2 悩める魔法将軍
「どうしたものかね」
そう呟いて、悩まし気に溜息を吐き出したのは屋敷の主であるユリス=ウイリット。御年三十になるヴァイアーシュトラスの魔法将軍だ。
彼が魔法将軍として仕事をしている時は常に眉間に皺を寄せている。気難しく他人にも自分にも厳しく威厳のある人物で知られているが、屋敷に戻ってくつろいでいる現在、長椅子にだらしなく腰掛けているその眉間に皺は一つもない。
少し垂れ目気味の瞳は、この世界特有の誰もが持っている黒い瞳で、乱れた灰色の頭髪は仕事中とは異なり額にかかっていて実年齢より若く見えた。
全体的な雰囲気も優し気で、よく見ると女性が好む整った容姿をしている。そして魔法使いにしては少々逞しいその片腕には、くたびれて変色した大きな兎のぬいぐるみが抱えられていた。くたりと首が折れている様はユリスの呟きに首を傾げて返事をしているように見える。
「お見合いの釣書とは知らずに受け取ってしまって。ユリス様、本当にごめんなさい」
「リン、君のせいではないよ。王太子の使いとなれば受け取らないわけにはいかなかっただろう。城で渡せば良いものを、わざわざ自宅に運ばせた殿下が悪いのだから落ち込まないでいいのだよ」
ユリスが仕事から帰ったら居間のテーブルに大きな箱が置かれていた。リンから「お城からの届け物です」と言われて開けてみると、見合いの釣書が大量に収められているではないか。
三十にもなって嫁も取らない魔法将軍に国は何かと煩く言ってくる。無視していたらこのざまだ。
国王はそれ程でないものの、宰相や大臣たちはユリス亡き後の軍事力を考えて、ユリスの子供に期待をしているのだ。
そして友人である王太子も、最近二人目の王子が生まれたせいなのか結婚しろと何かとしつこい。かつて二人の間で男色説が流れたのを未だに気にしている節があり、ユリスが結婚すれば噂が完全に消えると思っているようで、なんとも馬鹿らしいことこの上ないではないか。
ユリスはテーブルを挟んで塞ぎ込んでいる、養女のリンに穏やかな笑みを向けて「大丈夫だよ」と声をかけた。けして仕事では見せない穏やかさだ。リンがかわいい女の子だから優しくしているのではなく、自身の命よりも大切な娘だから優しく接することができている。愛しい娘のためなら劫火で焼かれ灰になっても惜しくない。
ユリスは気付かれないようそっと息を吐き出してから苦笑いを浮かべると、徐に釣書の中から一冊を取り出してリンに差し出した。
「これにする」
「ユリス様?」
俯いていたリンが顔を上げ問うように名を呼んだ。疑問に満ちた綺麗なアーモンド形の目がユリスに向けられている。
リンは、ユリスが結婚したいと思っていないことを知っているのだ。
ユリスは魔法将軍という肩書を頂いているけれど、本質は穏やかで、のどかな田舎暮らしを望むような性格だ。
魔法使いとしての力と過去の功績が許してくれないが、出来る限り早々に隠居して田舎に引っ込みたいと思っているし、王太子を始め気の置けない仲間たちはユリスの願いを知っていた。しかし国として関わるとそうはいかないことをユリスも理解しているのだ。
王族の紹介で貴族娘と結婚してしまえば、ユリスの望む未来は永遠に失われてしまうだろう。本当にいいのかと、ユリスを案じてリンの瞳が揺れている。
このままだとリン自ら責任を取って王太子に突き返しに行きそうだ。それもそれで厄介なことになるなと考えたユリスは、差し出した釣書を引っ込めると脇に置いた。
「やっぱりこれは私から殿下に渡しておくからリンは気にしないで」
「でもっ」
「いいんだよ」
物言いた気な瞳にもう一度笑顔を向けて、「僕もいい加減将来を考えないといけないって思っていたところなんだ」と伝え、くたびれた兎のぬいぐるみを抱きしめた。