31 大臣の本音
寝坊した翌日、リンとユリスはお互いの自室で起床して滞りなく出勤した。
ユリスはリンが心配なら一緒に寝ても良いと言ってくれたが、ウエルカム状態になってしまったユリスに対してリンのほうが照れてしまい、必要以上に意識してとても同衾できる精神状態ではなかったのだ。ユリスを失う恐怖で何でもするつもりだったが、いざユリスが戻ってくるとリンにも常識が戻ってきた。
それでも少しだけいつもの生活に浸るとリンの状態も普通に戻り、朝には仲良く出勤することができたのだが。
到着早々エルマーに呼ばれて彼の執務室に向かうと、ついさっき別れたばかりのユリスがその場にいた。
「ウイリット、そこに座りなさい」
エルマーがにこやかにユリスの隣を示す。ユリスも前とは異なり穏やかな表情で頷くと、エルマーの言葉通りにと無言で示した。リンは素直に従って一礼してからユリスの隣に腰を下ろす。
昨日の今日でリンはエルマーからお叱りを受けると思っていた。何しろエルマーはユリスを結婚させて彼の血を引く後継者が一人でも多く生まれることを望んでいたからだ。そのために養い子であるリンが邪魔で、リンをエルマーの息子の誰かと添わせようと画策してた筈である。だからエルマーはリンの上司になったのだと思ってきたのだが……この状況からそうではないと瞬時に悟らされた。
「二人が上手く行ったと報告を受けた。しかし男女の仲はなかなかに難しいものだ。私が受けた報告に間違いがないのか君たち二人から話を聞きたい」
部下ではなく当人からの報告をと促しながらも、エルマーは自分が受けた報告に間違いがないことを確信し、それを良いこととして受け止めているようだ。
エルマーが望んだのはユリスが結婚し、多くの子を残して魔法軍を充実させると同時に、魔法軍にかけていた無駄な予算を騎士団に回してさらに国力を増強させることだ。
ユリスの相手がエルマーの姪でもそれ以外でも、まずは結婚して家庭をもってくれれば誰でもいいことに、あの日のリンは少しも気付くことができなかった。
リンはエルマーが自分とユリスを引き離そうとしていると勘違いした。エルマーもその勘違いに気付いていながら訂正しなかったのだ。
恐らくリンが他の相手を見つけても、それはそれで良かったのだろう。そしてエルマーが自分の息子を推してきたのは、彼がリンの出生を知っているから。放任するには濃すぎる血だと、ここで初めてリンは気付くことができた。
今までもそしてこれからもリンは知らないところで誰かに警護という理由で見張られるのだろう。
「エルマー。私は近い将来リンと結婚する。そう言う訳なので、あなたの息子たちには手を引いてもらう」
「あれはリンさんを守る護衛に他ならない。彼らは任務に忠実だったはずだ。なぁウイリット、うちの息子たちには君を口説いたりしてはいないはずだ」
そうだろうと問われてリンは頷く。ごく当たり前に言われてしまうと、勘違いさせられたのに自分で勘違いしていたような気がして恥ずかしくなってしまう。
「おっしゃる通りご子息方はとても紳士的で任務に忠実でした。これまで大変お世話になったこと、きちんとお礼に伺わせていただきます」
三男のコアトとは一昨日初めて顔を合わせたばかりだ。けれど登場の仕方からして、彼が見えない所で守ってくれていたことは予想できた。
「任務に礼など不要だ。君は魔法将軍の弱みになる。我が国としても君を守ることは必要なこと。今後もグンターを筆頭に息子以外の誰かをつけるつもりでいる。ウイリット、これは君が魔法将軍の伴侶にならなくても必要なことだから拒否はできない。嫌なら諦めることだ。うちには未婚の息子が三人いるよ」
笑顔で意地悪なことを言ってくれる。護衛が嫌ならユリスを諦めてエルマーの子供達の誰かと結婚するよう勧められた。
たとえユリスを諦めたとしても、エルマーの子供達の誰かとなんてなるわけがないのに。無言でいるとユリスが少し寂しそうにリンに問いかけてきた。
