19 人殺し宣言
「リン、忘れ物だよ」
出勤しようとして準備をしていると、ユリスから鞄を指さされる。
今日はいつも一緒に昼ごはんを食べるクリスタが休みということで、彼女から食堂ではなく弁当を持参するよう勧められた。弁当があるのでいつも使っている鞄から大きめのものへと変えたのだ。
「お守りは置いていくことにします」
イドがくれた防犯用魔法具だと分かったのでそう答えると、「どうして?」と眉を潜められてしまう。
「付け替えるのが面倒なので。危険なこともないし一日くらいいいかなと」
実は毎朝、ユリスの視線が鞄につけている魔法具に行くことが気になっていたのだ。
幼馴染とはいえ、交際経験のある別れた元恋人からの贈り物を常時身につけていることを快く思っていないのでは……と考えて、これを期に持ち歩くのを辞めようかと思っていたのだ。
何しろ通勤は魔法将軍、退勤には財務大臣のご子息で騎士団に属する男性たちが自宅まで送り届けてくれるのだ。爆音のする魔法具がなくても大丈夫と思ってしまうのは自然なこと。
しかしユリスは「何かあったらどうするんだい」と言って、放置していた鞄から魔法具を外して弁当の入った鞄に取り付けてしまった。
「これでよし」
笑顔でぽんぽんと優しく魔法具を叩いている。
どうやら快く思っていないと感じたのは勘違いのようだ。
プレゼントしてくれたイドに失礼なことだったが、ユリスに良く思われたい乙女心もあった。ユリスが魔法具を悪く思っていないと分かってほっとする。
「少し早いけど出発しようか」
「はい、ユリス様」
最近のユリスは忙しいようで帰宅が深夜に及ぶことも少なくない。朝も早くから起きてリビングの長椅子に寝そべり、うさちゃんを抱えてぼーっとしている……ではなく、うさちゃんを抱えて真剣な顔で考え事をしているようなのだ。髪も櫛が入れられて奇麗に整えられていた。
仕事が忙しいようなので、リンの出勤に合わてくれなくてもいいと伝えたが、「そんなことはない、一緒に行こう」と穏やかな笑顔を向けられるのだ。その笑顔が作られたものだと長く一緒に過ごしているリンには分かってしまう。
だらしのない、魔法将軍らしからぬユリスはなりを潜めている。違和感を感じるが、何かあったのかと尋ねても否定されるだけだった。普通を装っていることは分かっていたが、更に追求しても隠されるだけだろうからやめている。
何よりも異変を感じるのは、度々姿を見せていたノルトがぱったりと姿を見せなくなったこと。
彼はエルマーを苦手にしているので財務省がある場所にやってくることはないが、食堂や回廊で姿をみせることもなくなってしまった。
将軍であるユリスと副官たるノルトの変化は、魔法軍で何かしらの動きがあっているで間違いない。
帰宅に付き合ってくれるバメイは無口で必要以上の会話をしないが、グンターは気さくに話してくれる。だが聞いても騎士団で大きな変化はないらしい。部外者のリンに教えてくれるわけがないのも分かっている。エルマーの子供四人が帰宅に付き合うということだったのに、実際に顔を合わせているのは次兄のバメイと四男のグンターだけだ。長兄アドルフと三男コアトには会ったことがなく、その二人は同じ部隊に所属しているというから、その部隊が忙しくてリンに割く時間がないのだろう。
魔法将軍の養い子だが、軍部で何かが起きていても仕事の話はご法度だ。普段はだらしないユリスも気さくなノルトも、リンに軍部の情報や機密を漏らしたりしない。
それでも心配になる。
軍に属しているということは有事があれば矢面に立つということ。ユリスの名声は他国への牽制となって長く戦争は起きていないが、軍人にとって他国との戦争だけが仕事ではない。
心配だったが口を挿むことではないと心得ていた。
