第三十五話 向き合うための第一歩
「だぐう」
私はだばーっと教室の片隅で机に突っ伏していた。
あの無人島での大乱闘から三日。
肉体的や精神的に疲労しているとかじゃなくて、なんていうか、その、おかしいんだよね。
「琴音ちゃん、なんだかお疲れですね」
「んおー。ちーかげー」
みんなと一緒の制服姿なのに気品ってのが滲み出ている千景の声に私はのろのろと顔をあげる。
相変わらず格好いいタイプの美人さんはどこか不安そうに、
「やはりもうしばらく休んでいたほうがいいのではありませんか? あんなことがあった後ですし」
「いや、大丈夫だって。そりゃあちょっとばかり吹き飛んだ気がしないでもないけど、別に大怪我したわけじゃないんだから」
「ですがっ」
「だから大丈夫だってー。もー心配性だなー千景はっ」
なおも不安そうな千景の肩をぐいっと手を伸ばしてポンポン叩く。本当、あの超人バトルや大爆発なんてのは全然引きずってないし関係ないんだよね。
「……ことね……」
と、千景の後ろからひょこっと顔を出したのはミィナだった。こっちは可愛いタイプ。いやもう本当私のような平凡さんがよくもまあ妖精だなんだと賞賛される可愛い子と友達になれたものだよ。
「もしかして、ことねは……」
「ん?」
「……ううん。なんでもない……」
「ええっ。なにその意味深なヤツ!? そんな反応されたら気になるじゃんっ。なんなんだよう!!」
えいえいっとミィナの頬をつつく。って、うおっ、柔らかっ!? くそう、柔肌さんめ!
と、その時。
ガラッと教室の扉が開かれて──
「せーんぱいっ。貴女の可愛い後輩、ラビィちゃんっすよーっ!!」
びくっ!! と肩が震える。
格好いい千景にも、可愛いミィナにだって普通に接することができるというのに、その声だけで駄目だった。
青みがかった白髪に赤い瞳の女の子。
まさしく美少女というべきラビィちゃんを見たら顔が熱くて、胸がぞわぞわして、とにかく限界なんて軽々と突破していた。
「いやあ、来ないでえ!!」
「なんすかその変質者にでも出会った反応はっす! 流石に傷つくっすよ!?」
もう、もうもうっ。
私、本当におかしくなってるよお!!
「これは、もしや、そういうことですか?」
「そうだろうね……」
「千景、ミィナも! 何よその意味深なのはあ!!」
訳知り顔っていうか、納得しちゃっているっていうか、とにかく私のことなのになんで私を置いてきぼりにしているのよお!!
歯止めがきかなくなっている。
何に、とその奥にあるものを拾い上げる勇気はまだない。
ーーー☆ーーー
「よお琴音っ。元気してたか?」
「げっ」
「露骨に嫌そうな顔してんな、おい」
昼休み。
冬の寒空の下、ラビィちゃんから逃げるように体育館の裏に座り込んでいた私にゴロツキが声をかけてきた。
そういえばここ数日顔を見なかった気がしないでもないけど、何やってたんだか。
「いつもの二人はどうしたんだよ」
「別にいつも一緒なわけじゃないわよ」
「はっはっはっ!! いつもいつも金魚の糞みてえに必死にあいつらの後ろをついて回ってたくせによく言うぜ!!」
「うるさいわねクソボケっ。……私だって本当はわかってたのよ。千景やミィナに依存しすぎだってことくらいは」
その原因は、多分幼少の頃の環境にあると思う。
お母さんもお父さんもそばにいなくて、お金だけの関係のお手伝いさんに育てられた私は人との繋がりってのに飢えていた。それこそ千景やミィナに依存して、一生そばにいて欲しいと望むくらいに。
だけど、千景やミィナは親友で。
そこに家族のような距離感を求めること自体が間違っていたんだよ。
っていっても何が変わるわけでもないんだけど。どこまでいっても千景やミィナは親友で、大切で、大好きなことは何も変わらない。
『ねえ』
赤黒い記憶。
