第三十三話 例え両手を血で汚そうとも
ざっ、ザザッ。
『なんだ、香織。お前も「第零席」に配属になったのか。幼馴染みってのはなんだかんだと一生離れられないものなのかね』
ジジッ、ザザッ!
『いやはや何となくわかっちゃいたがこの国の平和ってのも危ういものなんだな。秘密裏に色んな敵を殺さないと維持できないほどだとは本当クソみたいな話だ。とはいえ、誰かがやらないといけないなら頑張るしかないよな』
ザザッ、ザザジジッ!
『好きだ、香織。……はっはっ、なんか照れくさいな、おい』
ザザザッ!!
『私のような人殺しに幸せになる権利はない? おいおい馬鹿言っちゃいけないぜ。世界中の人間が何と言おうが、お前は絶対に幸せにしてやる。惚れた女に幸せになってもらいたいってのは男として当然のことだからな!!』
ザザザッ、ジジッ! ザザザザザザッ!!
『「第零席」も入れ替わりの激しいこって。俺なんかがもうテッペン立っちまったぞ。ん? 「組織」の日本侵攻ってマジか!? よし香織、俺がテッペンに立って初めての仕事だ、ド派手に決めるとしようぜ!!』
ジジッ、ザザザ、ジジジジッ!!
『う、おう。手を繋ぐってだけでこんなにドキドキするとは。うおわあ!? 馬鹿お前指を絡めるのはまだ早くないか!?』
ザザザザザザッ、ザザザ!!
『例えお前が誰かのために汚した両手で幸せを遠ざけようとしたって、そんなの許さない。同じく汚れた手だろうが関係あるか。お前は絶対に幸せにしてやる。だから結婚しやがれこんにゃろーっ!!』
ザザザッ!! ザザザザザザザザザッ!!
『きっキスはまだ早いって! え? 結婚しているのにまだ早いはあり得ない? うるせえドキドキするんだから仕方ないだろうがよお!!』
ザザザザザザザザザッ! ジッザザザ!!
『にん、しん? それって子供できたってことかマジか!? はは、はははっ!! やったな香織っ。俺とお前の子供だぜ子供っ。絶対に幸せにしてやるから覚悟しておけよっ!!』
ずっと昔のこととはいえ、『彼』との思い出は風化することなく『安藤』の魂に刻まれている。
その思い出は両手を血に汚した『安藤』にとってどこまでも光り輝くものだったから。
だけど。
だけど、だ。
琴音を出産した、その日。
どこから情報を入手したのか、日本侵攻を『彼』や『安藤』に妨害された『組織』の残党が復讐のために攻め込んできた。
出産直後でいつもより深く眠っていた『安藤』の代わりに『彼』は死力を尽くして──結果として琴音を守るために命を落とした。
だから、だろう。
怖くなった。
平和のためにと両手を血に汚してきた『安藤』の近くにいれば同じことが繰り返される。娘もまた『彼』と同じく死んでしまう。
それなら遠ざけたほうがいい。
父親の死さえも知らぬほどに遠く、遠くへと。
……単に、無垢な笑顔と向き合う自信がなかっただけなのかもしれないが。
(それでも、私は守る。せめて『彼』が守ってきたこの国の平和を守ることが私にできる唯一のことなんだから!!)
その果てに『安藤』もまた『彼』と同じ末路を辿るだろう。それでいい。宿業はあくまで『彼』や『安藤』のもの。明るく元気に笑う娘にまで背負わせることではない。
表面上だけの儚い平和で構わない。
この国に住む者たちが命の危険を感じることなく生きていける『今』を守るためなら『安藤』はその両手をいくらでも血で汚す。
だから。
だから。
だから。
ーーー☆ーーー
「ごぶっ、べぶばぶっ!?」
凄まじい爆発だった。小型飛行機の燃料や『略奪船』に積み込まれたロケットランチャーの弾頭などが誘爆したのか、双方が木っ端微塵に吹き飛ぶほどに。
爆風に薙ぎ払われた『安藤』の腹部には腕ほどの長さの破片が突き刺さっていた。幸運なことに急所は外していたが、身体の芯が歪むような激痛が止まらない。
(だ、けど、……あのブラックボックスよりは……マシよね)
薙ぎ払われる寸前、『安藤』は目撃していた。小型飛行機の右翼がミィナの母親を押し潰し、そのまま森のほうまで吹き飛んでいったのを。
視線をやれば、木々をへし折ってようやく止まった右翼の残骸が転がっていた。あんなものに巻き込まれてはいかにブラックボックスといえども粉々の肉片に変貌している……はずだった。
ズゥ、と右翼の残骸が動く。
その下、五体満足の『母親』が持ち上げる形で。
(化け物め!! 特異体質にしろ何かしらの兵器を利用しているにしろ、規格外にもほどがある!!)
