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10 ランチ会



 リンの就職先は財務省、大臣直属の秘書官……というたいそうなものになったが、実際の仕事内容は使用済み文書の整理係だ。

 文書保管室に持ち込まれた書類を部署や係、系統に分けて決まり通り棚にしまっていく。

 就業時間も十時から十五時と、十分に家事ができて明るい時間に安全に帰宅できる時間帯だった。

 出勤から退勤まで文書室で過ごすので、業務中に財務大臣であるエルマーと顔を合わせることもない。


 思わぬ人に仕事に誘われ、ノルトの激しい抵抗もあったが即日採用されてしまった。エルマーはユリスと破談になった女性の伯父だけに、何かしら報復があるのかと思いもしたが、今のところそのような気配はない。

 就職先をユリスに伝えると、うさちゃんを抱きしめて複雑そうに眉を寄せていたが、「彼は信頼できは、するから」と、含みのある言い方をしたが配属先に異議は唱えなかった。


「リンさぁん、大臣が呼んでるぅ」


 保管室の扉を開けたのは前任者の二十代後半の女性、クリスタだ。昨日まで引き継ぎで一緒にいてくれたが、話し方に特徴のある彼女は今日から大臣執務室で仕事をしている。


「大臣がぁ、お昼を一緒にどうかぁって。これって一応聞いてるけどぉ、一緒に食うぞって命令だからぁ、五分後に執務室集合ねぇ!」


 急いでねぇと言い残してクリスタは笑顔で扉を閉めた。


「五分……」


 いつもなら使用人用の食堂でクリスタが一緒に食べてくれていた。五分後に集合と言って慌てて消えたクリスタも一緒に大臣と昼食を共にするのだろうか。


 エルマーの姪であるメティアとの婚姻が破談になった。しかもそれは王太子の口利きによるもので、王太子だけでなく、財務大臣であるエルマーの顔を潰したことにもなる。


 そんなエルマーと食事とは。

 気が重いが急がなくてはいけない。いったい何を言われるのだろう。クリスタもいてくれるだろうかと不安に駆られながら急ぎ執務室に足を向ける。


 向かった先の執務室は幾つもの部屋に分かれていて、その一つに案内された。丸テーブルには二人の人間が着席していて、クリスタと大臣の第一補佐官が給仕をしている。


「遅くなりました」


 五分以内に到着していたが謝罪して頭を下げる。エルマーが「そこに座りなさい」と、自分の右隣を差した。


「失礼いたします」


 緊張していたが指示通りに向かうと、背を向けていたもう一人の人物の顔を見ることになり、リンは思わず息を呑んで声を上げた。


「ユリス様!」


 大臣の正面に腰を下ろしていたのは魔法将軍であるユリスだった。

 驚くリンの声が聞こえたはずなのに、ユリスは正面を向いて僅かに視線を下げ微動だにしない。表情を欠落させ冷たい印象を与えている。人に声をかけさせない拒絶の雰囲気を纏ったユリスは、リンの良く知るユリスとはまるで異なっていて、これがユリスの仕事中の姿なのだと分かり、世間一般のユリスに対する印象は決して大げさなものではないと納得してしまった。

 これは確かに怖い――と思っていたら、エルマーから座るように促される。


「大事な養い子を預かる身として、食事でもしながら挨拶をと思ってね。さぁウイリット、座りなさい」


 言われた通りに座りながらユリスの様子を窺うが、ちらりとも視線を合わせようとしない。姿勢よく椅子に座っていて日頃のだらしなさが皆無だ。

 当然腕にうさちゃんは抱いていないし、寝癖の一つもなく――これは今朝リンが手伝ってきっちり整えたので当然であるが――纏う雰囲気に隙がなさ過ぎて、リンは返ってユリスをまじまじと見つめてしまった。

 

