第二十九話 闘争勃発
小型飛行機の落着、そして東雲千景やミィナ=シルバーバーストはともかく秘匿手配犯である真っ赤な女にダークスーツにサングラスの女、そして『第零席』とはいえなぜ秘匿手配犯と同居できているのかわかっていないブラックボックスたるメイド服の女の乱入。
そういった状況の変化に、しかし『安藤』は目的を見失うことはない。
白いスーツの懐に右手を突っ込み、取り出す。
すなわち拳銃。
その銃口を琴音を抱き上げ、逃げ出そうとしていたラビィ=クリスタルリリィへと突きつける。
「どうせ海での溺死として『加工』するんだし、多少の銃創は砕いて塗り潰せるわよね」
「……ッ!?」
だが、そこで『安藤』が大きく飛び退いた。そのまま引き金を引いていればひとまず目的は達せられたはずだというのにだ。
その理由は直後にやってきた。
ドシャアッッッ!!!! とショットガンのように砂が彼女が先程まで立っていた場所を突き抜けたのだ。
たかが砂だと思うかもしれない。
だが、その勢いは凄まじく、森に突き抜けていった砂が木々を食い破り、倒れる音が連続するほどだったのだ。
「へえ。今のを避けるとは流石噂の『安藤』。ワタシたちが参戦していなかったとはいえ、この国に攻め込んだ『組織』を退けたことはあるわねえ」
砂を蹴り飛ばした足を下ろし、獰猛に笑い、そして真っ赤な女が前に飛び出す。
足元を蹴っただけで爆破されたように浜辺が抉れる。
間合いとしては数十メートルはあったはずだが、そのことが疑問に感じられるほど瞬時に彼我の距離を詰める。
「きひひ☆」
零距離。
気がついた時には真っ赤な女が『安藤』の懐深くに飛び込んでおり、
「ッ!!」
ドッ、パンパパンッ! ガゴォ!! と拳と銃弾が交差する。顔面めがけて放たれた拳を『安藤』が左に顔を倒すように避け、右手に握った拳銃が複数の弾丸を吐き出すがそちらは身を翻すことで避けた真っ赤な女がそのまま回し蹴りを叩き込む。腹部にダイレクトに蹴りをもらい、後方に吹き飛ばされた『安藤』は軽く数メートルは滑空し、滑るように後ろに飛ばされながらも、
「突然変異による単純な膂力の極致、ねえ。情報としては知っていたけどこれほどまでとは」
しかし獰猛に口の端を歪め、
「だけど、動き自体は単調なもの。『アールフォトン内乱』、『ゴールドアビス争奪戦』、『犯罪組織連合殲滅戦』。警ではなく軍での対応が考慮されるほどの戦場をその身一つで渡り歩き、技術なくとも無数の敵を薙ぎ払う様がある種のカリスマ性を生み、人を狂わせるとして秘匿しなければ社会に不要な混乱をもたらすと国際的に判断された秘匿手配犯らしいとも言えるけど」
そこで『安藤』は咳き込み、赤黒い塊を浜辺に吐き出す。先程の蹴りは砂を蹴り飛ばすことで木々を噛み砕くほどの威力を叩き出した真っ赤な女によるものだ。内臓から出血が見られたがための吐血……で済んでいるのはおかしい。
真っ赤な女の蹴りには車をスクラップにだってできる威力があるのだから。
「胴体真っ二つにして臓物ぶちまけるつもりだったんだけどねえ。アンタ、なんだって血を吐く程度で済んでいるわけ?」
「大したことじゃないわよ。人間とは学ぶことができる生き物。力の受け流しくらい、大抵の武術に組み込まれているものよ」
ゴギッと握った左拳を鳴らし、右の拳銃をだらりと下げ、『安藤』は言う。
「そう、人間は学ぶ生き物。だから、まあ、私に二度も見せたのは致命的だったんじゃない?」
瞬間、今度は『安藤』が前に出る。
右の拳銃が跳ね上がり、腹に響く銃声と共に弾丸が放たれる。顔面に迫るそれを真っ赤な女は顔を横に倒すように避け、拳を放つ。彼女は木々を砂を蹴り飛ばすだけで軽々と砕く膂力の持ち主だ。その拳にだって最低でも木々を粉砕するだけの力が込められているだろうに──『安藤』はお構いなしだった。
顔面で拳を迎えるように真っ直ぐに前へ。
そのまま直撃する、といったところで左手が拳の横に添えられて、ぐるんっ!! と真っ赤な女の身体が宙を舞ったのだ。
「な、ん……っ!?」
「己の身体が生み出す力をその身に受けることね」
ズズン……ッッッ!!!! と地響きと共に浜辺に埋まるほどの勢いで真っ赤な女は投げ飛ばされた。ビギベギと身体の奥から嫌な音が連続する。
