第3話 代価
小鳥の囀りが聞こえだし、いつのまにか布団の中で寝ていたモブリアは目を覚ました。
「あれ、私…?」
見覚えのない部屋を見渡す。部屋の隅に自分が着ていた服が畳まれて置いてあった。
それを見てようやく、ハッと昨日の出来事を思い出した。
寝室を出て居間へと向かうと、部屋の机には書き置きと朝ご飯が置いてあった。
「隼人殿?」
家内を捜索するも、誰も居なかった。確かに留守にするとは言っていた。
言える立場ではないのだが、かなり不用心だと思う。
「…どの世界にも、善人はいるのだな」
透明な膜で覆われた皿には、小ぶりなパンと卵焼きが乗っていた。
「…有難く頂きます」
ペリッと膜を剥がすと、香ばしい匂いがする。
それに釣られて腹が鳴り、モブリアは遠慮なく食べ始めたのだった。
10時を過ぎた頃、玄関から鍵を開ける音が聞こえた。
「ただいま」
例え返事をする相手がいなくても、落ち着く場所でのこの習慣は変わらないものだ。
それに、今日は限定的だがモブが居るからな。少し返事を期待していたのも事実だ。
「時間通りですね」
期待した出迎えは無かったが、彼女は居間からひょっこりと顔を出し頭を下げた。
「少し仕事着から着替えますから、準備を済ましていて下さい」
軽めのシャワーを浴びて、直ぐに着替えを終えると、モブリアも荷物まとめて玄関で待っていた。
思えば彼女の荷物は、少し風変わりな刺繍が施されたバックパックだけだな。
旅行者にしても慣れない土地に来たにしては少な過ぎる荷物量だ。
「では行きましょうか」
実家を出た2人は、チラホラとシャッターが閉まるやや廃れた商店街に向かう。
目当ての古美術商店は、商店街でもかなりの古株で店主は4代目らしい。
「今から会う人は、古美術を取り扱う須藤さん。売りはオークションが主で、買取が専門だから安心して売れる筈だよ。今更だけど、売って良かったんだよね?その金貨」
そもそも入手先を知らないからね。盗品じゃない事を願うけど。
「この金貨は、かつて母が父から貰った物です。父を探す貴重な手掛かりの一つではありましたが、困った時には使用して良いと言われておりますので、大丈夫です」
何気に気になるワードが幾つかあったが、ここはスルーする。
着いた商店は明らかに昭和感が漂う店構えで、古い引き戸を開けると上品なお香の匂いが漂っている。
「すみませーん」
2人はゆっくりと店内に入った。
「はいよ~」
現れたのは60後半の白髪混じりの男性。雪駄に甚平姿の格好は、とても古美術商人だとは思えない。
「おっ、ハヤ坊じゃねぇか。そのネェちゃんが、朝っぱらから電話してきた要件か?」
「ええ、そうです。彼女はモブリアさん。品売りの依頼です。モブリアさん、彼がこの商店の主の須藤さんです」
モブリアと須藤は、お互いに頭を下げた後、軽く握手を交わす。
「んじゃ、見せて貰おうかな?」
モブリアは金貨を取り出してカウンターへ置くと、須藤はルーペを取り出して鑑定を初める。
「ほぅ、3枚とも本物だな。全部売りで良いんかい?」
「はい、構いません」
「そうかい、ちょっと待ってな」
須藤は奥の部屋へと一度引っ込み、しばらくして分厚い紙封筒を持ってきた。
「どれも品質が良かったから、1枚85万だ。締めて255万円、確認してくれ」
モブリアは、受け取った封筒をそのまま隼人に渡す。
「あ、ああ、確認ね?」
この店はマネーカウンターを使用しているから間違いなく指定数あるのだけれど、束括りしていない端数の55万は彼女に分かるように数えて見せた。
「大丈夫です。ちゃんとあります」
「あの、その中から隼人殿が受け取るべき額を抜いて下さい」
「言った筈ですよ?私は須藤さんから仲介料を頂くので、いりませんって」
本当はこちらから頼んでいるので、仲介料なんてもらわないけど、話を合わせてもらう為に須藤には合図を送る。
「そうだぜ、ネェちゃん。その金はあんたの大事な金貨の代価となった金だ。ハヤ坊には私から礼はする。だから、あんたはその金をちゃんと自分の為に使うんだな」
「しかし、食事代だけでなく…」
ピリリリッ。
