第三十二話 襲来
『安藤』に得意技はない。
闘争に関するありとあらゆる技が『できる』のが『安藤』という女である。
目潰しをフェイントに袖から伸ばしたワイヤーで首を切り飛ばすのを狙う。
ある部族に伝わる変則的な移動法とジャブを織り交ぜて撹乱しながら『母親』の胸の真ん中に正拳突きを叩き込む。
銃撃という分かりやすい攻撃に、さらに左手で取り出したナイフを振るった時の衝撃波で人肉を切り飛ばせるほどの『飛ぶ斬撃』をお見舞いする。
白いスーツの中の椀状の鉄板にはめ込んだ手榴弾を起爆することで指向性を与えた爆風を叩き込むと共に反動を利用して跳ね上げた爪先で『母親』の顎を蹴り抜く。
蹴りと見せかけて『母親』の首に足を巻きつけ、絞め技を極めながら手ではなく足でもって投げ飛ばしを放つ。
特定の『分類』に基づくことなき変幻自在の攻撃。その一つ一つがその道の達人の領域に達しており、組み合わせることによる歪みが生まれることもない。
基本的には武器を所持することなく街中を歩くことができて、スリやひったくりに怯える必要がなく、飲食店などで少し席を外す際には荷物を置いたままにしておいても問題ないと感じるほどで、総じて『危険』というものとは無縁なこの国の平和を影から維持してきた『第零席』が頂点。
一般人に気づかれることなく国家安全を脅かす敵、それも個人から犯罪組織に至るまで例外なく排除することを任務とする『第零席』には単騎にて軍に匹敵する力を求められており、『安藤』はその最たる体現者である。
見れば慣れる、どんな猛攻だって一度視認すれば即座に対応可能な『安藤』は、敵の攻撃手段を次々に攻略しながら、多種多様な闘争技術でもって敵を殺しにかかる。その万能にも見える攻略速度と技術の物量が『安藤』が国家防衛戦力の中でも最強たる所以である。
だというのに、だ。
「が、ばふっ、がぶべぶっ!?」
赤黒い液体が浜辺を汚す。
『安藤』の全身から噴き出した血液によるものだ。
──何もかもが通用しなかった。
誰もが知る武術も、秘境の奥地に伝わる独自の体術も、不意打ちや騙し打ち、果ては武器を使った攻撃さえも均一に退けられたのだ。
『何か』。
目に見えないのか、超高速で動いているがために視認できないのかも不明な『何か』が盾のように『安藤』の攻撃を防いでいるのだ。しかもカウンターで全身を均一に襲う『何か』まで織り交ぜて、だ。
防御と攻撃が単一のものなのか、別の技術を用いているのかすらもわからない。文字通り何をされているのか全く理解ができていなかった。
──通常の目に見えない、あるいは超高速であるために視認できないだけの攻撃ならば対応できる。狙撃のような目で見て避けていては致命的に手遅れな攻撃であったとしても気配や風切り音などを感知することで回避を可能とする『安藤』にとって視認できない程度は何の問題にもならないということだ。
それでも、把握できない。
それほどまでにミィナ=シルバーバーストの『母親』が扱っている力は埒外の『何か』なのだろう。
「ブラック、ボックス……。どうして邪魔をする? 『白き花の代弁者』を助けたところで待っているのは『内乱』だけ! その先に『教団』が目指す世界平和なんて訪れることはないのは歴史が証明している!! それとも『女貴族』辺りが『内乱』を利用して何かを企んでいるとでもいうの!?」
「アタシが戦う理由はすでに示しているはずです。これ以上アタシの娘の友達の友達を付け狙うというのならば、そして母親でありながら実の娘の敵に回る不愉快な様を見せてくるというのならば文字通り粉砕するだけですと」
「ふ、ざけ……ッ! 娘の友達の友達という薄い繋がりの人間一人のために『内乱』によって大勢の人間が死んでもいいとでも!?」
「いえ、薄い繋がりの人間そのものではなく、その人間が死んだ場合、連鎖的に娘が悲しむからというのが正確なところですね」
淡々と、当たり前のようにそう言える『母親』の性質は間違いなく善なるものではないのだろうが、
「それよりも、意図して無視しましたか? それとも見ないようにしているのですか?」
「何を──」
そこで、だ。
『安藤』と『母親』の間に飛び込む影が一つ。
「お母さんっ!!」
すなわち、安藤琴音。
東雲千景やミィナ=シルバーバーストはともかく、よりにもよってラビィ=クリスタルリリィを伴った彼女は真っ向から『母親』と対峙したのだ。
「っ」
僅かに。
全身から鮮血を噴き出していたって動じることのなかった『安藤』の表情に苦痛では発露しない歪みが生じる。
そして。
そして。
そして。
ドッシャアアアッッッ!!!! と。
浜辺に半ば墜落していた小型飛行機の隣に並ぶように巨大な木造船舶が突っ込んできたのだ。
バタバタッと夜風にたなびくは漆黒の布地に白き髑髏を十文に貫く剣と槍を彩った旗。海賊船のようなその船の呼称は──
「『略奪船』、だって!?」
目を見開く『安藤』の前でガシャガシャガシャッ!! と金属の擦れ合う音を響かせながら数十の乗組員が古き海賊船を思わせる船には不釣り合いな『最新』を持ち出してきた。
マシンガンやロケットランチャー、そこに『最新』という冠をつけたものが、だ。
「カッカッ! 無関係を装って人を動かす『あの女』も景気のいいことだ」
それは腰に時代錯誤な古びた刀を差し、日に焼けた身体に髭を蓄えた老人だった。
『略奪船』が船長。
かつては数多の海戦を生き抜いてきた軍人の成れの果て。海の上の闘争にしか行き場がない、それでいて明確な儲けを生み出している男である。
今の時代に船舶を襲うような者たちが生き残っているのはなぜか。そのほうが都合のいい誰かが一定以上存在しているからである。
「とはいえ、これだけの『最新』兵器を流し、どれだけ巻き込んでもいいから『白き花の代弁者』を殺せという。わざわざそのように付け加えた以上、『あの女』が殺したいのは『白き花の代弁者』だけではなさそうだがのう」
表向き、海戦と呼べるものがなくなった現代においてなおも古き戦場を維持し、席巻してきた男は言う。致命的な一言を。
「まあ、『あの女』の思惑がどうであれやることは変わらない。全部まとめて『最新』兵器の火力と物量で吹き飛ばして終わりだ」
そして。
そして。
そして。
ーーー☆ーーー
その時、白いスーツの男たちと対峙していたがために安藤琴音たちとは離れていた真っ赤な女は舌打ちをこぼしていた。
「どうする? せめてアイツら巻き込んで死んでやるか?」
問いかけに、ダークスーツにサングラスの褐色の女は豊満な胸の谷間に手を突っ込み、そこからスマホを取り出しながら、
「イヤァ、その必要はないっテ。知ってル? 今時ホームセンターや家電量販店を利用すれば兵器の一つや二つ簡単に作れるってサ」
『特定の電波を発する』ように整えたスマホの画面を操作して、銃口でも向けるように『略奪船』──ではなく、自分たちが乗ってきた小型飛行機にスマホを突きつけるダークスーツにサングラスの褐色の女。
指先一つで十分だった。
「無線起爆方式のお手製爆弾、置きっぱなしにしていて良かったわネェ」
瞬間、甚大なる爆音と紅蓮の炎が小型飛行機を内側から吹き飛ばすように炸裂した。
小型飛行機に並ぶ『略奪船』を巻き込む形で、だ。