けれどユリスが期限の定めがない仕事に出ることになり一気に不安が押し寄せる。
ユリスがラウラの命日以外で長く家を空けるなんてこれまで一度もなかったのだ。命の危険があるのではと心配して当然だろう。
「任務に就くことになった。しばらく帰宅できないけど、危ないことはしないようにね」
その日の夕食の席で日常会話のように告げられ、リンは手にしたパンを皿に戻して手を膝に置いた。
「どこに行くんですか?」
「場所は言えない。ただ、ちょっと遠くてすぐに帰って来れる距離ではないんだ」
「戦争が――あるの?」
恐る恐る問い、ゆっくりとユリスに視線を向ける。するとここ最近で見慣れてしまった他所行きのユリスが目の前にいた。
「戦争を起こさないようにするのが私たちの役目だよ」
「ノルト様も一緒に行くのですか?」
「ノルトは置いて行くから、何かあったら頼るといい」
「嫌です」
拒絶すれば、ユリスにとって意外だったのだろう。驚いた様に目を見開いて瞬きしている。
「い、嫌って……どうして? ノルトがリンに嫌なことでもしたのかい?」
「わたしが頼りに出来るのはユリス様だけだからです」
はっきり告げると、ユリスは「え、あ……そうだね」と呟くように漏らして下を向いてしまった。
「でも……ちょっと、僕は。行かないといけないから」
下を向いたまま、挙動不審に体を左右に揺らしてごにょごにょと呟いている。一瞬で普通のユリスに戻ってくれた。お陰でリンは気持ち的に楽になる。
「なにしに行くの?」
「それは言えないんだ」
「そんなの分かってます。でも知りたいんです。家族なのに、大切な人がどこで何をしているのか分からないなんて。ユリス様が逆の立場ならどうですか?」
「後をつけるに決まってるじゃないか」
「――え、後をつける?」
「ごめん、嘘。違う。本当にごめん。リンに嫌われたくないから言えないのだよ」
言葉の意味が理解できなくてリンは眉間に皺を作った。
「わたしに嫌われたくないって……ユリス様、言ってることがおかしいです。機密事項だから言えないと答えるのが普通じゃないんですか?」
「ああ、そう。そうだね。でも機密事項なんてどうでも良いんだ。僕にとっての最優先はリン、君だ。君に良き養い親として映るなら、僕は何だってするし、何も望まない」
ユリスは下を向いたままおもむろに立ち上がる。
「部屋に戻るよ。せっかく作ってくれたのに残してごめんね」
「ユリス様!?」
ユリスは背中を小さくして、リンと目を合わさないまま部屋に引っ込んでしまった。
心配なあまり意地悪なことを言ってしまったと反省したリンはその夜寝付けず、朝早くに家を出ようとしたユリスの後を追う。そうして急いで準備した弁当をユリスに差し出せば、ユリスは泣きそうな顔で受け取ってくれた。
確かに昨夜は言い過ぎたが、泣くほどだっただろうか。これはよほど嫌な任務なのだろう。常識を破って意地悪な質問をしたことをリンは今更ながらに後悔した。
「ユリス様。わたし、都に住みたいなんてこれっぽちも思っていませんよ」
ユリスの結婚の障害になりたくないから家を出る決意をしたが、ユリスと一緒ならどこだろうと都だ。
ユリスが魔法将軍の地位に固執していないことを知っているし、早々に引退したいことも知っている。隠居したいのにしないのはリンの為だということも分かっている。
ユリスを自由にしたいから離れようと決めたが、リンが離れることでユリスの心が保てないのなら、一生側にいても許されるのではないかと一晩中考えていた。
自分のために嫌な仕事をしないで欲しいと訴えたつもりだ。しかしユリスは瞳に涙の膜を張り、瞬きひとつで零しそうなほど溢れさせてしまう。
そうして爆弾を投下した。
「今から人を殺してくるよ」




