第三十四話 最後の勝利者
目が覚めると、ラビィちゃんの顔が視界いっぱいに広がっていた。
「にゃっにゃにゃっはにゃあー!? ぐえっぷう!?」
大きく後ろに下がった私の全身を軽い衝撃が襲う。勢い余ってベッドから落ちたみたい。
それよりも、
「あれ? 私の……部屋???」
見間違うわけがなかった。家具のレイアウトから微かな壁のシミまで完全に私の部屋なのよ。
自分の部屋で目が覚めるってのは普通なのかもしれないけど、それも状況による。全体的に靄がかかったように記憶が曖昧だけど、なんか凄まじい超人バトルや大爆発なんてことがあった『後』にいつも通り目覚めたって違和感しかない。
ん? そういえば、焼き爛れた誰かさんが襲ってきた時、赤黒い何かがあったような……???
まったく、窓から差す日差しは暖かなもので、昨日(……よね。朝日が差しているし)のアレソレさえなければいい天気だと呑気に思えたものなんだけど。
つーかこのベッドからしてラビィちゃんが私ごと無人島の浜辺まで運んでいたはず。
まるで全部元通りですよとでも言いたげよね。
「すやすや寝ちゃって、もう」
色々ありすぎてどうすればいいんだかさっぱりな私のことなどつゆ知らず、ラビィちゃんはぐっすり寝ていた。ああもう寝顔も良いわねこんにゃろーっ!
「しっかし『白き花の代弁者』かぁー」
国家間の利益の奪い合いからくる陰謀に巻き込まれてラビィちゃんの生まれ育った村は文字通り滅びたらしい。話を聞いただけの私にはそこで何があったのか正確に理解することなんてできないんだろう。身近な、好きな人の死ってのに立ち会ったことのない私には。
でも、だけど。
「やっぱりラビィちゃんは間違っているよ」
ーーー☆ーーー
『セントラル』本社ビル。
名義上こそニューヨークの一角に堂々と君臨しているが、あくまでそれは表向きのもの。本当の意味での『本社』は表はおろか裏に蠢く者たちでさえも容易には見つけられない場所にある。
すなわち、地下。
一つの『街』に匹敵する地下内部にはまさしく『街』と呼ぶにふさわしい施設が揃っていた。
核シェルター並みの強度を誇る外郭に覆われたこの『街』は食料や水といった生存に不可欠なものから医療施設に娯楽まで一通り自給自足が可能なように整えられている。
それこそ外の世界が核戦争なり巨大隕石の落下なりで滅びたとしても、この『街』だけは永久に維持されるほどに。
選ばれし者の王国。
この『街』はたかが数年で入れ替わる一国の政治的長程度では到底及ばない領域に立つ、まさしく世界そのものに多大なる影響を与える者だけが辿り着けるこの世の楽園なのだ。
天井から青空を映し出す『膜』に組み込まれた太陽を再現したライトの光が降り注ぐ中、『街』の中心に聳え立つビルの最上階ではクイーンがくつくつと肩を揺らしていた。
執務室。
贅の限りを尽くした椅子に腰掛けた彼女は言う。
「二人の秘匿手配犯にブラックボックス、果ては『安藤』さえも『白き花の代弁者』殺害を阻止する側に回った。だから? もしもこれで打ち止めだというなら情けなさすぎて失望するしかないわね」
確かに昨日は凌ぐことができた。
だが、別に昨日だけで勝敗が決まるわけではない。もちろん『内乱』が勃発して『白き花の代弁者』が世界中の人間の心を掴むまで、というリミットはあるが、それだって今日明日の話ではない。
『白き花の代弁者』が構築する安全圏に穴をあける方法論は構築済み。ならは何度でも同じように繰り返せばいい。その繰り返しが、兵数の差が、いずれは『白き花の代弁者』を呑み込む。
と、その時だ。
執務室の扉が静かに開かれ、『客人』が顔を出す。
「お久しぶりでございますね、クイーン」
そう声をかけてきたのは金の縦ロールに真紅の瞳の女だった。赤い花びらの意匠が散らされた黒のドレスを身に纏い、右胸には特徴的なブローチをつけたその女の名を、クイーンは口にする。
「セシリー=シルバーバースト。ヨーロッパに根を張る『女貴族』がわざわざこんなところまで足を運んでくるとはね。私に何か用でも?」
「わかっているはずでございますよ。わたくしの『娘』に手を出したのでございますから」
「おっと、それは少々誤解があるわね。貴女の『娘』が物騒な騒動に巻き込まれたというのは小耳に挟んでいるけど、それは私とは全くの──」
「建前はいらないでございます。お互い、そんなものが通用しないことくらいは分かっているでございましょう?」
『女貴族』の言葉にクイーンは軽く肩をすくめる。
