第二十七話 『白き花の代弁者』の原点
ラビィ=クリスタルリリィは『ある国』の国境線に近い村の出身である。
『ある国』の人間でも知る者は少ないほどに小さく、貧しくて、インフラだって日本のように整っていない村ではあったが、それでもラビィは幸せだと感じていた。
裕福でなくとも、便利でなくとも、その村のみんなを大好きだと胸を張って言えたからだ。
他の人よりも少々心の機敏を読み取れる能力が高いだけの少女は他の子供のように村の外に出る気もなく、大好きなみんなと共に生きていく……つもりだった。
村の近くに勢力図を塗り替えかねない大量の資源が埋まっているというのが発覚したのはいつのことだったか。
利権の奪い合いで『ある国』の内部で争いが勃発する中で、国境線の先の別の国が横槍を入れて、『ある国』から利権を奪おうと画策したのはいつのことだったか。
村の近くの採掘現場で大規模な事故を起こし、村人を巻き込んだという風に演出して、『ある国』では希少な資源を管理するには技術不足であるという建前をつくり、利権を『ある国』から別の国が取り上げようと動いたのはいつのことだったか。
結果として村人は悲劇を演出するためのキャストとして死んでいった。
利権の奪い合いに無辜なる民が巻き込まれて死んだとするほうが効果的だからという理由だけで爆風に吹き飛ばされ、爆炎に焼き尽くされたように国家に属する工作員の手によって『加工』されながら、だ。
どうせ殺すからと口が軽くなっていたのか、村人たちをより悲劇的になるよう『加工』していた連中はお前らは利権のために殺されるのだと哀れそうに口走っていた。
ラビィは生き残った。
奇跡以外の何物でもなかった。
赤と黒の肉片と変貌した村人たちの死に様が悲劇として世界中に広められ、利用されている中、それでもラビィは生き残ったのだ。
大好きなみんながいなくなった世界で彼らの死に様を、『加工』された悲劇をネット越しに世界中の人間が見てこう言ったものだ。許せない、と。
だが、結果は?
その悲劇に対して声をあげていた有象無象は、しかし別の話題が出れば村人たちのことなんてもうすっかり忘れていた。
世界的大スターのスキャンダル一つで数百もの命が人の形すら保たずに死んでいったあの悲劇を忘れて、その奥の真相を追求することすらなかったのだ。
誰もが憤るだけで、その憤りすらも別の刺激があれば霧散する程度。あれだけの悲劇が、いいやラビィが直面した悲劇以外にもずっと多くのものが流されていっているのだ。
このままでは繰り返しだ。
敵対関係があるからこその闘争の果てに凄惨な結果が出ても、その『原因』は放置されたまま一時的に憤っていずれは忘れられるだけなのだ。
復讐、でもある。
だけど、一番はもうあんな悲劇を繰り返してはいけないという正義感からだった。
これまでの悲劇はもうどうしようもなくとも、これから起きる悲劇は防ぐことができる。
そのための『教団』。
国家や組織の形を崩すことなく世界を一つとして、敵対関係からの奪い合いの必要性を失わせ、もう二度とあのような悲劇を起こさないためにラビィ=クリスタルリリィは『白き花の代弁者』と生まれ変わったのだ。
心の機敏を読み取れる能力の高さとネットという世界中に影響力を広げることができるツールを駆使して短期間のうちに勢力を広げてみせた。それこそ『第零席』のような一般には知られていない国家の『力』さえも知り得て、封殺できるほどに。
もう二度と悲劇を繰り返したくない。
世界を平和にしたい。
想いだけはそれだけで、だけど現在の支配階層たちが快く思わないのも確か。『セントラル』のクイーンや相談役、国家の中枢に深く関わる『第零席』ような『白き花の代弁者』の正体を知り得るほどの『少数』以外の者たちが自己の領域を食い潰される焦りから『教団』と敵対することはとっくに予測している。いいや、正確にはそうなることが必要であるために誘導さえしている。
近いうちに『内乱』という形で『教団』関係者とそれ以外が世界各地で激突することも、その『内乱』によって発生する社会不安から生じる心の隙を狙い、利用することで『白き花の代弁者』が世界中の人間の心の奥に深く干渉できることも、そこまで状況を進めてしまえば『少数』が情勢をひっくり返すことはできなくなるほどの勢力差が生まれることも『白き花の代弁者』は予測していた。その結果として軽く数千万もの死者が出ると試算が出ていることも、わかっていた。
悲劇を繰り返したくないという想いから始めた活動が新たな悲劇を生み出すきっかけになっている矛盾に悩んだのは確かだが、何もしなければラビィが味わったような悲劇が繰り返されるだけなのだ。
ゆえに、ここだけ乗り切れば、と言い聞かせていた。近いうちに発生する『内乱』を『白き花の代弁者』がカミサマの言葉を『代弁』する形で終息させたその時こそ、世界は真に一つとなり、もう二度と悲劇が起きない平和を掴み取ることができるのだから。
これは正しい行いだ。
現存の勢力からの反発はあるだろう。犠牲だってゼロにはできない。それでも、だとしても、最終的に悲劇のない平和な世界となるのならば『内乱』による犠牲も致し方ないものなのだ。
立ち止まる理由はどこにもない。
これまで誰もが憤るだけで行動してこなかった中、ラビィ=クリスタルリリィが代表して行動に移しているだけなのだから。
だから。
これは仕方がないことなのだ。
ーーー☆ーーー
ラビィ=クリスタルリリィは全てを悟っていた。
こうして『第零席』──封殺していたはずの国家の『力』が顔を出している時点で安全圏はとっくに崩壊している。
