれやれと言ったふうに一つ息を吐き出した。
「あーそうですか。もうこうなったらリンなんていかがです? 現にリンはユリス様の面倒をみている。いっそ親子関係を解消して夫婦になっちゃどうですか?」
ユリスに引き取られたリンは、学校を卒業してから屋敷のこととユリスの世話に明け暮れる毎日だ。けれど家政婦でもないし血の繋がった本当の親子でもない。
結婚して子供を望まれるならいっそ身近で手を打ってはどうかと、ノルトは考えもせずに頭に浮かんだことを口にしているようだ。
問われたユリスは特に心乱しもせず眠そうな目をリンに向ける。
「どうだいリン。ノルトはこう言っているけど?」
「結婚は愛し合った者同士でするんですよ。ユリス様、きっと良い方に巡り会えますから、わたしなんかで手を打たないで下さい」
「はぁ……聞いたかいノルト。リンにまでフラれてしまったよ」
ユリスはくたびれた兎のぬいぐるみを抱きしめたまま長椅子にごろんと寝そべってしまった。自宅限定のだらしない姿だ。これ以上話したくないのか「面倒だな」と呟くと、兎のぬいぐるみで顔を覆って寝息を立て始める。
「わたしにまでって、メティア嬢はユリス様がふったんですよ。って、聞いてませんね。寝付きの速さは尊敬します。ねぇノルト様、わたしがいるとユリス様の結婚に支障をきたすのでしょうか?」
リンがユリスにブランケットをかけながら質問すると、ノルトは「それはないね」と即座に否定した。
「絶対にリンは必要だから。特にリンがいないとユリス様の生活は破綻する。そもそもユリス様ご自身は結婚したいわけじゃないんだ。早々に隠居したいのにしないのは、リンの生活基盤が都にあるからだしね」
「学校も卒業しましたし、わたしは田舎での生活になってもかまわないんですけど」
「ダメダメ、リンがそれを言っちゃ駄目。ユリス様が本気にして田舎に引っ込んだら、諸外国に付け入る隙を与えてしまうよ」
「こんなに優しくて穏やかなのに。ユリス様は異国にとって驚異……なんですよね?」
魔法将軍と呼ばれるユリスは大陸中に轟く偉大な力を持っている。ベルクヴァインを滅ぼすのに十年かかっているが、ユリスの成長とともに戦況は一気にヴァイアーシュトラスの有利となり、最後は怒れるユリスの独壇場だったと伝説にもなっていた。
リンの前ではくたびれた兎のぬいぐるみをこよなく愛する、少しばかりだらしがなく、優しくて頼りになる成人男性で、養い親だ。
うさちゃんと名付けられた兎のぬいぐるみが見あたらないと半べそで探し回る三十歳。
人々を脅かす素晴らしい数々の功績は、リンにとっては人から聞かされるだけの知らないものばかりである。
「ユリス様は異国にとっての脅威。戦わずして平和を得るための手段でもある。そこ大事なところだから忘れないで欲しいな」
「国のために必要だというのは分かりますが、わたしにとっての一番はユリス様です。ユリス様が隠居を望むなら、望むとおりになるようにしたいです」
「怖いこと言わないでよ。ようやく終わった戦争がまたおきてしまうのはリンだって嫌だろう? 俺は冗談じゃなく、リンがユリス様と夫婦になってくれたらいいなと思ってるよ。年齢が離れているけど、貴族社会では特別離れているとはいえない程度だし。それにリンが相手なら、魔法将軍のこんな情けない姿が妻から洩れる心配をする必要がなくなるしね」
「威厳かぁ……うさちゃんが人質に取られたら大変ですしね」
うさちゃんが人質に取られたりしたら、ユリスの威厳は消し炭となり使い物にならないだろう。何を馬鹿なと笑われそうだが、鼻を垂らしてうさちゃんを探し回る姿を幾度も目撃しているリンとノルトは、必ずそうなると確信していた。
「そんなことになったらこの人、間違いなく使い物にならないだろうね」
「それじゃあやっぱり、ユリス様の結婚しないという選択は正しいのではないでしょうか。王家の方々が選別された結婚相手が、こんなにくたびれているうさちゃんの重みを理解してくださる保証はありませんし」
夫不在の間に高貴な妻が、汚れてふにゃふにゃぼろぼろのぬいぐるみを捨ててしまう可能性は高い。
「でも国としてはユリス様の血を受け継がせたい。だから俺はリンが妻になれば問題ないと思うよ」
