32 こんな人もいる
こういう人がいるんだというだけの話です
ロエル=ヴァイアーシュトラス三十歳。妻と可愛い子供が二人。
ヴァイアーシュトラスの王太子でユリスの友人でもある彼は、エルマーからの報告を受けて顔面蒼白になり、手にした茶器を取り落とした。
「ラウラ様の望みでもあります。純粋に喜んで差し上げるのが殿下個人としても良いかと」
茫然自失のロエルは空を見つめたまま長椅子の背にもたれてずるずると沈んでいく。人払いをしているのでテーブルに零れたお茶はエルマーが拭き取った。
暫く後、ようやく我を取り戻したロエルは目に涙を浮かべていた。
「あの子がユリスの物に……姉上と最後まで一緒にいただけでなく、忘れ形見のあの子までユリスに取られてしまうのか。ああ、こんなことなら私が側室に迎えておけば良かった」
空を見つめたまま嘆くロエルに、エルマーは「またか」という心の声を封印して笑顔で返した。
「それは道徳上よくないと何度も申し上げましたが?」
次代のヴァイアーシュトラス王はユリスの養い子に関して、度々冗談ともつかないことを口走る節がある。
彼の素晴らしいところは本音を漏らす相手を選んでいるところだ。事情を察しているエルマーにだけ道徳に反した発言を繰り返す。
しかしながら戯言とも言えるそれは、実行しないだけで本心だ。いざとなったら素知らぬふりで実行する危険があるために目が離せなくて困っていた。
「もちろん手を出すつもりはない。側に置くための名目だ」
「それでは彼女が不幸になると殿下もご納得したではありませんか」
「なぜユリスばかりが選ばれる。あれには幼女を含めて大量の見合いを準備したのにどうしてあの子なのだ」
「ではユリスを切りますか?」
「親友をか、馬鹿を言うな。ユリスは損得なく対等に話せる唯一の存在だぞ。姉上を崇め奉り合う間柄なのはお前も分かっているだろう。それを私に手放せと言うのか!?」
ユリスとリンの結婚に憤慨する王太子の様に、さすがのエルマーも呆れ顔だ。「シスコン殿下」と影で噂されるほどロエルは姉であるラウラが大好きなのである。
それはもう病的なほど。執務室隣のロエル専用仮眠室には、ラウラの出生時から城を出るまでの肖像画は勿論、彼女の形見である品々が所狭しと飾られている……と、噂されていた。
噂なのは何人たりとも、たとえ妃であっても仮眠室への立ち入りを許さないからだ。掃除も寝具を整えるのも全て自分でやっている。
これも噂だが、親友であるユリスだけは招かれたことがあるとのこと。エルマーは興味がなく確かめていないので真実は分からないが、控えめに言って王太子はかなり変な人の部類に入るだろう。
度を超えたシスコンだと思うが、それなりに有能で常識人を装うことが得意である。
ユリスの養い子がラウラの忘れ形見と気付いてからは、血筋の露見を警戒してロエルは絶対にリンに近づくことはしない。せいぜい変装して市井に出た時に、遠くから、本当に遠くから姿をちらっと確認する程度だ。
大好きな姉の残した娘を醜い権力争いの道具にするくらいなら、一生涯血縁を名乗らず影で見守りに徹するつもりのようだ。
今年はベルクヴァイン王家の落し胤発見の知らせを受けて後、リンを見守る道具の一つとして位置情報の魔道具作成依頼を速やかに行った。付け回す好機といった表情をしていたがエルマーの気のせいだろう。なにしろ彼は次代の国王。あくまでもユリスの弱点を保護するためだと信じたい。
「では、ご祝福なさいませ。近くユリスから直々に報告があるでしょう。彼は我が国、ひいてはロエル殿下の治世に必要な人材です。私情で判断することは愚か者の所業です」
至極当然の意見と忠告をすれば、ロエルは長く重い溜息を吐き出してカップを口に運んだ。そこでカップの中が空であることに気付いて、不満そうに顔を歪めるとソーサーに戻す。
「分かっている。それにしてもお前の息子たちは何をしていたのだ。長子は妻がいる故に仕方ないにしても、他の三人は役立たずか? 特に三男は女顔の美人だろう。若い娘の好みそうな顔だと思ったのだがな」
「力及ばず申し訳ございません」
嫌味を言い出したのでエルマーが側仕えの代わりにお茶を入れることにした。ロエルはエルマーが茶器を触る手元を目で追っていた。
「しかしながらそう申されると言うことは、我が息子に彼女をお許しいただけるお気持ちは本物でしたか」
エルマーよりも先に彼の息子たちをリンにあてがう案を口にしたのはロエルだ。当然それより先にエルマーは考えていたが、次代の王の不興を買いたくなかったので実行してはいなかった。その後押しをしたのがロエルなのである。
「ユリスに全部持っていかれるのは癪だからな」
なるほど、消去法だったらしい。
「だが一番はあの子の気持ちだ。私の気持ちなどあの子には与り知らぬところだからな。あの子が望むなら仕方がない。それにユリスなら姉上の二の舞にはさせないだろう。だがしかしっ……一度で良いから私の手元に置きたかったのだ。お前の息子たちが相手なら接触の機会もあるだろうと色々目論んでいた。ユリスが庶民として育ったあの子を私に会わせてくれるとは思えないからな」
王太子の友人で魔法将軍の地位にあってもユリスはもともと底辺の出身だ。その妻が自ら望まないならユリスから王太子との目通しなど口にするはずがない。
ユリスのことが良くわかっているうえに、リンの将来に暗雲を漂わせてはいけないとの気持ちが強いだけに、ロエルはがっくり肩を落としてエルマーが入れたお茶に口をつけると「苦いな」と漏らした。
「ところでエルマー、二人の式はいつになる。ユリスに任せていたら永遠にないまま事実婚もあり得るぞ。そんなことになったらあの子が可哀想だ。お前が采配を振るってやれ」
「私もそう思いひと月後を提案したのですが、リンさん自ら却下されました」
「なに?」
ロエルは驚き目を瞠った。
「それほど急ぎたいのか。ならば半月後でどうだ? 場所が抑えられないなら王太子特権で大聖堂を開けさせるが?」
逆だと思う。ひと月後を提案したエルマーも半分冗談だ。しかしラウラ関連で非常識人たる王太子に意見するのも面倒なので「承知いたしました」と笑顔で頭を下げて退出した。