爆発に巻き込まれて頭でもうっていたからか、あの日のことは正直正確には覚えていなくて、だけどその言葉だけは脳裏に残っている。
『私と「彼」の子供に! 愛する娘に!! 何やろうとしてやがるのよッッッ!!!!』
焦がれるくらい求めなくても。
千景やミィナを『代わり』にしなくたって。
もしかしたら、私が欲しかったものは……。
「ねえゴロツキ」
「なんだよ?」
「家族って、なんだろうね」
恨みがないかと言えば嘘になる。
だけど、それでも、あの言葉は私の胸に強烈に残っている。
今までずっと放っておいたくせに、とこれが他人の話であればそう切り捨てていたかもしれないけど、それでも……。
「ナーバスかましてんなめんどくせえ。なあ琴音。俺はなんだ?」
「なんって、性格最悪のクソボケじゃん」
「はっはっはっ!! わかってんじゃねえか。だから、まあ、こういうことだな」
そう言ってゴロツキが差し出したのは──
ーーー☆ーーー
少し前、商店街の雑多に紛れる女がいた。
『セントラル』を統べる『あの女』──クイーンが表からも裏からも追放されたという情報を得た安藤香織はあまりの手際の良さに恐れさえ抱いていた。
『「セントラル」から命を狙われている現状を打開したい「白き花の代弁者」、娘のために動いた「女貴族」、そして「セントラル」配下の六社。ここまでの連中をよくもまあ見事に操ったものよね』
『そう褒めるなよ、照れるじゃねえか』
適当な調子の声に、安藤香織は肩をすくめる。
『よもや「セントラル」の相談役が飼い主を裏切るなんて裏付けがとれているとはいえ未だに信じられないわよ』
『はっはっはっ!! 別に大したことでもねえよ。琴音の命だけなら他にもやりようはあった。だが、琴音の中で芽生えつつある想いを守るためにはこうするしかなかった。だから切り捨てた。それ以上も以下もねえんだからな』
『貴方、私の娘に惚れているの?』
いきなり飛んできた問いに、ゴロツキは明確に渋面を晒す。
大きく息を吸って、吐き、言葉を返す。
『殺すぞ、クソアマ』
『まさか「セントラル」の相談役が私の娘にねえ』
『くだらねえ戯言喚いてんじゃねえぞクソが。つーかそんなことより、だ』
ゴロツキは誤魔化すように、
『「白き花の代弁者」には手を組む際にしばらく活動しないって約束を取り付けている。これで「内乱」が起きることはなくなり、もって「第零席」が命を狙う理由もなくなったってことでいいな?』
『そんなもので「白き花の代弁者」を無害だと判断はできないわよ。いつ爆発するかわからない火薬庫を放置する馬鹿はいないからね』
『半年だ。半年くらいは「白き花の代弁者」がどう動こうとも「内乱」にまで発展しない。もしも半年経って、それでも「白き花の代弁者」が脅威だと感じられたならばブラックボックスの守りを解除することになっている。逆に言えば、半年以内に手を出してくる奴は根こそぎ排除するってわけだな』
『半年……。必要ならブラックボックスでも殺すけど、だけど犠牲は避けられない。となれば、まあ、この辺りが妥協点かもね』
『お前、琴音のこと愛しているだろ?』
お返しとばかりに流れを無視した問いに今度は安藤香織が渋面を晒す。
『……私がどんな奴か知っての言葉?』
『当たり前だろ。生まれて間もない琴音を守るためにテメェの夫は殺された。そーゆークソみてえなもんに琴音を巻き込まないためにテメェは琴音から距離をとった。父親がすでに殺されたってことさえ琴音は知らないほど遠くに。そんなの愛しているからに決まってんだろ。……まあ俺個人としてはそんなもん免罪符になるかって感じだが、琴音が前に進むためには必要だから仕方ねえ』
『何が言いたいのよ?』
『ちっとばっか素直に伝えてやれよ、テメェの本音をよ』
ゴロツキの言葉に安藤香織は確かに表情を歪めていた。ブラックボックス、あのメイド服の怪物を前にしたって立ち向かうことをやめなかった彼女がだ。