「そう言いますけど、ユリス様の心の中にはあの方がいらっしゃいます。それにもうすぐあの日ですしね」
「ああ、もうそんな時期か。今年も一人で行くのかな」
傷みの激しい兎のぬいぐるみを修理しているのはリンだが、もともとの持ち主はユリスの主であった、このヴァイアーシュトラスの王女であった人だ。
嫁いだ後も城に残されていたそれを、ベルクヴァインを落とした褒賞としてユリスが望んだ。冗談かと思われたが、ユリスは真顔でぬいぐるみだけを望み、周囲をどん引かせた。
そのせいで可愛いぬいぐるみが趣味と思われたが、養女として迎えたリンに与えるためで、ユリスなりの親しみを交えた冗談だと王太子やノルトが情報操作している。
ベルクヴァインという国が無くなってから、ユリスは森の中に残してきた大切な人の墓参りを毎年欠かさない。
その場所はユリスにとっての大切な場所である。
ヴァイアーシュトラスの領土となって、ラウラ王女の遺体は王家の墓に移されているが、ユリスは今も険しい森を一人で訪れ続けていた。
ユリスにとって亡くした初恋の王女は今もあの地に眠っているのだろう。
「ユリス様はどうしてわたしを娘にしてくれたのでしょうか」
長く想い続けていた疑問がつい漏れてしまう。
リンの出生は誰も知らない。真実を知るのはユリスだけだ。だからリンは、沢山いる戦災孤児からどうして自分が選ばれたのか、本当の理由を知らないままなのだ。
「初恋の人に似ているからじゃない?」
ラウラの容姿はノルトも知らないので疑問系だ。
確かにそう公言しているが、事実とは思えない。けれどユリスがそんな冗談を言うとも思えないので、もし事実ならリンは恐れ多くも亡くなった王女に似ているということになる。
ユリスがリンを養子にした理由として自らそう言っていたことと、他に見当たらないので正しいのかもしれない。
しかしリンはヴァイアーシュトラスでは珍しい一重瞼。アーモンド形の涼しい目元で、誰の目から見ても大変に整った容姿をしていた。だがけしてヴァイアーシュトラス王家の方々に似ている訳ではないし、だからこそ今回の見合い相手もリンを追い出したかったのだと理解できる。
リンにとっては養い親であるユリスの幸せの方が優先されるので、自分がユリスから遠ざかることで彼が幸せになれるのなら喜んで出ていくつもりだ。
「もし本当にわたしが亡くなった王女に似ているのなら、ユリス様は辛くないのでしょうか」
「どうだろうね。ユリス様は変人だから」
ノルトは切り分けられたケーキを口いっぱいに頬張った。
「ところでリン、ついにあの彼と恋人同士になったそうじゃないか」
咀嚼しながら冷やかすように視線を向けられるが、リンは「はぁ……」と乗り気のない返事をするだけだ。
あの少年というのはリンの幼馴染でイド=キルヒヘア、魔法具士の息子で見習い中である。
イドは長いことリンに片思いをしており幾度も告白されていた。つい半年ほど前に告白された際にリンが折れてイドの気持ちを受け入れたのだ。
本来なら楽しい時期だろうが、リンは浮かれた気持ちにはならない。その理由も自分で分かってる。ノルトは「ふむ」と一つ頷いて追加のケーキを自ら皿に盛った。
「君はあの彼で良かったのかな?」
「ええ、まぁ。わたしも婚期は逃したくないですから。ノルト様もいい加減に一人に絞らないと間もなく三十ですよ」
女性の婚期は二十歳前後、男性は二十歳から二十五歳くらいまでと言われている。それ以上になると何かしらの問題や疾患があるとみられるうえ、世間的にも信用が得られない。
「俺はいいの。でもリンが婚期を逃したくないのは誰のためだろうね」
「もちろん自分のためですよ。いつまでも脛かじりの甘ったれた養い子ではいけませんから」
「ふ~ん」
リンが婚期を逃せばユリスが悪く言われるだろう。またユリスが結婚しないことでリンも悪く言われる。二人が義理の関係で、男女で、親子ほどに年齢が離れていないことも周知の事実だ。世間から受け入れられるには微妙な親子関係なのだ。
お互いに分かっているだろうに、この二人は大丈夫なのだろうかと考えるノルトは、三つめのケーキに手を伸ばした。リンはノルトの言いたいことが分っていたので知らぬふりを貫く。
この気持ちは封印している。
だって愛されているのは自分ではないとリンは知っているから。