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1 主の死



 友好のために、ヴァイアーシュトラス王国の第一王女ラウラがベルクヴァイン王国の王太子クリュスに嫁いだのは、ラウラが十五の春であった。

 それから三年。

 素行の悪さゆえに廃太子されかけたクリュスが謀反を起こし、父王を討って王位についた。しかしその僅か十日後。討たれた王の弟でクリュスの叔父でもあるバヴェルに首を取られ、クリュスの王冠は早々に奪われることになる。


 当時、クリュスの妃であるラウラは臨月であった。

 友好のためヴァイアーシュトラスから迎えた王太子妃であったが、バヴェルは配下にラウラ暗殺を命じた。腹の子が男子であった場合に王位継承の正当性を訴えられ、再びベルクヴァインの平穏を脅かす存在となってはならないと考えたからだ。

 危険を察したラウラは少ない護衛と共に白城を抜け出し故郷を目指した。


 しかしラウラは身重である。

 それでも休みなく険しい道を突き進んだが、幾度となく追っ手に阻まれ、護衛は一人、また一人と命を落としていった。

 ラウラがようやく国境を超えるとなった時には、護衛も十二歳の少年魔法使いただ一人となってしまう。そして運の悪いことにラウラは産気づき、獣の彷徨う深い森で出産するに至ってしまった。


 手助けしたのは未熟な少年魔法使いただ一人だ。

 王城で人に傅かれる生活をしてきたラウラは、出産に関する知識もあやふやで酷い難産となり、子が産声を上げた頃には体力を使い果たしてしまっていた。さらにこれまでの無理や心労が重なり、自ら立ち上がり歩く力もなくなっていたのだ。


 何も分からないまま臍の緒や胎盤の処置をした魔法使いは、ぼろぼろになったマントに生まれたばかりの赤子を包んで片腕に抱くと、空いた腕を伸ばして今にも死にそうなラウラの腕を引く。少年の力ではラウラを背負って険しい森を進むのは無理だった。


「ラウラ様、頑張って。あと少しでヴァイアーシュトラスです」


 少年もラウラも血と汗と泥で汚れ、疲労で襤褸雑巾のようになっていた。ラウラに至っては地面に横たわったまま目を開けることすらできない。それでも腕を引かれ立ち上がる代わりに、最後の意思とばかりに首を横に振った。


「ごめんなさい、もう無理だわ。お願いユリス、この子を死なせないで」


 三年前、僅か九歳で異国について来てくれた魔法使いの少年に、生まれたばかりの子を託すしかなかった。

 有能な魔法使いになると期待された少年はラウラの弟と同じ年。異国の地でラウラが確固たる地位を築けるよう、持参金の一部として組み込まれてベルクヴァインに同行させられたのだ。


 ユリスには気付いた時から親がいない。

 あまりにも貧しく人として扱われることのない幼少期だったが、秘めた魔力と将来性を見出され、多くの人買いの手を経て城に上がり、ラウラの弟であるロエルの友人になった。


 ラウラは純粋な心根を持つ王女だった。過酷な過去をもつユリスを可愛がり、その少年を自らの持参金の一部として物同然にしてしまったことに胸を痛めていた。

 見知らぬ地に嫁いだラウラの心を慰めてくれたのはこの少年だ。

 夫となったクリュスは素行が悪く、押し付けられた妃であるラウラの相手をまともにしてくれなかったが、この少年だけは子供の特権を利用して寂しいラウラに寄り添い心を癒してくれた。

 ユリスは魔法使い。ぼろぼろになっているがラウラと違って逃げる力を持っている。ラウラは「わたしを捨てて」と懇願するが、ユリスは悲愴な顔で首を横に振る。


「駄目ですラウラ様。頑張って立って、お願いだから一緒に逃げて下さい!」

「無理よ、息をするのも苦しいの。ねぇユリス、お願いね。この子はリーンべティル……いいえ、リン。リンよ。分かるわね、ただのリン。ヴァイアーシュトラスとベルクヴァインの血なんて引いていない、ただのリンよ」


 リーンべティルは女の子が生まれたら名付けたいと考えた名前だ。知る者が他にもいることを案じてリンであると告げる。

 ラウラはこれ以上動けない。二人はラウラの死期が近いことを悟っていた。愛した人の子供ではないが、それでも腹に宿した子は愛しいとラウラはユリスに願う。


「リン、愛しているわ。こんな母でごめんなさい。お願いねユリス。リンをお願い。ユリスを縛り付けて、こんなにも酷いことを頼んで本当にごめんなさい。でもユリスしかいないの。お願いユリス。この子には自由に生きる道を与えてあげたいの。お願い――」

「ラウラ様っ!」


 ラウラは産まれたばかりの娘をユリスに託し、どうか生き延びてと願いながら間もなく息を引き取った。


 

 この後ユリスはたった一人でヴァイアーシュトラスに辿りついた。ユリスの証言によってラウラがベルクヴァインで受けた仕打ちや起きた悲劇が露見する。

 ラウラの直接的な死因は出産であるが、命が狙われ、ヴァイアーシュトラスがつけた護衛諸共命を落としたのは事実だ。政略結婚に危険が伴うことがあるとはいえ、友好のための嫁入りに仇なされ、命が失われたのに変わりはない。

 両国間の関係は最悪となり、当然のように戦争が始まった。そして戦いは長期に渡り続くことになった。


 決着がついたのはそれから七年後。

 生き延びた魔法使いのユリスが想像以上の力を付け、先陣に立ち、王女の仇を打ったのだ。

 そうしてベルクヴァインという国は消滅し、国土はヴァイアーシュトラスに取り込まれ領となった。


 終戦を迎えた後、ユリスは十九の若さで一人の戦災孤児を養女として迎えた。

 少女は七歳。

 この世界特有の黒い髪と瞳をしていたが、アーモンド形の一重瞼は珍しく神秘的な印象を与える娘だ。

 それが彼女の父親が持っていた特徴と気付く人間はヴァイアーシュトラスには存在しない。いたとしてもそれが何なのか。ユリスが口をつぐんでいる限り、真実を知る者は存在せず、何人たりとユリスから彼女を奪うことはできない。


 少女の名前はリン。

 ただの戦災孤児で、偉大な魔法使いとなったユリスの養女だ。


 養女を迎えたユリスは、大切な人を救えなかったあの頃とは違って有り余る力を身に付けている。誰にも邪魔はさせない。今度こそ守るのだと、力不足故に看取ることしかできなかった大切な人の言葉を、願いを叶える為だけにこの世界で生きていた。



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