第七話 公私混同、あるいは
夏休みが終わって、数日後。
いつもなら『三人』で学校に行っているんだけど、今日は私とミィナの『二人』だった。
『ちかげが、あんな奴のものになっちゃう……!!』
『ちょっ、待ってっ。ミィナ、どういうこと?』
『「草薙」、って人が、ちかげを……!!』
あの日からよ。
『草薙』の御曹司にして次期社長の草薙大蛇とかいう奴に何事か耳打ちされた千景は抵抗することなく連れていかれたのだとか。
『ごめんなさい』、と。
そんな言葉を残して、今日まで全く連絡がつかないし、『古き良き』千景の家に行っても門前払いされてしまう有様なのよ。
「ねえことね……。ちかげ、大丈夫だよね? 戻って、くるよね……?」
「……ッ」
事情なんかわからないけど、『草薙』なんていう世界的大企業の関係者が出てくるほどの『何か』よ。『東雲グループ』のご令嬢である千景には私たちが知りようもない『何か』があって当たり前で、その『何か』が例の男についていくのを良しとしたなら、平凡な学生に口出しできるものじゃない。
だから、だけど……。
「大丈夫だよ。大丈夫なんだから」
「うん。……そうだよね」
縋るように。
伸ばされた手を私は握る。
自分の望みすらわかっていない私だけど、これだけは言える。これは違う。こんな結末は絶対に違うんだから。
ーーー☆ーーー
無機質な電子音だけが連続していた。
学校に来たのはいいけど授業に出る気が起きなかった私は(千景から鍵を預かっていたので)屋上の柵に寄りかかりながら、スマホを耳に当てていた。
あの日から、千景とは連絡がつかない。
だから、今回も同じだろうとわかっていて、それでもこうして電話をかけているのは認められないからだ。
千景が『東雲グループ』という大きなものに関わらざるを得ない立場なのはわかる。私のような平凡な女ではわからないような『何か』を背負っているのも、まあわかる。
だからといって、こんなの認められるわけがない。何の説明もなく、こんな空虚でつまんない結果だけを放り投げられて、はいそうですかと頷けるわけないじゃん!!
何があったのよ、バカ。
アンタ、一体全体何に巻き込まれているのよ!!
無機質な電子音が続く。
今日もまた繋がることはない。
そのはずだった。
がちゃり、と。
繋がり、無機質な電子音の代わりに聞き間違うわけがない親友の声が響く。
『琴音ちゃん』
「千景っ。ようやく出たわねっ。あの日、何があったのよ! 何で今日まで姿を消していたのよ!? アンタ一体何を背負って──」
『いい加減にしてください』
ひどく。
冷たく、鋭利な声音だった。
そう、まるで、あの夢の時の千景のような。
だけど、不思議とちっとも怖くなかった。
だって。
冷たく、鋭利な声音で覆い隠そうとしたって、今にも泣き出しそうな本音が伝わってきたから。
『毎日毎日しつこいんですよ。わたくしにも立場というものがあります。いつまでも、庶民にかまけて遊び呆けているわけにはいかないんです』
「…………、」
『はっきり言って鬱陶しいんですよ。ちょっと遊んであげていただけで親友ツラして縋り付いてきて、身の程を知らないにも限度があるとは思わないんですか? 邪魔です、不愉快です、もうわたくしには関わらないでください。いいですね?』
色々と言いたいことはある。
多分、つつけば簡単に崩れそうだけど、そんなのは今はどうでもいい。
せめて、一つだけ。
一つだけでいい。
「あの日、何があったのよ?」
『…………、』
「これだけは答えて。答えてくれたら、もうしつこく連絡したりしないから」
『…………、』
「答えろ、東雲千景ッッッ!!!!」
そして。
そして。
そして。
『草薙大蛇と結婚することが決まったんですよ』
ブツッ、と。
それを最後に通話は終了した。
しばらく私は何も言えなかった。奥歯を噛み締めて、それでも震えが抑えられず、全身から異様な熱が湧き上がってきて──思いっきり屋上の柵に拳を叩きつけて、こう叫んでいた。
「ふざけんじゃないわよ、ちくしょう!!」
ーーー☆ーーー
「これでいいんです、これで……」
東雲千景は通話終了を示すスマホを眺めながら、己に言い聞かせるようにそう言っていた。
彼女が背負う『何か』はもう彼女だけの問題ではない。従うしか選択肢はなく、ならばきちんと切っておくべきなのだ。
万が一にも巻き込まないように。
「ミィナには……ははっ、できるわけないですよね。今ミィナの声を聞いたら、せっかくの覚悟が砕け散ってしまいますもの」
だが、それは安藤琴音が相手でも同じだったのかもしれない。最後のあの一言は余計だった。わざわざ本当のことを口走るくらいには、こぼれ落ちてしまうくらいには、揺らいでしまった。
「…………、」
『東雲グループ』を凌駕する世界的大企業『草薙』の次期社長との結婚。誰もが羨む薔薇色の人生なれど、それが東雲千景の幸せに繋がるとは限らない。
あの日、安藤琴音に引っ張られて外に出た彼女はミィナ=シルバーバーストと出会ったのだから。
自身の幸せは『東雲グループ』の外にこそあるとわかったのだから。
だけど、それでも。
自身の幸せのためだけに大勢の人間を不幸になんてできるわけがない。
ーーー☆ーーー
「なんだよ、クイーン。遊びが過ぎるって?」
『────、』
「わかってねえなあ。ほら、あれだ、最近日本にできたウェブ小説ありきの遊園地知ってっか? 転生だの無双だの悪役令嬢だの、色々と定番はあるが、その中にこんなのがある。奴隷だの家族に虐げられているだのってヒロインに優しくすりゃあ懐かれる。つまり、弱っている奴の好感度を稼ぐのは簡単だって話だな」
『────、』
「こっちの思惑を見抜かれたっていいんだよ。ああいう連中は恩義という形にしてやれば無視はできねえ。まあそれを踏まえても遊びが多いのは認めるがな。で、だから? 公私混同の何が悪い???」
『────、』
「はっはっはっ!! 俺なんかを招いた時点で好き勝手されるのは目に見えていただろ」
『────、』
「ああ、もちろん最終的にはこちらの一人勝ちだ。あんなのを好き勝手させてやがる既存の手駒の首輪をぐいっと絞めると共に、新しい手駒が手に入るんだから。つーわけでよろしくな」
ブツッ、と。
通話を終えて、『彼』はこう呟いた。
「さて。公私混同という体裁を整えてクイーンを利用できそうだし、そろそろ動くとするか。ここまでやったんだし、いい加減本音を曝け出してくれりゃあいいんだがなあ」