第六話 夏休みを楽しもう
安藤琴音の風邪が治り、しばらくして到来した夏休み。
それも来年は受験で忙しくなることを考えれば、高校二年の夏は思いっきり遊べる最後の夏になるかもしれない。
ゆえに、『三人』で遊びに遊んだ。
海に山にお祭りにと、とにかく思い浮かぶものは全て。
そう、『三人』で。
結果だけ見れば、いつかのデートと同じようなものなのだろうが、ミィナ=シルバーバーストは違和感を感じていた。
普段なら、二人っきりは緊張するからと『三人』を選んだことに対して安藤琴音が何事か口を挟むはずなのだ。それが、全くなかったのだ。
最初は、愛想を尽かされたかと思った。
一年近くも前に進めていないミィナに怒っているのではと思ったのだが──少なくとも、そうではなさそうなのだ。
『三人』で遊んでいる時も、恋愛相談を受けている時も、苛立っている様子はない。
ただし。
どこか寂しそうな、いいや辛そうにしている気がする。
不甲斐ない自分に苛立ちを覚えているのならばいくらだって頭を下げるし、(手を抜いていたわけではないが)より一層頑張るつもりではあった。
だが、本当にそれだけでいいのか?
何か見落としているのではないか、とミィナは悩んでいた。
「ちかげ……最近の、ことね……どう思う? うまく言えないけど……何か、おかしい、気がする……」
「確かにわたくしも気になってはいました。話してくれるまで待っていようとも考えていましたが、こちらから尋ねてみても良いかもしれませんね」
「うん……そうだね」
と、その時だ。
安藤琴音が来るのを二人で待っていたその時に『それ』はやってきた。
ーーー☆ーーー
夏休みも中盤に差し掛かったその日。今日も今日とて『三人』で遊ぶ予定だったのだが、すでに集合時間を過ぎていた。件の安藤琴音は集合場所である駅前から離れた寂れた公園にあるブランコに腰掛けていた。
ぎし、ギヂッ、と錆びたブランコが軋む音が連続する。ゆらゆらと小さく揺れる彼女は忌々しいほどの晴天を見上げて、一言。
「はぁ……。なにやってるのよ、ちくしょう」
怖かった。
怖くて怖くて仕方なかった。
夢はあくまで夢であり、現実の千景とミィナは『あんなこと』は言わない。そんなの安藤琴音自身が一番わかっている。
だからといって。
千景とミィナが付き合ったその後、三人から二人と一人になるのが現実ではないか。
覚悟は、していたつもりだ。
『友人』と『恋人』は別物であり、すなわち距離もまた変わるわけで、そうなれば自ずと付き合いは悪くなる。悪意なんてなくとも、溝ができる可能性は高い。
こうして気軽に遊べるのは、三人が対等だからだ。親友という括りで一纏めにできるからだ。その前提が崩れた時、安藤琴音が『一人』浮いてしまうのは明らかだ。
邪魔者になるのは避けられない。
そう、東雲千景とミィナ=シルバーバーストが付き合ってしまったら。
だから、拒むことはなくなった。
千景やミィナが二人きりは緊張するからついてきてと言えば、素直についていくようにした。
わかっていたはずなのに、覚悟していたつもりなのに。
たった一言、両想いなのだと教えれば済む話を、ズルズルと引き伸ばしている。
安藤琴音は、いつから親友の幸せを願うことができない人間になってしまったのか。
「私、最低じゃん」
「はっはっはっ!! なんだあ、今頃気づいたのか?」
無遠慮に、踏み荒らすように。
その男はどかっと隣のブランコに腰掛けながら、そう声をかけてきた。
主に安藤琴音からゴロツキと呼ばれている男である。
「何よ、クソボケ。私、今、アンタに構っている余裕はないんだけど」
「『三人』仲良くってか?」
「っ……!!」
「いやあ、この夏は随分と楽しそうにやってたみてえだなあ。どうせ、『三人』仲良くよお」
「それが、なんだってのよ……」
「だってのに、テメェはちっとも笑ってねえ。いやまあ表面上はニコニコやってただろうが、内心は自己嫌悪でズタボロって感じかね」
「なんで、アンタがそんなことわかるのよ!?」
「今のテメェのツラァ見ればわかる。俺の言葉、忘れたのか? 逃げてばっかで幸せを掴めるわけねえっつったのに、なんだって逃避が悪化してんだか」