古くから続くヨーロッパの支配者、その一人。それが『女貴族』セシリー=シルバーバーストである。
コロコロと変わる政治の長を裏で操る意思決定機関。遥か古くより表舞台に出ることなくヨーロッパ全域の『総意』を決めてきた真なる貴族の一人には、建前など通用しないだろう。
「確かに無人島での一件は私が裏で手を回したわ。『白き花の代弁者』を殺すために『第零席』が動けるよう調整し、『略奪船』の連中に最新兵器が流れて『白き花の代弁者』殺害が依頼されるよう調整したわよ。もちろんいつも通り『セントラル』とは直接的な関係がないよう整えているけどね。だったら? それこそ貴女の出る幕じゃない。あくまで私が殺したかったのは『白き花の代弁者』。まあ相談役がうつつを抜かす女もまとめて殺して、つまらない公私混同で暴走しないようにって狙いもあったけど、本当にそれだけよ。貴女の『娘』が巻き込まれたのはそちらの落ち度じゃない」
「そうでございますか。それより、貴女ほどの方が殺したいほどに『白き花の代弁者』が恐ろしいのでございますか」
問いに、クイーンは『ハッはは!!』と笑みをこぼす。
「いやいやそうではないわよ。確かに現状、『白き花の代弁者』は『セントラル』にさえも影響を与えている。そのことは不愉快だけど、いつも通り殺して排除できる程度のものでしかない。そう、いつものように、くっふふっ、邪魔な人間は適当な人員を誘導して殺すだけ。だというのに、そうよ、ベルトコンベヤーのように邪魔な奴は自動的に消えるというのに何を恐れるというの!?」
笑う、笑う、笑う。
『セントラル』の頂点に君臨し、人々の『生活』に深く根付き、ついには天下りのようなわかりやすい関与からわかりにくい首輪を構築することで世界中の国家中枢にまで影響力を発揮する女王。
それこそ島国の国家防衛戦力『第零席』が普段通りに動けるよう手を回すことができるほどに、『セントラル』は深く深く国家に影響を及ぼしている。
それだけの力があるのだ。
ヨーロッパ『だけ』の女に怯える理由はどこにもない。
「そうそう。報告ではメイドのほうの『母親』は『娘』の友達の友達を助けるために出張ったのだとか。もしも貴女もそうであるなら今すぐ回れ右して消えたほうがいい。ここはヨーロッパにあらず。いかに貴女でも不慮の事故で死んでしまうかもしれないからねえ」
「クイーン。『セントラル』を統べしCEOよ、一つ誤解があるようなので訂正させていただくでございます」
「誤解?」
ええ、とわざわざクイーンの立ち位置を明確とした『女貴族』は胸に飾られたブローチを軽く撫でる。正確にはその中央に嵌め込まれた『レンズ』を示す。
「今までの会話は全て生放送で流れています。ヨーロッパのテレビ局を使って、マスメディアという箔をつけた上でございますね。そう、殺人への関与を貴女自身が自白した映像が、でございます」
しばらく。
クイーンは何も言えなかった。
呆然と固まったまま、あり得ないと言いたげに口を開く。
「ここは私の、真に選ばれし者たちの楽園よ。この『街』は隅から隅まで私の支配下に置かれている! いかにこの部屋の出来事を映像として残したとしてもっ、外には流せないよう『対策』は完璧に……ッ!!」
「ご自分の言葉、お忘れでございますか?」
「な、ん……?」
「『白き花の代弁者』は『セントラル』にさえも影響を与えている。いかに完璧な『対策』がなされていようとも、そもそも『セントラル』の支配下にある人員が裏切っては何の意味もないでございます」
「『白き花の代弁者』の影響力がこの『街』にまで伸びて、いいやそこじゃない! いつ『白き花の代弁者』と『女貴族』が手を組んだのよ!? どこにそんな接点が──ッ!!」
そこで、クイーンは気づく。
無人島での一件に『女貴族』の『娘』──ミィナ=シルバーバーストを巻き込んだのは誰の関与によるものかを。
「相談役、か!?」
ーーー☆ーーー
そしてゴロツキは世界を騒がせるスキャンダルを確認しながら口の中で呟く。
「この程度じゃクイーンを倒すには足りねえよな」
ーーー☆ーーー
だけど、とクイーンは繋げる。
先程の会話をもとに『女貴族』や『白き花の代弁者』は暴露やら何やらと形を整えた上で過去の殺しなども掘り下げてくるだろう。クイーンにまで被害が及ばないよう調整しているとはいえ、社会的な観点から彼女が表での立場であるCEOから引きずり下ろされる可能性だってある。
だが、そこまでだ。
所詮は表での話で終わる。
『女貴族』がヨーロッパを裏から操っているように、クイーンもまた裏から『セントラル』を牛耳る存在になるだけだ。
