15 魔法将軍の失態
いったいどうしたのだろうかと、ユリスは眠れぬ夜を過ごす。
人殺しの醜い魔法使いであるユリスの根本は変わらない。心の奥底に根付く醜い独占欲は抑え込んでいる。それでもリンが外界と関わることで残酷で浅ましい正体を暴かれると恐怖に苛まれた。
しかしその全てはユリスの自業自得であり、覚悟していたこと。過去を変えることはできない。
エルマーは信頼しているが無条件でユリスの味方にはなり得ない男だ。己の目的のために手段を選ばないエルマーは、ユリスの残忍さを語らなかったのかと思えばそうではなかったようで。
残忍な様を知ったリンは何故ユリスに嫌悪を抱かないのか不思議でならなかった。
リンは戦場を知らない。語られるだけでは実感がわかなかったのだろうか。ユリスの残忍さが理解されなかったことは良いことなのか悪いことなのか。後ろ暗いことが多すぎて混乱する。
エルマーがなんの目的でリンを側においたのか分からない。思惑があってのことなのか、単に興味を持っただけなのか。
いつ引退してもいいように優れた魔法使いを国中から発掘したいユリスと、あるものは最大に使うべきという、ユリスの血を受け継ぐ魔法使いを望む派閥の考えは相容れない。エルマーは国防予算を騎士団に回すために後者の考えだ。
エルマーや王太子には世話になったことや、リンが成人したこともあり、そろそろ諦めるかと見合いに応じたが、リンを蔑ろにする女など以ての外だ。あり得ない。そんな女がいるだけで虫唾が走る。大切なリンの幸せに影が落ちたらどうしてくれるのか。
確かに世話になったが、あれは二人が悪い。
普通に幸せだと笑ったリンの愛らしさ。思い出すだけで呆けてしまう。
「普通の幸せを得られるように育てたのにどうして……僕のような男の正体を知って恐れないなんて普通と言えるのだろうか。ああ、でもリンの笑った顔はなんて愛らしいのだろう」
ユリスは一人寝台で悶絶し、いても立ってもいられずリンの寝室に忍び込んだ。
リンがエルマーの下で仕事をするようになってから日々不安が募っていた。自分のしたことのつけを払わされているのだと納得しようとしても足掻きたくなる。
だが逃げられない現実なのだと己に言い聞かせた。
昨日からはついにその日が来たと泣き言を垂れ流し情けなくリンに縋ったが、覚悟を決めて死んだように過ごした。
二度と戻ってこないかもしれない。
軽蔑や恐れの視線を向けられる可能性が高いと覚悟してリンの帰りを待った。
ともに生活した彼女がそんな娘でないことは百も承知なのに、心のどこかで断罪を望んで、失う未来に恐怖して情けなく震えていた。
憎くて憎くてたまらない男にそっくりなアーモンド形の瞳は閉じられている。けれど大切な人が産み落としてくれたたった一つの、まさに命より大切な宝。その瞳がユリスへの愛と信頼に満たされているだけで、ユリスはもう死んでもいいとすら思ってしまう。……が、リンが誰もが得るべき普通の幸せに満たされ、もう大丈夫と確信するまで絶対に死にはしないが。
「ラウラ様、私のような人間が許しを乞うのは卑怯ですね」
愛は決して美しいだけではない。残酷で醜く狡賢い魔法使いにも等しく訪れる。愛を向けられた相手は不幸になると確信していたが、果たしてそうだろうかと、ユリスはあの日、大切な約束をしてから初めての考えるに至る。
しかしそうだとしても求めてはならないと瞬時に否定した。ユリスには託されたリンを幸せにする使命がある。嫌われることを恐れて怯えるなんて、残虐な魔法将軍らしからぬことだ。
翌日は時間を繰り下げリンと出勤することにした。その際に見慣れぬ物に気づいた。
リンの腰にあるポシェットに下げられた金属の小さな小物入れのような何か。二つの特異性を感じて、何らかの魔法具であることは分かったが、与えた覚えのない物に仄暗い想像をしかけて、どうしたのかと恐る恐る問いかけた。
「昨日イドに貰ったんです。彼の初めての作品で、危ない時に音が出るそうです」
「へぇ、イドに。彼と仲直りしたのかい?」
「私達、幼馴染だから」
戸惑いもあるのだろう。リンは少し俯いて答えた。よりが戻ったのかと案じた時点で駄目だと首を振ったユリスは、己の意識を今ある現実に集中する。
「仕掛けは一つだけ?」
「そう聞いてますけど。魔法具にいくつも仕掛を付けるのってとっても難しいんでしたよね?」
「そうだね」
熟練工なら一つの魔法具に複数の仕掛けを施せるが、新米には到底無理だ。だがイドの作品だというそれには二つの仕掛けがある。イド以外の手が加わっているのは間違いない。手を加えたのは恐らく彼の父親だろう。
ユリスは伊達に魔法将軍ではない。不埒な想いと心の弱さで気づくのが遅れたが、リンを中心に何かが起きていると察した途端に急速に頭が働き出した。同時にこれまで気付けなかった視線を感じて辺りに意識を向ける。
「どうかしましたか?」
ユリスの雰囲気が変わったことに気付いたのだろう。リンが不思議そうにユリスを仰ぎ見る。斜め下から見上げられる上目遣い。愛らしいなと思いつつ「さぼってしまったから仕事が増えたなと思ってね」と穏やかに笑みを返した。
視線は気になるが気配からして敵ではなさそうだ。恐らくエルマー辺りが付けた監視兼護衛だろう。
幸せな日々に平和ボケしていた所で、心因的なものに追い打ちをかけられ気付けなかったのは大きな失態だ。何かあってからでは遅かった。
どこからが企みで、どの程度の危険が迫っているのか。
対象はリンで間違いない。臍を噛む前に気づけてよかったが、魔法将軍としても、リンを託された身としても大きな失態だ。
ユリスは穏やかな雰囲気の下に荒れ狂う波を隠し、リンを城へ送り届けると、魔法師団ではなくイドの働く工房へと向かうため来た道を戻って行った。