だが、流石に無傷とまではいかず、全身から鮮血が噴き出していた。弱っている今ならば『安藤』にも勝ち目はあるかもしれない。
と、その時だ。
小型飛行機の燃料やロケットランチャーの弾頭に引火したことで激しく燃え盛る『略奪船』から飛び出す影が一つ。
ーーー☆ーーー
「う、……な、にが……?」
お母さんを止めようと声をかけたところで船が突っ込んできて、それで、ええと、なんだっけ。
とにかく何かピカッてなったかと思ったら吹っ飛ばされたのよ。ああもう全身メチャクチャ痛いんだけど!
と、その時よ。
激しく燃え盛る炎の中から何かが歩み出てきた。
「カッ、カッカッ! カカカカカァッ!! 随分と舐めた真似をしてくれたものよのう!!」
焼き爛れた肉体を無理に動かして、腰の刀を引き抜きながら歩を進める誰か。ドロドロとした憎悪にビクリッと肩が跳ね上がる。
「皆殺しだ。お前ら全員、皆殺し確定だァああああああああああああああ!!!!」
叫び、駆け出す誰かの先にはラビィちゃんが倒れていた。さっきので私とは数十メートルほど離れた場所に倒れていて、だから誰かの目についてしまったのよ。
「ふざ、……けるな」
詳しいことはわからない。
どんな経緯でこんな展開になっているかなんて知ったことか。
……ああ、そうか。千景が『草薙』のクソ野郎と婚約させられるって時、ミィナが迷うことなく即断できたのはこういうことだったのね。
正義や悪なんてどうでもいい。
理由なんて守りたいという一点のみでいい。
「お前なんかに! ラビィちゃんを傷つけさせるものかぁっ!!」
この燃えるような想いが、おそらく──
ーーー☆ーーー
そして『安藤』は決断を余儀なくさせられていた。
「馬鹿っ!!」
あの爆発の中を生き抜いた『略奪船』の船長が狙っているのはラビィ=クリスタルリリィだ。だが、今のままでは右翼を持ち上げて復活しつつある『母親』にラビィ殺害を妨害されるかもしれない。
一時的でいい。『安藤』が『母親』を足止めすれば『略奪船』の船長の凶刃がラビィ=クリスタルリリィを斬り裂き、もって『内乱』を阻止できる。船長に関してはその後で処理すればいい。
そう、今こそ千載一遇のチャンス。
今を逃せばラビィ=クリスタルリリィ殺害は不可能と言っても過言ではない。
なのに、なのにだ。
ラビィ=クリスタルリリィを守るように安藤琴音が立ち塞がる。このままではまずはじめに『略奪船』の船長は琴音を斬り殺すことだろう。
「……ッッッ!!!!」
この国の平和のために両手を汚してきた。街中を歩くために武器を携帯する必要のない、安心して生きていける『今』を維持するためにだ。
その『今』が脅かされている。
『彼』が守ってきた平和が『内乱』によって崩れようとしているのだ。
それを阻止するのは正しいことだ。
邪魔をする者は殺してでも排除することが許可されている。
これまでも必要にして最小の犠牲だといくらだって殺してきた。これからも同じことだ。
だから。
だけど。
『琴音は俺の愛する妻が産んでくれた愛しい子供なんだ』
最後の時、赤ん坊の琴音を守るために戦った『彼』はこんなことを言っていたのだと、その場に居合わせた『第零席』のメンバーは『安藤』に伝えてくれた。
『琴音が何の危機に怯えることなく幸せに生きられるためならなんだってできるものだ』
確かに、そう言っていたのだ。
だから。
だから。
だから。
ガッギィィィンッッッ!!!! と。
琴音を斬り裂こうと振り下ろされた刀を割って入った『安藤』は腹部に突き刺さった小型飛行機の破片でもって受け止めた。
腹部から破片が引き抜かれたことで鮮血が噴き出す。飛び散った赤が後ろの琴音の頬を濡らす。
「な、んで……」
呆然と呟く琴音に、安藤香織はこう答えた。迷うことなく、当たり前のように。
「琴音が死んじゃったら私が両手を血で汚す理由がなくなるからよ」
はじまりこそ違っただろう。この国の平和を守るためだったのか、それとも他に理由でもあったのか。
だが、はじまりが何であれ、すでに安藤香織の理由は一つに変わっている。
この国の平和を守る『理由』は、彼女が戦う『理由』は、たった一つしかない。
『彼』の時は守られるだけで間に合わなかったが、せめてこの一つだけは何がなんでも守り抜く。そう決意したからこそ、安藤香織は今まで琴音のことを遠ざけていたし、『白き花の代弁者』という琴音に近づく危険人物を排除しようと動いていた。
ならば、だ!!
「ねえ」
「く、そ……」
「私と『彼』の子供に! 愛する娘に!! 何やろうとしてやがるのよッッッ!!!!」
「クソォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
ゴッドォンッッッ!!!! と母親の拳が船長の顔面に突き刺さる。小型飛行機や『略奪船』を粉々に粉砕し、焼き尽くすほどの爆轟の中からも生き残った男の意識を問答無用で寸断する。