今までだって一般人の目の届かない『街』から全てを操ってきた。それは、表での肩書きがなくなろうとも何ら変わることはない。
だから。
だから。
だから。
ぴろん、と。
簡素な電子音と共に届いた一文に、余裕を取り戻しつつあったクイーンの表情が今度こそ致命的に歪んだのだ。
ーーー☆ーーー
「俺が本当に動かしたかったのは『女貴族』や『白き花の代弁者』じゃねえ」
『娘のため』にとブラックボックスや『女貴族』を動かし、『身を守るため』にと昨日の闘争が終わってから『白き花の代弁者』との交渉を成功させたゴロツキは言う。
「『草薙』、『クラウ・ソラス』、『ダインスレイフ』、『バルムンク』、『デュランダル』、『エクスカリバー』、つまりは『セントラル』と協力関係にある六社。連中は別に『セントラル』に絶対服従しているわけじゃねえ。そのほうが利益になるから従ってただけだ。従うよりも裏切ったほうが利益になるとなれば、喜んで裏切るに決まってるよなあ」
では、現状を六社はどう見るか。
『女貴族』や『白き花の代弁者』に良いようにやられているクイーンを見て、今なら潰せるのでは? と思うはずだ。
普段の盤石な体制は崩れている。
『セントラル』急成長の要だった相談役は裏切り、『白き花の代弁者』によって内側から切り崩され、ヨーロッパに限り絶大なる影響力を持つ『女貴族』さえも『セントラル』の敵に回っているのだ。
この機に世界的と冠がつくほどの六社が反旗を翻し、外からも内からも切り崩せば、いかにクイーンでも耐えられない。
そう。
表からも裏からもクイーンを排除して、『セントラル』というご馳走が持つ利権を六社が奪い尽くすことだって可能だろう。
というか、すでにそういった提案をゴロツキから六社に伝えている。
スマホからの着信に、彼は答える。
「よおクイーン。そろそろ連絡してくる頃だと『予測』してたよ。協力関係にある六社に裏切られたところだろ」
『相談役!! 自分が何をやったか、わかっているの!?』
「『セントラル』を世界的と冠のつく六社に売り払った。それ以上も以下もねえわな」
『貴方が相談役として「セントラル」の力を振るうことができていたのは私の相談役としての立場あってのこと! 貴方のせいで「セントラル」が急成長したことで協力関係という形で従うしかなかった六社は貴方のことを恨んでいる!! どう考えても貴方を利用するよりも排除しようとするだろうし、万が一利用しようとするところがあったって他のところに牽制されるのが関の山っ。このままでは貴方を特別にしていた力は霧散するのよ!? 今からでも遅くはない。この流れを止めるために力を貸しなさい!!』
「はっはっはっ!! テメェがそこまで焦っているってことは『予測』通りテメェの天下もここまでみてえだな」
『相談役ッ! ふざけている場合じゃないのよ!!』
「別にふざけてなんかねえよ。つーかテメェは致命的に勘違いしている」
勘違い? と聞き返すクイーンは本当に気づいていないのだろう。ゴロツキは当たり前のように、どうしてこんな簡単なことをわざわざ語らないといけないと言いたげにこう続けた。
「琴音以上に優先するべきもんなんてねえんだ。テメェは『白き花の代弁者』と一緒に琴音もぶち殺すことで俺から不純物を取り除き、扱いやすくしたかったんだろうが、完全に逆効果だ。琴音を傷つけるくらいなら俺を特別にしていた力の一つや二つ捨ててやるさ」
『どう、して……「セントラル」を急成長させるだけの力があって! どうして安藤琴音のような何の変哲もない女一人にそこまで固執する!? 夢中になりすぎないなら、公私混同しない程度にならば、いくらでも代わりの女を用意するというのに!!』
その時、彼の脳裏には琴音の姿が浮かんでいた。ゴロツキ、とそう呼ぶ彼女の姿が。
その通りだ。
自分はゴロツキ以外の何者でもない。
彼の生き様を、その一言が的確に示している。
「本気でそれが最善だと思っているテメェには一生わからねえよクソッタレ」
ーーー☆ーーー
ツンツン、とすやすやなラビィちゃんの頬をつつく。ん、ふっ……と超絶顔がいいラビィちゃんが甘い吐息をこぼした。
「んもお! 顔がいいって卑怯だよね可愛いなもおーっ!!」
昨日は色々あったけど、ひとまず端に置いてこの状況を楽しんだってバチは当たらないはず。っていうかこの状況で我慢なんてできるわけないものね!!
「うー……。なんだか歯止めがきかなくなってきたなぁー!!」