「うるさいっ。何よ知った風な口を聞いて!! アンタに私の気持ちがわかるっての!?」
ガシャンッ!! とブランコから飛び出すような勢いで立ち上がった琴音の叫びに、しかしゴロツキは嘲るように肩をすくめるだけだった。
「わかるわけねえだろ。他ならぬテメェ自身が蓋をしてやがるってのに」
「な、にを」
「それとも、何だ。今、ここで、教えてくれるのか? テメェが望むのは『三人』仲良く親友として過ごすことなのか、それとも『二人』が付き合って多少テメェと距離ができたとしても幸せになって欲しいのか。なあ、琴音。テメェが望むのはどっちなんだ?」
「それは……」
一歩、後ずさる安藤琴音。
そんなの、答えられるわけがなかった。
ゴロツキの言う通り、彼女自身、本当は何を望んでいるのか分かっていなかった。
現状が琴音の望みであれば、こんなに苦しいはずがない。だからといって、二人と一人になるとわかっていて、応援なんてできない。
その結末は覚悟していたはずなのに、一度直視してしまっては足がすくんでしまう。
どちらか、なんて琴音自身が聞きたかった。だって、どちらを選んでも安藤琴音の魂はいずれどこかで限界を迎えるだろうから。
「なんてな。今のテメェ虐めたってつまんねえわな。勝ったも負けたもあったもんじゃねえ」
「こ、の……ッ! いつも、好き勝手踏み荒らしやがって!! だったらもういいじゃない。これ以上私に絡んでくるな、クソボケッ!!」
「まあまあ、落ち着けよ。図星だからって見苦しいぜ?」
「……ッッッ!!!!」
「っと、そんなつまんねえことはいいんだ。あー、なんだ。夏休みだっつってテメェとはろくすっぽ会えなかったんだ。たまにゃあ俺にも構ってくれよベイベー」
ーーー☆ーーー
ゴロツキの持ち出す話題はネットの片隅に転がっているような陰謀論がほとんどだった。
『東雲グループが経営難に陥っているのは「草薙」が裏で暗躍しているからである』など、仮にもゴロツキにとっても幼馴染みである東雲千景が絡むゴシップを持ち出してくるところは彼らしいとも言えたが。
「私、いつまでアンタのつまらない話を聞いていないといけないわけ?」
「なんだよ、別にいいじゃねえか。どうせ『三人』で集まったってテメェ一人が勝手に傷ついて、追い詰められていくだけなんだ。だったら、俺の相手をして時間を潰したほうがまだマシってもんだろうが。……さっさとテメェの本音をさらけ出して、強引にでもテメェの望む未来を掴めば済む話ではあるがな。まったく、俺が唯一『勝てなかった』女とは思えねえなあ」
「うるさいのよ、クソボケ。大体、その『勝てなかった』ってのはアンタが勝手に自滅しただけじゃないのよ」
「だったかあ? まあなんでもいいじゃねえか。で、ええと、なんか時間を潰す話題はあったっけか。ああそうだ、『草薙』、『クラウ・ソラス』、『ダインスレイフ』、『バルムンク』、『デュランダル』、『エクスカリバー』。六つの世界的大企業を束ねている『セントラル』がここ数年で急成長したってのは有名な話だが、その裏には一人の相談役がいて、そいつが実質的に『セントラル』を支配していて、まあぶっちゃけるとそいつはこの──」
と、そこで無機質な電子音がゴロツキの世間話を遮る。着信を告げるその音に琴音は自身のスマホを取り出して、気まずそうに顔を歪める。
相手はミィナだった。
とっくに待ち合わせの時間は過ぎているので、こうして連絡がくるのは当然なのだが……よりにもよってゴロツキの世間話に付き合って、いいや正確にはくだらない自己嫌悪でぐだぐだやっていただなんて言えるわけもなかった。
とりあえず謝って、それからどうしよう? と思いながらも、スマホを耳に当てる琴音。ミィナのことだから何かあったのかと心配しているだろうとさらに自己嫌悪に陥っていたのだが、届いた声は想像していたものとは違った。
『ことね……どうしよう……』
恐怖。
一色に染められた声音が、琴音の耳に届く。
『ちかげが、あんな奴のものになっちゃう……!!』