第7話 奇跡の代償
『いつでもこの神界に来る事を許可するよ。神々の仕事を観察し、良く吟味してから決めるんだね。仕事場の案内と説明は、熾天使のガブリエルとラファエルが担当する』
先程とは打って変わり、青年の面になったブラフーマの口調はとても優しく穏やかだ。
『『…』』
2人の天使は無言で頭を下げる。表情から嫌々なのは分かる。
まぁ、こちらこそだけどね?
『ああそれと、彼女の適性を君は理解しないと始まらないだろうから、君には【記憶共有】の神の権能を授けよう』
「えっ?」
隼人は、ブラフーマに頬を指でプニっと突かれた。イタズラかな?
『とにかく、今は一度地上へと戻るが良い。娘も其方も、今は落ち着き頭を整理せねばなるまい?』
確かに、モブリアはまだ半泣きで落ち込んでいるし、奇跡だの神だので絶賛アイデンティティが崩壊中だ。
『私が送ります』
ラファエルに肩を触れられた隼人とモブリアは、不思議と気持ちが楽になった気がした。
「着いたぞ」
一瞬のうちに、あの宇宙空間風の議会室から消えて、2人は何故かタクシーの中に居た。
「「え?」」
しかも場所は、養母が入院している病院の前だ。
「人間。其方は、早朝から自転車とやらが必要なのだろう?」
タクシー運転手姿のラファエルは、隼人の仕事のスケジュールまで把握しているらしい。
と言うよりも、一体いつから監視されていたんだ?
時間も、神々に呼ばれた時から然程も経っていないらしい。
「モブダリア様は、宿泊先まで送ります」
ラファエルの、俺とモブリアに対する態度が明らかに違う。
彼女が半神から神に昇格した事で、天使の立場上、対応を改めたのだろう。
隼人がタクシーから降りると、ラファエルが助手席の窓を下げた。
「…直ぐに神界に発てるように、身辺整理を済ませておくことだ。3日も経たぬ内に、其方の存在は全ての者達の記憶から消える事となるだろう」
「な…⁉︎それはどういう意味…⁉︎」
ラファエルは答えずにタクシーを発車して去ってしまった。
駐輪場の自分の自転車を回収して自宅へと帰る道中、先程までの事を考えるが、何一つ現実味を感じない。
ひょっとしたら、俺は壮大な夢の中にいるんじゃないだろうか?
もしくは突然死んでしまったとか?だとしたら、実の言うように過労死か?
「そもそも、ブラフーマなら彼女の問題なんて直ぐに解決できるだろうに。俺は巻き込まれただけじゃないのか?」
『何だ、もう泣き言か?』
背後から声がして振り向くと、今度はガブリエルがいた。
『やはり人間は、直ぐに諦めてしまう生き物なのだな』
ガブリエルは、いつの間にか隼人が押す自転車の後部荷台に座っていた。
『其方は、至高なる神の1柱たるブラフーマ様に宣言した。新々たる女神モブダリア様は、役立たずではないと。ならば、それを証明するのが、其方の使命だろう?』
優しい顔立ちのラファエルとは対照的に、ガブリエルは生真面目で堅苦しく見える。
「証明?生憎と俺は忙しく、日々働かないといけないんだ」
『母の治療費か?無意味だ。彼女は既に完治している。神力の奇跡によってな』
ガブリエルも完治と言うのか。やはり神の力というのは凄いらしいな。
「別に必要なのは治療費だけじゃないさ。他にも…」
『無意味だと言った。母の記憶処理は完了したからな』
「は?今、何て言った?」
『たった今、神の奇跡に関わった者達の記憶を消し終えたと言った』
自転車を倒し、ガブリエルを掴もうとしたが、腕がガブリエルの体をすり抜けてしまう。
『…奇跡に代償は付き物だ。本来、時期に尽きる筈だった運命を変えたのだ。その行為により、どれだけの神々や天使達が動く事になったと思っている?その苦労を減らす意味でも、早く身辺整理を済ませろ』
いくら掴み掛かろうが、実体が無い幽霊のように触れることができない。
