23 ずっと一緒にいたいから
帰宅時に再度屋敷を訪問したがノックをしても応答がなく裏口も施錠されていた。
この屋敷にユリスがいると確信しているリンは、翌日クリスタとの昼食を断ってノルトを訪ねる。
「ユリス様が戻って来ているのは分かっています」
リンに詰め寄られたノルトは困ったように息を吐くと頬をかいた。
「尾行に気付かなかったのは俺の失態だね」
嘘を吐いても無駄だと分かったのだろう。「よく考えたらそのくらいしてもおかしくないね」とノルトは呟く。
「騙して悪かった、ごめん。でもユリス様が任務中なのは嘘じゃないよ」
「魔法将軍としての仕事は全て任務ですよね? 任務って便利な言葉ですね」
真正面から恨めしく睨み付けると、ノルトは「うっ」と唸って胸を押さえる。
「ユリス様に会いたいです。家に戻るように伝えてください」
「俺が?」
「ノルト様以外にもユリス様と会っている人がいるんですか?」
「いないね。え~、俺が? 嫌だなぁ。もちろん俺だって何度か家に戻るように言ったよ。でもそうしないのはユリス様なんだよね」
面倒になったのか任務だと否定せず、顔を背けたノルトは「はぁ」と深い溜息を吐いた。
「俺もリンが心配しているってのは伝えてたよ。戻っていつものように過ごせばいいって軽~く言ったりもしたよ。けど任務から戻ったユリス様は鬼気迫る雰囲気があってさ。あんまりしつこく言うと危ない感じがするからさ。長い付き合いだけど藪をつつくのはさすがの俺にも覚悟がいるから」
怖い怖いと、ユリスの執務机に肘をついて頭を抱えている。
魔法将軍が本来いるべき場所にいないのは副官であるノルトにとっても困ったことなのだ。なのに温厚なユリスを知るノルトが恐れるほどなので、ユリスはよほどリンの前に姿を現したくないらしい。そのくせ城から近い場所に身を隠して仕事をこなしているのだから、不真面目なのか真面目なのか分からない人だ。
「ねぇリン。いっそのこと突撃しちゃいなよ」
良いことを思いついたとばかりにノルトが顔を上げた。
「突撃?」
「あの屋敷に。リンなら藪にならないから大丈夫」
「もう行きましたけど。逃げられて会えなかったことは知っているんじゃないですか?」
恨みがましく告げると「石板見た?」と問われた。
「石板って、あのお屋敷にあった地図のことですか?」
「あの石板、なんか変だと思わなかった?」
魔道具と思しき不思議な地図だ。中央に小さな青い光が灯っている、あのお屋敷が中心となっている地図。
「どうしてあのお屋敷が中心になっているんですか?」
何か深い意味があるのだろうか。答えを求めるように見つめるとノルトがにっと口角を上げた。
「あの石板は光を中心にして地図が動くんだ」
「地図が動く? 石板が動くってことですか?」
「そうじゃなくて、石板の中心は常に青い光。その光は対象物を表している。対象物が異動するのに合わせて石板場に浮かぶ地図が動いて行くんだ」
「ではその対象物はあのお屋敷にあったってことですね?」
ノルトはそだねと頷いて「さて問題です」と楽しそうに告げた。
「その対象物とはいったい何でしょう!」
ノルトの出した問題にリンは首を傾げて頤を指で叩く。
石板は魔法具。動く地図の中心に表示される対象物は生き物。つまり人だろう。
「異動するのだから対象は物ではなく生き物ね。あそこにいたのはユリス様だから……でもわたしとバメイ様もいたわね」
石板に表示されるということは、動く対象物にも魔法具がつけられていることになる。あの石板は対象がどこにいるのか知るのに使われているのだ。
軍部としては諜報活動などに使われているとして、対象者に魔法具を取り付けるだろう。その魔法具が今はまだ誰にも付けられておらずあの場所にあるとするならノルトは問題など出さない……と、そこでリンの脳裏に自分が持っている魔法具が浮かんだ。
それはイドがくれた防犯機能のついた魔法具だ。置いて行こうとしたらユリスに心配されて、ユリス自ら鞄に付けてくれた。
もしかして――と、文書保管室に置いてある鞄に意識を飛ばす。リンはユリスの言葉を守って、イドからもらった防犯用の魔法具を鞄に付けて出勤していた。
まさかイドが共犯なのかと考えて即座に否定する。魔法具に複数の機能をつけることが難しいことを知っているだけに、その線は薄いと感じた。
イドの側には高名な魔法具士が存在するのだ。ユリスがイドの父親に頼んで魔法具の機能を追加させたのだろうか。だとしたらいったい何時の間にと思うが、そんなことは今は後回しだ。
「対象物はわたしですね?」
「その様子だと、対になる魔法具に心あたりがあるんだね」
ユリスは対象物が近付くと逃げる。魔法具を身に付けていたらリンの居場所は筒抜けだ。
「分かったわ。ノルト様ありがとう!」
「お礼にユリス様から俺を守ってね」
「そんなことより、ユリス様はうさちゃんがなくても大丈夫ですか?」
「そんなことって……俺にとっては大変重要なことなんだけど。ああうさちゃんね。どのみちあっても心乱してると思うよ。ユリス様にはリンが必要だから」
ノルトに言われて少しだけ気持ちが軽くなる。
「本当にユリス様にはわたしが必要だって思いますか?」
「そりゃ思うよ。ユリス様がこの世界にいるのはリンがいてくれるからだ」
「この世界って……なんだか意味深な言い方ですね」
「そう?」
ノルトは僅かに首を傾けて問うように笑顔で返事をした。
リンは七歳の頃から十一年、ユリスと一緒に暮らしている。養い親と養い子だが親子と言うのとは少しばかりかけ離れた関係だ。それはリンがユリスを父と呼ばなかったことに起因しているが、ユリスもリンを娘といいながら、父と呼ぶよう正そうとはしなかった。
本物の親子でもない。
ユリスの好意で教育や生きる場所を与えられたが、本当の親子ではないのだ。親子になるには少しばかりリンは成長し過ぎていたのかもしれない。
「ノルト様」
「うん?」
何かなとノルトが笑顔のままリンを見下ろしている。ノルトと知り合ったのは、リンがユリスに引き取られて間もなくだった。ノルトもまた幼い頃からリンを知る一人だ。
「わたし、ユリス様をお父さんと呼ばなかった理由を思い出しました」
「まさかの一目惚れ?」
「違います。ずっと一緒にいたかったからです」
「へぇ。いいんじゃない?」
ずっと一緒にいたかったのに、成長するにつれ、与えられた贅沢や立場に遠慮してあきらめるべきだと無意識のうちに思い込んでいた。ユリスのためにはそれが一番だと思ってしまったのだ。
ユリスがリンを遠ざける本当の理由は分からない。だけど「人を殺してくる」件に関係しているのだろう。優しい魔法使いだから、こんな自分がリンの側にいてはいけないとでも考えたのかもしれないが、そんなのは馬鹿な考えだ。
同じくリンも馬鹿だった。
本当は離れたくないのにユリスのためにと理由をつけて離れようとしていた。大切にされて心地よさを覚えているのに、ユリスの愛情を確認するように独り立ちを宣言して離れる準備を始めてしまったのだ。勇気を出して別の言葉を告げるべきだったのに。
どう転んでも二度ともとの関係には戻れないだろう。それでもいい、ユリスの事が大好きだ。離れているのが嫌なのだと、ユリスを失って初めて気付かされた。
今度こそ絶対に失敗しない、間違えないと、リンは心に決めた。




