001
生まれたその時から、私はある力を持っていた。
『持つ者に持たざる者の気持ちは分からない。』
生きていく上で自然に理解していくその摂理を、私が理解したのも物心付いて少しした時だった。
何度言っても伝わらないこの感覚。私と彼らが違う存在だと知ったのは、噂話が好きな一人の大人によって与えられた情報からだった。
『魔女』———それが私の正体。居るかも分からない『神』によって、その力の片鱗を与えられた———人とは似て異なる生物。
世界各地で現れるようになった魔女は、多種多様な在り方を示した。
人に取り入る者、人を従わせる者、人の助けになる者……その中でも私は、何にもなれなかった。
『魔女』が魔女たる所以である能力——『魔法』と呼ばれるそれは、『魔力』と呼称される、魔女にしか扱えないエネルギーを用いて超常現象を引き起こす事を示す。
『魔法』は、確かに人々を助ける力となる。けれど私は———『魔法』を上手く扱えなかった。
「他の魔女なら、これくらいは出来る」
「特別な存在であっても、結局何も出来ないのね」
「貴女、もっと頑張れないの?」
普通の人間と同じ様に、魔女にも得意な魔法があった。『神性』と呼称される、魔女固有の特性だ。火を起こす事が出来たり、数百人分の力を持っていたり、傷を治す事が出来たりするらしい他の魔女に比べて、私が得意としていたのは———。
「それだけ疲弊して、この程度?」
「居てもいなくても変わらないな」
「———寧ろ、恐ろしくさえある。何せこいつが願えば、私達を殺す事さえ容易い」
———『望みを叶える事』だった。心の底から願った事象を引き起こす。原理も、理屈も、過程も全て無視して、強引に結果を手繰り寄せる。これだけは、何も分からなかった私にもすぐ出来たから、これが私の『神性』なのだと直感で理解できた。
———しかし、私は『人間』に受け入れられなかった。
「恐ろしい」「怖い」「機嫌を損ねたら……」
「使えない」「他の魔女だったら良かったのに」
魔女としての私に対する不満が募る。知りもしない他の魔女に期待して、期待に応えない私に侮蔑の目を向ける。
「———出ていけ、化け物」
ある日、一人の男がそう呟いた。或いは、ちょっとした冗談だったのかも知れない。けれどその一言は、瞬く間に小さな集落での総意になった。
「出て行け」「お前は俺らとは違うんだよ」
「二度と姿を見せるな」「化け物が」
———そして、私は『人』と関わるのを辞めた。
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…………鳥の囀りと、風に揺られる木々の声。鼓膜を揺らす自然な音達に、いつしか寝てしまっていた事を理解する。
嫌な夢……という程でもないか。気にならなくなって久しい記憶は、今でも偶に思い出す。
『人間』と『魔女』。揺れるロッキングチェアの上で、微睡ながらも頭を働かせる。
———ここは、まだ人間の手が及んでいない、深い森の中。人間にとって、魔女がどういう存在なのかを理解した以上、わざわざ関わる事も無いだろうと考えた私は、人気の無い場所で密かに暮らす事を選んだ。生きる理由がある訳では無いが、死ぬ理由も無い為に今もこうして細々と生きている。幸いにも、『魔女』の力は独りで生きていくのに不足する事は無かった。以前住んでいた家を模倣し、最低限の生活空間を整えれば、特に苦も無く生活が送れている。
「……ん」
偶に。本当に偶に、街に繰り出して日用品や雑貨を購入している。勿論、私の事を知る人は居ないし、居たとしても、顔は隠しているのでまず発覚する事はないだろう。
さっきまで膝の上に乗っていて、今床に落ちた一冊の雑誌もまた、私が街で買ってきた物の一つだ。腕を伸ばしてそれを手に取れば、丁寧な装丁と、表紙に刻まれたタイトルが露わになる。
『魔女』とはいえ、人としての教育を受けていない訳ではない。魔女だと発覚する前は人として育てられていたし、魔女になってからも情報収集は怠っていない。文字も読めれば、会話も問題無いのだ。
タイトルを指でなぞる……本は良い。自分のペースで、著者の心に触れることが出来るから。その中身が例え、私にとって受け入れ難いことであっても、時間を掛ければ何か変わるかもしれないから。
タイトルは『Alpharia』……とある街の地方誌と言った所か。何故購入したのかといえば、現在のこの街は、ある事で有名だからだ。
———曰く、『魔女』が支配する街であると。
魔女が支配し、人間が支配されている。その関係に影があったとしても、凡そ初めてだろう『共生』の道を選んだ彼らが何を思うのか。例え、私には縁の無い事だったとしても、あり得た未来の一つとして興味があった。
彼らは———『魔女』を恐れていなかった。
街を支配する魔女——『Aria_Fallray』は、民に恐れられる前に自分から力を示した。そしてその力を——民を助ける為に使った。
私と異なったのは、彼女の『人間』への考え方。彼女は人と自分の関係を『対等』ではなく、『庇護』の対象であると宣言した上で、人間との交流を始めたらしい。それを受けた民衆は、自分達を守ってくれる『魔女』に感謝するようになった。
……私にはない、『強さ』を以ってして、彼女は『人間』との共存を成し遂げた。