いきなり音が鳴り、隼人が携帯電話を取り出した。
「はい、はい。今からですか?はい、…はい、大丈夫です。直ぐに伺います」
「なんだ?急な仕事かよ?相変わらず忙しいな」
17時から入る警備会社の仕事から、事故による欠員の為に急なヘルプが入った。
「すみません、須藤さん。俺の代わりに彼女に、ホテルと興信所の紹介をお願いできますか?」
「おいおい、ハヤ坊が世話している娘だろう?最後まで自分が面倒見なきゃいかんだろ」
須藤が言う通りだが、欠員した人が資格持ちのチーフだった為に、他に施設警備業務資格を持つのが隼人だけだったのだ。
チーフがまだ搬送されたばかりで新人達2人も現場に居るらしく、どうすれば良いか困っているらしい。
「急を要する案件なんで、どうにかお願いします。仲介料はチャラで良いんで」
「チッ、しゃあねぇなぁ。分かったよ、後は俺に任せて行ってきな」
「隼人殿…」
2人に頭を下げて、隼人は現場へと向かって走り出した。
「既に凄い人集りだな」
その現場というのは、県内でも有名な新学校。
つい先日、この学校では不可解な事件が起きた。
校舎の1クラスが光に包まれて、集団で神隠しにあったのだとか。
教室は洞窟と入れ替わっており、調査が入る事が決まり、その校舎は立ち入り禁止となった。
その管理を、警察と隼人が勤務する警備会社が担当していたのだ。
隼人は野次馬を避けながら、立ち入り禁止のロープを潜り仲間達の下に駆け寄る。
「2人共、大丈夫?会社から連絡を受けて来たけど、状況は?」
「隼人先輩!そ、それが、監視地域でチーフが不審者を発見し、乱闘になり負傷しちゃったんです!」
「し、しかも、ソイツは中から現れたんですよ⁉︎」
2人はチーフを運んだ時に着いた血がそのままで、かなり切羽詰まる状況だったのだと分かる。
「それで、ソイツはどうしたんだ?」
「チーフに警棒でやられて、中に逃げちゃいました!その隙に2人でチーフを運び出したんです!」
「会社にも、警察にも連絡は入れました!だけど、俺ら、奴を出しちゃいけないって、離れられなくて…」
「駆けつけた警察が、今は中に突入しています。さっき、発砲音もあって、もう怖くて…」
2人共、かなり震えている。まだ入ったばかりでこんな事態に遭うとは災難だな。
「おい、誰かシート持ってこい!」
警察官の1人が校舎から出てきて、応援を呼んでいる。
入り口には複数の警官が、子供らしき姿の人物を寝かしていた。
「あ、俺、避難用シート持ってます」
隼人が携帯用の避難用シートを持って向かうと、そこに寝かされていたのが後輩達が言っていた奴だと分かった。
「緑の肌…」
裸に腰布を巻いただけのその緑の子供は、長く垂れ下がる耳と醜い顔をしていて、口の回りには血が付き、体には警棒による打撲痣があった。
左肩には銃創がある。警官が発砲したものだろう。
「シートです」
隼人がシートを広げて渡すと、警官達はソイツの手足を拘束してシートで包んだ。
「コイツはこのまま研究所へ運ぶぞ。2班は引き続き中を調べろ!」
指示を出していた警官達は、包みを担いで足早に立ち去って行った。
どうやらまだ生きているらしいが、荷物のように持ち歩くのは流石に引くな…。
「先輩、あれって…、ゲームとかに出てくるゴブリンって奴じゃ…?」
「…分からない。まぁ、とにかく奴は捕まったみたいだ。今は2人共、体を休めてくれ」
その後は警察以外にも、特殊機関らしき者達が来て、事情聴取や、緘口令等、現場の引き継ぎに関する話などまで出て、隼人達が開放されたのは夜中だった。
携帯電話には、須藤さんからの伝言が録音されていて、彼女の件は全て大丈夫と言っていた。
本当に助かる。
「あっ、工事現場のバイトの時開始間過ぎてる。…電話して今から向かうか」
通常ならこの仕事量は考えられないが、隼人には早く多くのお金が必要なのだ。
ババアの手術費用…プラス入院費。
養母は必要無いと騒いだけど、俺には返す義理がある。
手術日は近い。足りない金額的にも、今は一時も休む間は無いのだ。
気合いを入れ直した隼人は、次の仕事場へと駆け出すのだった。