「見張りは嫌かい? 私よりもエルマーの子供達に惹かれるのも分かるよ」
「わたしはユリス様が好きなんです。なのにどうしてそんなことを言うんですか?」
非難するように問えばユリスは「ごめん」と背中を丸めてしまう。その様子にエルマーが豪快に声を上げて笑った。
「誰もが恐れる魔法将軍も形無しだな」
「テゲトフ樣のご厚意は有り難いことですが、わたし自身にはそうまでしていただく理由がありません」
どうせ見張られるならリンの結婚相手が誰であっても同じではないか。確かに身内に取り込めば守りやすいかもしれないが、テゲトフ家の子供たちが巻き込まれるのも可哀想だ。
リンの問にエルマーは思わぬ顔をリンに向けた。
それは彼が見せる初めての表情で、とても柔らかくて優しいものだ。
「君をね、託されたんだ」
「え?」
なんのことだろうと思わず声が出た。ユリスが咎めるように「エルマー」と名を呼んだが、エルマーは「まぁいいじゃないか」と答えてリンに視線を定める。
「戦場に出てしばらくした頃、ユリスは重症を負って死の淵を彷徨ったことがある。その時にね、君を託されたんだ」
ユリスから戦争での話はほとんど聞いたことがない。リンもユリスが話したくないなら聞くべきでないと思っていたから問うこともしなかった。
聞いてもいいのだろうかとユリスを仰ぐと、困ったように眉を下げているだけだ。
「待っている子供がいると。自分にもしものことがあったら自分の代わりに幸せにして欲しい。不幸にしたら呪い殺すと言われたよ」
人一人を託すなんて大変なことだ。しかも呪い殺すなんて脅し付き。リンは驚いて瞳を瞬かせる。
「本当にそんなことを?」
「重症でも死ぬ気はしなかった。実際に生き残ったしね。だけど戦場に絶対がないことを学んだ。だからもしもに備えて。あの頃の私にはエルマーしか頼れる大人はいなかったのだよ」
「私は十代半ばのユリスに子供がいると聞いて驚いたよ。まぁすぐに血の繋がりがないと知ることになったがね」
そう言ってエルマーは笑った。
「その事があって殺戮に身を滅ぼす少年の生きる目的が君だと気付いた。またユリスを救えるのが君だともね」
リンの知らないユリスを知っているエルマー。そのエルマーがユリスにとってリンが必要だと認めている。思わぬ言葉が嬉しくて、エルマーに対する認識が変わりそうだ。
「志半ばで退かせるのが忍びないとも思ったよ。私は何事にも全力で挑む質だ。当時の役目はユリスの子守りだった。その過程で将軍への目標が絶たれたのも事実だが、後悔はなく現職に全力で挑んでいる」
エルマーの言葉に嘘はないのだろう。目的を果たすために無鉄砲だったユリスに戦い方を教えて、誰も右に出るものがいない魔法将軍に育て上げた。エルマー自身の目的だった将軍にはなれなかったが、今のエルマーから後悔の色は窺えない。
「ユリスを使えば魔法軍に使う経費はそれ程必要なくなる。経費削減のためにも未来のためにもユリスのような魔法使いが恒久的に必要だ。手っ取り早いのは血筋だ。私からするとユリスが子を成すなら、私の姪だろうと君だろうとどちらでも構わない。最良は君だがね。だから色々と嫌なことを言ってしまったが、それが私の仕事だから申し訳ないと謝罪はしないよ」
そう言うことだから早々に結婚してしまいなさいとエルマーが二人を急かす。
「ウイリット、君は知っているだろうがユリスはこう見えて色々とだらしない所がある。ユリスに任せているといつになるか分からないから予定を組ませてもらったよ。式は来月、そこに合わせて動いてもらいたい」
と、エルマーは懐から長々と書かれた紙を取り出した。
勝手に式の日取りを決められて驚いたが、渡された紙を見ると式の出席者に国王の名前まで記されていて、リンは一瞬固まった後、丁寧に紙を畳んでエルマーに返却した。