全ての魔女が、『人間』との共生を望んでいる訳ではない。寧ろ『Alpharia』の事例は珍しく、その他の地域では『魔女』が恐怖の対象である事が殆ど、そうじゃなくても、良い扱いはされないのが現状だ。そして、酷い扱いに対する抵抗として、『人間』への攻撃を行う。その攻撃がまた、『恐怖』を生み出す事で溝が深まっていく。
……そんな負の連鎖に、身を投じる気にはなれなかった。その一方で、彼女のような強さがある訳でもない。どちらにも振り切れない私は、『今はまだ早い』と言い訳を重ねて、現状維持の甘味を享受している。
———夢を見る。いつか、もう一度『人間』と関わる機会が訪れた時に。もしくは『魔女』であることを辞めようと思った時の為に。来る保証もない“いつか“に期待して、関わる事なく彼らの心を知る。
最初は何も無かった部屋は、今や物で溢れかえっている。情けなく繰り返した知覚は、手に持つ雑誌で一つ増えた。かと言って何かが変わる訳ではなく、今日もまた、無為にした日々のカウントが増えて一日が終わる。
知覚と日々と。増え続ける数値を止める手段を模索しないまま、これからも生きていく———期待する”いつか“が訪れるまで。
———きっかけは突然に。定数的に増えていた知覚は、それから爆発的に増える事になる。“いつか”がすぐそこまで迫っている事も知らずに、私は小さく溜息を吐いたのだった。
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『ありがとう』
———くしゃくしゃになった小さな紙に、私のクセが少し残った拙い字。間違いなく『彼女』が書いたと思われるそれは、彼女が生活していた廃屋の壁に貼り付けられていた。
「なに、これ…………」
何かの裏紙だろう、文字が書かれた紙を手に取り、何も無いと分かっていても裏面を確認する。案の定、彼女が書いた五文字以上の情報は得られない。
「……っ、アルトちゃん!」
この言葉が自分に宛てられてる保証はない。けれども、直感から生じる焦燥を胸に、この紙を書いたであろう少女の名前を呼ぶ。
「アルトちゃん!」
何度も、何度も何度も何度も。返事が無い事を理解したくない私は、静寂を自分の声で掻き消す。
元より広くも無ければ、物も無い廃屋は、少し探せば人の有無なんてすぐ分かる。それでも、何かが見つかると信じて、彼女が暮らしていた廃屋を捜索し続ける。
———無い。彼女の姿は勿論のこと、彼女が暮らしていた痕跡もない。私が渡した筈の物も全て無くなっている。
「———やっぱり!」
廃屋を飛び出す。考えなかった訳じゃない、いつか訪れるとは思っていた。だからこそ彼女に寄り添って、そうならないようにしていた———いや、しているつもりだった。
———アルト。少し不器用で、人との交流が苦手な少女。身寄りもなく、決して愛想が良い訳でもない彼女は、私の住む村で———虐げられていた。
私一人の力では、彼女を取り巻く環境を変えてあげる事は出来なかった。それでも、彼女の心の支えになれるように、なるべく多くの時間を彼女と過ごしていた。けどそれでも———足りなかったのだろう。
居場所が無いだけでなく、そこに居るだけで虐められる場所に、留まりたいと思う訳がない。
悪意ある住民に追い出されたのか、それとも自分から出て行ったのか。どちらにせよ———彼女はこの村を捨てる事にしたのだ。
廃屋を飛び出して向かうのは、村の中心地付近。外れにあるここからは少し距離があるが、息が切れても足を動かし続ける。
——まだ間に合うかもしれない。そんな淡い期待と共に、人気のある所へ走る。
「……はぁ……はぁ……ッ!」
「そんなに息を切らして……何かあったんですか?」
見つけたのは、この村の数少ない男手の一人である村長の息子さんだった。彼は、今にも倒れ込みそうにふらつく私を支えると、真剣な顔つきでこちらを覗き込む。
「———アルトちゃん」
息を整え、彼に感謝を告げてから彼女の名前を呼ぶ。彼の表情は、少しだけ苦味を帯びた。
「どこ」
「……アリンさん」
「君に迷惑は掛けない。心配もさせない。だから教えて」
彼を薄情などと罵るつもりはない。集落という閉塞的なコミュニティの中で、周りの機嫌を損なう事がどれだけ危険かなんて分かり切っている。それに、彼のお父さん——村長は、誰よりもアルトちゃんを追い詰めていた人だ。表立って気に掛けるのが憚られるのも理解できる。一人村を離れる彼女を引き留める訳にはいかなかったし、もっと言えば私が追いかける事さえして欲しくないと思ってる。
「……少ない荷物を持って、村を出て西の森に向かいました」
「———ありがとう」
迷惑も、心配も掛けない。そう言った以上、彼女を追える時間には限りがある。
———世界は残酷だ。群れていない人間が生きていける程、世界は優しくない。ましては、まともに育てられてきていない彼女なら尚更だ。
……日が落ちるまで。それが限度だろう。日が落ちてしまった場合、明かりも、道標もない森の中から生きて帰れる保証は無い。彼女を見つけたとしても、連れ戻せなければ意味が無い。
日が落ちるまでに見つけられなかった場合は———。
その続きは、考えないようにして。
彼女を追うように、私も森に向かった。
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