「ふざけんなよ!理不尽なこんな別れ方…!」
疲れ果て項垂れる隼人に、ガブリエルは軽く溜め息を吐いた。
『物事には無意味な事がある。だが、無駄な事は無い。考えろ。今、嘆き止まることは無意味だ』
ガブリエルはそう述べた後、煙の様に姿を消した。
その後、隼人はしばらく呆然としていたが、俯きながら実家へと入った。
玄関を開けた瞬間に、蘇る養母と過ごした記憶。
身辺整理を済ませろということは、この住み慣れた家からも出ろという事だ。
自分の部屋を開けて電気をつけると、机の上に見慣れない紙が一枚置いてあった。
めくって見ると、裏に見慣れない文字(ヒエログリフをより文字らしくしたもの)が書かれてある。
その文字が光り出し、紙を持つ手に電流が走った。
「痛っ!」
軽い痛みの後、何故かその文字が読めるようになった。
『追加の権能を与える。【言語理解】【亜空間収納】【看破眼】、上手く使え。ブラフーマより』
俗に言うチートスキルとかいう奴か。実から借りたラノベでよく出てきたな。
「亜空間収納」
試しに唱えると、黒い渦が目の前に現れた。近くにあった雑誌を投げ入れてみる。
「…吸い込まれた。しかも、脳裏に入った雑誌の情報が出ている。なるほど、これを使って私物を収納しろって事か」
渦の入り口は広げられるようで、8段本棚を丸々飲み込んだ。
「これがあれば、引っ越しの荷造りも一瞬だな」
養母に引き取られてから13年の荷物は、最も簡単に収納してしまった。
自分から養母にプレゼントした物まで、回収しなければならないのだろうか?
養母の部屋に入った隼人は、写真立ての前で思わず泣きそうになった。
写真には、嫌がりながらも養母と映る小さな隼人がいた。
養母は、隼人から貰った下手なイニシャル刺繍入りのスカーフを嬉しそうに持って笑っている。
「…クソッ」
天使の奴等に処分されるよりは、自分が持っていた方がマシだと、隼人はそれ等も収納することにした。
「……」
気がつけば23時。
残る身辺整理といえばバイト先だが、関係者の記憶が消されるのなら、日雇い労働の工事現場と清掃業の会社は、引き継ぎも無いので連絡無しでも構わない。
ただ、警備会社、牛乳配達、新聞配達は月契約だし、引き継ぎが必要だ。
俺が働いていた警備会社は、…人材不足なんだよね。
ただ、時間指定で働いていたから、抜けても支障は少ないだろう。
あの新人達が続いてくれれば助かるけど。
配達会社には、明日伝えて代わりが居たら引き継ぎだな。
グゥ~と腹が鳴った。そういえば、今日は大した物を食べていない。
借りていたラノベを返すついでに、GO GO1のカレーを食べるとしよう。
あのカレーの味を考えたら、少し気分が楽になった。
隼人は自転車に跨り直ぐに向かった。
「いらっしゃいませ、こんばんは~」
聴き慣れた実の声に、思わず笑顔が溢れそうになる。
「実、いつもの隼人スペシャルをお願い」
「はい?」
実は首を傾げる。
「…マジか…」
それは、気心の知れた幼馴染ではなく、初対面の客という反応だ。
実の肩越しに、カウンターに座る客が見えた。
その客は、見覚えのある羽付き帽子を被っていた。
「すみません、ビーフソース3辛、ライス600g、トッピングにチーズ、パリパリチキン、ゴロゴロ野菜でお願いします」
「あ、はい。注文入りました~!」
隼人は注文した後、その客の隣に座った。
「いやぁ、不思議な味だね?口中の傷ががピリピリするよ」
頬が腫れあがっているその客は、笑顔で隼人に話し掛けてくる。
「…ここの記憶消去が終わったなら、帰ったらどうですか?」
「いやぁ、ソレは私の仕事じゃないからね?私はただ、君と話がしたかっただけさ」
早いとこ、ここから出て行けと遠回しに言ったのだが、ヘルメスは2人で話をしようと、そう答えたのだった。