「いかに人間離れした膂力の持ち主といえども動きが単調ならやりようはいくらでもあるもの。心技体。体が不要とは言わないけど、それだけで勝てるほど世の中甘いものじゃないんだから」
とはいえ、だ。
真っ赤な女はその生き様が一種のカリスマ性を生み、社会に多大なる影響を及ぼすとして秘匿しなければならないと国際的に判断された秘匿手配犯である。いつもならば身体能力だけでどんな兵隊でも粉砕できていた。おそらくは『第零席』の面々といえども、真っ赤な女とやり合えば膂力のごり押しで今頃肉片に変わっていただろう。
だが、『安藤』には届かない。
銃弾を目で見て避けるのは当然、八百メートル先からの狙撃を軽々と避け、ロケットランチャーを起爆させずに受け流し、海外から攻め込んできた犯罪組織が持ち込んだ戦車を敵に回した時だって砲撃を避けながら距離を詰めて打撃を放つことで装甲に守られたその中に衝撃を通す形で乗員を殺害した女である。
『第零席』が頂点。
国家防衛の要にしてこの国の最大戦力。
秘密裏に国家の敵を排除するために磨き上げられた力はかつて真っ赤な女も所属していた『組織』を退けるほどなのだ。
「こ、の……ッ!!」
「何事も見れば慣れる。もしも私を殺したいなら初見で致命傷を与えるくらいはしないとね」
銃口が真っ赤な女に向けられていた。
浜辺に埋まるほどの勢いで地面に叩きつけられた時の衝撃で身体の動きが鈍っている真っ赤な女では回避はできないと見抜いた上で引き金を引くのに迷いはなかった。
パァッン!! と。
夜の闇の中、腹の底に響く嫌な音が炸裂する。
ーーー☆ーーー
確かに銃弾は放たれた。
いかに突然変異によって極限まで高められた膂力の持ち主といえどもこの体勢、このタイミングでの一撃は避けようがないと断言できた。
ゆえに弾丸は真っ直ぐに真っ赤な女の頭部に叩き込まれる……はずだった。
パァッン!! と腹の底に響く嫌な音が炸裂する。弾けるような音と共に銃弾が消失したのだ。
「な……っ!?」
初めて、『安藤』の表情に驚愕の色が乗る。真っ赤な女が何かしたわけではない。対応できないよう追い詰めての一撃だ。チェックメイトはすでに宣言されており、後は流れ作業のように銃弾を叩き込むことで勝敗は決していたはずなのだから。
だが、現実として最後の一撃は霧散した。
『なぜ』の部分が見抜けないほど鮮やかに。
「まったく、アタシの娘の前で銃殺だなんてトラウマになりそうなものを見せようとしないでください」
声が。
真横から、聞こえ、
「……ッッッ!?」
ゴッ!! とトラックにでも轢かれたかのような凄まじい衝撃が『安藤』の全身を叩く。満足に受け身も取れず、石切のように何度も浜辺を跳ねる。
ようやく止まった時には軽く五十メートルは吹き飛ばされた後だった。
「が……ばうっ!?」
喉からせり上がってきた血の塊を吐き捨てる『安藤』は未だ驚愕から抜け切れていなかった。
至近にまで近づかれてなお声をかけられるまで気配を察知できなかったのもそうだが、どうやって攻撃されたのかもまるで把握できていないのだ。
見れば慣れる。
蹴り上げた砂がショットガンのごとく木々を貫くほどの膂力の持ち主が相手でも何度か『見た』だけで対応できる『慣れ』の早さこそ彼女の真骨頂だというのにだ。
メイド服を肩に羽織ったその女。
間合いに気づかれることなく接近し、銃弾を粉砕し、正体不明の攻撃をお見舞いしたミィナ=シルバーバーストの『母親』は静かに『安藤』を見据えていた。
「ブラックボックス……。あの『女貴族』の伴侶だから情報規制がなされているだけかと思えば、とんだ怪物が今まで放置されていたものね!!」
「貴女が何をどう考えようとも関係ありません」
一歩ずつ、ゆっくりと。
構えることなく、警戒することなく、力さえ抜いた状態でメイド服を肩に羽織った女が歩み寄る。
『第零席』が誇る最強を前にしても、なお、余裕をもって。
「これ以上アタシの娘の友達の友達を付け狙うというのならば、そして母親でありながら実の娘の敵に回る不愉快な様を見せてくるというのならば、文字通り粉砕するだけですから」
言下に『安藤』とミィナ=シルバーバーストの『母親』が真っ向から激突する。