『何を言えばいいのよ? 私たちの生きる世界がどんなものかわかっていて、それでも「彼」と結ばれて、だけどやっぱりうまくいかなくて、だから、だから! せめて遠くに離れることが琴音のためだと、だけどそのせいで琴音には寂しい思いをさせてきた!! そんな私が今更愛しているって? 母親として娘の幸せを願っているって言えるとでも? 私はどこまでいってもこの国の平和を守る装置にしかなれなかった。「白き花の代弁者」を殺すことで琴音がどう思うかわかっていて、それでも止まることはできなかった!! だからそれでも、できることならば……本当は娘の成長をそばで見守ってあげたかったに決まっているじゃない!!』
思わずといった風に。
確かにその言葉は安藤香織の口から漏れ出た。
だけど、と首を横に振る。
漏れた想いを再度封じ込める。
『琴音は一人じゃない。家族がいなくたって幸せになれるんだから。母親がいなくたって、大丈夫よ』
『まあ俺としてはテメェのことはなんだっていいんだがな』
そう吐き捨てたゴロツキの右手はズボンのポケットに突っ込まれていた。その中には──
ーーー☆ーーー
ゴロツキが差し出したのはズボンのポケットから取り出したスマホだった。そこに、録音機能で記録されていた音声を流してきたのよ。
『お前、琴音のこと愛しているだろ?』ってゴロツキの声が一番に流れた、お母さんとゴロツキの会話を。
「琴音の父親はすでにこの世にはいない」
そうしながら、いきなりとんでもないことを言ってきた。
「無人島でのアレソレと似たようなものだとでも思えばいい。『第零席』として国家の敵と戦って、そして死んだみてえだな」
多分、それはお母さんが秘めてきたことで、だけどゴロツキはサラッと教えてきた。
こんなだからこいつはゴロツキで、本当不器用な奴なのよね。
「そーゆーのにテメェを巻き込みたくなかっただけで、本音は以下の通りってな。俺としてはだからどうしたくだらねえって感じだが……琴音にとっては違ったか?」
「正直、いきなりのことすぎて戸惑っている。本当いきなりだから! もっと、こう、伝えてくれるにしても他に方法なかったの!?」
「これくらい乱暴にしねえと話が進まねえくらいテメェが面倒なのが悪りぃんだよ、クソッタレ」
本当、もう、ゴロツキなんだから……。
「ねえゴロツキ」
「あん?」
「私、愛されているんだよね……?」
「馬鹿が。テメェ一人が一軒家に住めているのも、三食メシが食えているのも、それなりの生活ができているのも、そういうことだろ。まあテメェの両親は少々住む世界が物騒で、命の危険ってのにテメェを巻き込まないために遠ざけるしかなかったみてえだが、それでも想いまでなくなるわけでもねえ」
そう、だよね。
無人島での闘争。超人バトルや大爆発の後。記憶が曖昧な中、それでも思い出してきた。『愛する娘』だと言ってくれたお母さんは誰かから私を守るために酷い怪我をしていたのに戦ってくれていたんだよ。
あの時、ラビィちゃんを殺すことだってできたはずなのに、さ。
「そっか。そっかぁ」
お母さんに会いたいな。
会って、伝えたい。
お母さんのことを知っていきたい、と。
だって、私はお母さんのことを知らない。
お母さんのことをどう思っているかって聞かれても、わからないとしか答えられない。
だから、お母さんが私のことを愛してくれていたように、私もお母さんについてどう思っているのかを形にして返すことができるくらいお母さんのことが知りたいんだよ。
「ねえゴロツキ」
「はいはい、なんだよ?」
「ありがとね」
「……ふん」
でも、そっか。
愛情ってのは一人だけに限定されるものじゃないんだね。
だったら、そうだというなら。
私が誰かを愛したって千景やミィナを遠ざけるような人間にはならないよね?
いや、別にっ、そういう相手がいるわけじゃないんだけどねっ!! ……いない、よね?




