オマージュやパクリだから作品の評価が下がるのか、ついでにオマージュと言われた作者たちへの激励
小説、漫画、映画、絵画、音楽などありとあらゆる原作作品には『似る』という行為を含みます。それがどんなに良い作品だろうとしても、過去に作られた作品を意識的にか、無意識的にか、それとも奇跡的にか、似ることになります。
恣意的にですが一つ例を出します。
2020年に大々的にヒットした『鬼滅の刃』という作品がありました。プロットを大まかに言えば、悪い鬼を主人公が退治するという物語でした。そして、このプロットを読めば日本人の大半が桃太郎との類似性を感じると思います。
あるいは、それは昔話だからオマージュにならないというトンデモ理論を展開する人もいるかもしれません。そういう人は『銀魂』を読んだ後に同じことが言えるのでしょうか。『銀魂』では芸術系作品どころか、政治家や芸能人の不祥事すらオマージュにします。
しかし、『鬼滅の刃』や『銀魂』はつまらないでしょうか。いいえ、そんなことはありません。
結局、オマージュだ、パクリだ、と騒ぎ立てる人は自分が好きではない作品やつまらなかった作品を批判するための理論武装をしたいだけなのです。
オマージュやパクリをするから作品の評価が落ちるのではありません。純粋に作品がつまらなかったのです。
ここからは余談ですが。
批評されるほどつまらないということは悲観することではないからです。あなたは本当につまらない作品の酷評をしますか。最近、『ウマ娘』という作品が流行ったそうですが私は興味がなかったので視聴すらしませんでした。そして、視聴すらしていないので良い評価も悪い評価もしませんでした。あるいは、視聴しても「ふーん」という感想で終わったのかもしれません。
つまり、酷評されたということは少なくとも一作品を見てもらえ、作品を見る前に強い期待を持ってもらえたのです。故に、製作者の方々は身をにじりきられるほど酷評はつらいですが、あなたを期待してくれている方が酷評の数だけいるので作品作りを励んでください。視聴者や読者は鶏以下の頭なので前の作品がいくらつまらなくてもあなたの作品が面白ければ掌を返したかのように称賛を与えてくれるでしょう。
なんでウマ娘って競馬が題材なんでしょうか。
陸上だとダメだったのでしょうか……。