信仰を軸として現場レベルから支配階層まで掌握することで敵対することすらできないよう調整していたが、信仰に縋る心の隙を誰かが埋め合わせ、利害による協力関係を結んだのだろう。
一部でいい。簡単に修復できる程度のものでも構わない。『白き花の代弁者』がリカバリーする暇を与えず、安全圏にあけた穴を使って『いつものルール』を適応させればいいのだから。
全ては自らの支配領域を守りたいお偉方の誰かの思惑のままに。
そう、ラビィ=クリスタルリリィの故郷が滅びたあの日のように一部の支配階層の思惑でもって。
「ワタシは間違っていない。支配階層が望むままにあんな悲劇が当たり前に隠蔽されるのは敵と味方という構図に分かれているから!! その構図を崩せば、国家の垣根を超えて世界が一つになればっ、もう誰も理不尽な悲劇に苦しむことはない!! それでも、貴女は己の利権を守りたいだけの連中の命令に従ってワタシを殺すというの!? この瞬間こそ、世界を平和に導くか否かの! これ以上の悲劇を防げるかどうかの瀬戸際かもしれないのに!!」
「もちろん私だって今の世界が清廉潔白なものだとは思っていない。それは私のような奴が国家の命令に従って殺しをばら撒いていることからも明らかよ」
「だったら……ッ!!」
「それでも、このままでは『内乱』が起きる。それを貴女が理解しているかどうかは知らない。何をどこまで企んでいるかまでは把握できていないからね。だけど、どちらにしても貴女を好きにさせていれば必ずや新たな闘争の火種となる。だからこそ、それほどの犠牲を払ってまで人の心を望むがままに誘導しようとしている貴女の企みは容認できない。大体そこまでやっても世界平和なんて叶えられるわけないしね」
「できる! やってみせる!!」
「願望混じりの小娘に世界の手綱を託せるわけがないわよ。だから、排除する。これまでと同じようにこれからもずっと、この国の安全を脅かす敵は秘密裏に殺し続けると決めているのよ」
ラビィ=クリスタルリリィは心の動きに敏感だ。だから、わかる。わかってしまう。
『安藤』の心は固まっている。
何の対策もなく言葉一つで動かせるほど軟弱ではない。
ゆえに。
『いつものルール』に則って動く『安藤』を止めることはできない。
「絶対に後悔する。そうやって現状維持しかできない以上、世界はこれまでもこれからもずっと悲劇に満ちていくんだから!!」
「そうね。それでも私は表向きだけとはいえ平穏が維持できている今を守るためにこの手を汚す。夫を失い、娘を人の目が邪魔だからと今まさにこの手で傷つけて、それでも守ると決めたこの国のために」
『安藤』は止まらない。
国家の敵を秘密裏に排除する『第零席』の暴虐が正確無比にラビィ=クリスタルリリィへと襲いかかる。
その寸前の出来事だった。
バッシャアアアアンッッッ!!!! と。
小型の飛行機が海に落着したのだ。
半ば跳ねた小型飛行機が石切のように海面を滑りながら浜辺へと迫る。ざばぁんっ! と浜辺に乗り上げるように止まった五〜六人乗りらしき小型飛行機は落着の衝撃で機体の至る所にヒビが走っていた。
コックピットを覆うキャノピーが上に開かれ、後方に腰掛けていた二人組が慌てた様子で浜辺に飛び降りる。
「琴音ちゃん!!」
「ことね……っ!!」
東雲千景にミィナ=シルバーバースト。
二人は気を失っている安藤琴音を見つけ、顔を真っ青にして駆け寄る──前に新たに真っ赤な女とダークスーツにサングラスの女が降り立ち、その肩を掴む。
「まあ待て。流石に噂の『安藤』に不用心に近づくのは危険だって」
「元とはいえ私チャンたちが属していた『組織』の連中が敗北したほどの相手だしネ」
その新たに降り立った二人を見て、『安藤』の表情が歪む。
「貴様ら、まさか秘匿手配犯か!?」
「ああ、『組織』に属していた時はそんな風に騒がれてたっけ」
「心配せずとも今は大人しく居候ライフを満喫中ヨ。だからマァ、貴女が抵抗せずに安藤琴音とラビィ=クリスタルリリィを渡すなら今まで通り大人しくしていてあげてもいいわヨ」
「ふざけているわね。あくまで手を出せば闘争の余波で街が血の海と変わり、悪戯に社会不安を煽るだけだということで見逃してやっていただけなのよ! こうして人の目を気にする必要がない無人の島に訪れたならば『第零席』の名にかけて排除できると知れ!!」
瞬間、今までどこに潜んでいたのか夜の闇の中から数十もの人影が這い出る。『第零席』、国家が秘密裏に敵を排除するために用意した警察や自衛隊とも異なる暴力装置。
個々人が歴戦の兵さえも秘密裏に殺害できる能力を求められる精鋭中の精鋭である。
……ダークスーツにサングラスの女の言葉から過去に彼女たちが元とはいえ属していた『組織』の人間は『第零席』に敗北している。そのことから彼女たちと『第零席』とは質に大差ないと考えた場合、数で劣る彼女たちが敗北する可能性は高いだろう。
決して有利ではなく、それでも真っ赤な女もダークスーツにサングラスの女も余裕の表情を崩さない。いかに不利でも負けるつもりがないのが一つ、そしてもう一つの理由は──
「不愉快ですね」
最後の一人。
小型の飛行機に乗っていた彼女はゆっくりと立ち上がり、飛び降りて、浜辺に降り立つ。
肩に羽織ったメイド服を冷えた夜の海風に靡かせながら、
「同じ『母親』として不愉快以外の言葉が見つかりません」
ミィナ=シルバーバーストの『母親』は無表情ながらにその瞳に明確な怒りを乗せてそう吐き捨てたのだ。