「さぁ、食べながら話をしようか」

「私から話すことはない。あなたを信用している。忙しいのでこれで失礼する」

「ユリス、待ちなさい」


 席を立ちかけたユリスにエルマーが声をかけ、白い手袋をしたままの左腕をテーブルに乗せると、何故かゴトッと異質な音がした。ユリスの瞼がほんの僅かに震えたのリンは見逃さなかった。


「私は彼女を使ってやましいことを企んでいる訳ではない。そう脅さなくても大丈夫だ、君の信頼に応える準備もある。さぁユリス、そこに座ってくれ。昼食を楽しもうではないか。ウイリットも私と二人きりではなく、君が同席すれば幾分安心だろう」


 エルマーの誘いに目を眇めしばらく考えた後、ユリスはゆっくりと腰を落としてナプキンを膝に広げる。それを合図にエルマーがカトラリーを持ち、よく分からない食事会が始まった。


「ユリス、ウイリットは早速今日から独り立ちして仕事をしている。さすが君の養い子だね、仕事を覚えるのも早いと指導係が感心していたよ」

「それはリンの実力だ。私の力ではない」


 視線を誰とも合わせない無表情のユリスがパンをちぎって口に運ぶと、スープを飲んでいたエルマーもパンに手を伸ばし、そのまま口に運んで歯で引き千切る。

 高貴な生まれの人なのに人前でマナー違反をする人なのだな……と考えながらリンもパンに手を伸ばしたところで、エルマーが「ああ、言い忘れていて失礼をしたな」とリンに体を向けた。


「私は左腕の手首から先がないんだ」


 そう言って左手を持ち上げて手を振る。エルマーが左手から手袋を外すと木製の義手が現れた。


「その義手は魔法具ですか?」


 魔法具なら本来の四肢同様に動かせるはずだ。


「いいや、私は魔法具と相性が悪いのでこの義手はただの見せかけだ。身体の欠損は人を驚かせかねないから一応つけているが、外しているのを目に止めることもあるだろう。その時は大目に見てくれ」

「驚くことはないのでご安心ください」

「それは良かった。君は優しいね」


 優しい? それはどうだろう。体の一部が欠損しているから驚くという思考の方がおかしいのではないだろうか。もしくは驚かれた経験が? それとも人と異なることを卑屈に感じている? ……と思ったが、相手は財務大臣。リンは余計なことを言わずに極力黙って食事を続けようと試みる。


「ああ、可愛いお嬢さんを隣にしているせいで大切な報告を忘れるところだった。ユリス、ウイリットが帰宅中に何かあってはいけないから、うちの息子たちを同行させることにした」


 ポトリ……と、ユリスが手にしていたパンが皿に落ちた。リンは「あ、落とした」と思ったが口にしない。しかし帰宅に関しては物申さなくてはいけないと分かっていた。何しろパンを取り落としたユリスが硬直したまま動かないからだ。


「テゲトフ様。お心遣いいただきありがとうございます。ですが私の帰宅に危険はございませんし、これまでも一人でやってまいりました。子供ではありませんのでご子息の負担は不要です」


 エルマーには息子が四人いると聞いている。上は二十三から下は十五まで。その全員が騎士団に所属する騎士だ。父親が財務大臣なので文官でないのが不思議だったが、エルマーが騎士出身で、将来は騎士団を統括する将軍になると噂されていたらしい。

 そのエルマーがどうして財務大臣なのかと不思議だったが、理由の一つが左手の欠損なのだろう。


「君は年頃の綺麗な娘で魔法将軍の養い子だ。勤務に関わる場所で何かあっては私の責任。言っただろう、報告だと。これは決定事項だよ」


 分かったかい? と問うようにグラスを掲げられては素直に頷くしかない。

 ユリスを窺うと、パンを取り落としたままの態勢を維持し続けていた。






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― 新着の感想 ―
[一言] 『将を射んとするならばまず馬を射よ』 が頭に浮かんだのですね。(誰の? 誰かの)
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