第二十六話 安全圏の崩壊
『教団』。
世界の総人口の何割というレベルで広がっている新興宗教には明確な名前はなく、便宜上そう呼ばれている。
全ては『白き花の代弁者』がカミサマの言葉を『代弁』するという形を整えており、また他の宗教とも両立が可能という安易で広域に窓口を開いているからこそ急激に信者は増えている。
日本ではキリスト教の信者でなくともクリスマスを祝うように長い時を重ねた宗教は無意識化で人の心に浸透し、『生活』に影響を及ぼす。それほどの価値を『教団』は短期間で熟成・獲得しており、その功績の全てはひとえに『白き花の代弁者』の力あってのもの。
学生だろうが政党の頂点だろうが分別なく対等に扱う『教団』にあって、名義上こそ上下関係はなくともカミサマの言葉を『代弁』することで地位を確立している『白き花の代弁者』は相手の望みを見抜き、言葉一つで人の心を操る。そんな彼女がネットを駆使して(つまりは世界の裏側の人間とだって顔さえ合わせずに言葉を交わして)世界の総人口の何割という範囲を支配下に置いたのだ。その人心掌握術はほとんど催眠の域に到達している。
当人は意識すらしていなくとも、明確に影響を受けているほどに『教団』に組み込まれている大勢を支配下と置いているからこそ『白き花の代弁者』は武力を用いずとも身の安全を確保している。
例えば犯罪組織が秘密を知った一般人を始末する、例えば『セントラル』のような世界的大企業が下部組織に責任を押し付ける、といった無機質ながらも効果的な安全機構は何かしらその横暴が公にならないよう調整されているものだ。揉み消すにも作法がある、といったところか。
だが、『白き花の代弁者』は現場レベルから支配階層まで世界の総人口の何割という範囲を支配下に置いている。いつもの作法で始末しようにも現場レベルで反旗を翻される可能性が大きいし、敵対関係にある勢力が邪魔に入るように調整されている。
ゆえに無敵。
どれだけ無防備だろうとも、いかに支配されていないお偉方が始末を命じようとも、現場レベルで『白き花の代弁者』は守られる。
まるでシロアリ被害のように気づいた時には『いつものルール』で対応できないほどに組織を虫食い状態とする存在なのだ。
ゆえに世界的大企業だろうが世界的に有名な国家だろうが関係ない。『白き花の代弁者』がカミサマの言葉を『代弁』すれば、たったそれだけで『いつものルール』であれば盤石だったはずの枠組みは反乱という形で内側から崩壊するのだから、敵対するというアクションすら起こせないのだ。
そう。
自身は安全圏でほくそ笑み、言葉一つで人の心を好きに振り回す『白き花の代弁者』の望みのままに世界が変革されるのを理解していながら誰も止められないのだ。
だから。
そのはずなのに。
「『白き花の代弁者』の人心掌握術の方法は別に一つじゃねえ。だが、心を鷲掴みとするために用いた方法が多いってことはどれか一つくらいなら切り崩せる可能性が高くなるってことだ」
ゴロツキは言う。
『セントラル』に頼ることなく調査した結果を確認するその表情が歪んでいく。
「例えば不足。現状に満足していない奴の心の隙間に入り込んで巧みに操る方法が使われている場合、『セントラル』の力で不足を満たしてやれば? 人間ってのは強欲なものだからいくら満たしたって新たな欲が湧いてくるものだろうが、一時的になら満足するはずだ。その状態であれば、不足を軸とした人心掌握術の効果も切れる」
つまり。
つまり。
つまり。
「『白き花の代弁者』に支配されている中でも国家防衛を担う一部。そいつらが感じている不足を補うことで『教団』の支配下から解放しやがった! 短時間、一定範囲でのこととはいえ安全圏に穴をあけ、『いつものルール』で揉み消せる瞬間をこじ開けやがったんだ!!」
『白き花の代弁者』を快く思っていない支配者は多い。それでもこれまでは彼女の支配が行き届いていたがために手を出すことはできない状況だったし、『セントラル』の頂点や国家上層部でも極一部の人間しか『白き花の代弁者』の正体を知り得ていない。
『白き花の代弁者』の正体を知る『少数』が動こうにも、排除から揉み消すまでがワンセットとなったシステムが正常に動かないよう他の勢力が妨害に入る調整がなされていたので、玉砕覚悟での突破も出来ないように安全圏が構築されている……はずだった。
なら、そもそも安全圏を構築する人間の一部が『白き花の代弁者』の支配から逃れていたならば? 世界の総人口の何割という範囲を覆い尽くし、勢力を広げながらも呑気に学校生活が送れるほどに裏側での闘争を制し、安全を確保していた今までとは話が変わってくる。
例えば犯罪組織が一般人を始末するように、いいやそれ以上の無機質なシステム。
これまでは『白き花の代弁者』によって封殺されていた国家が敵対者を撃滅するシステムが特定条件下とはいえ正常に稼働するよう『セントラル』の頂点・クイーンが特定の人員を『解放』しているとすれば……、
「チィッ!! こりゃあ『いつものルール』が使えずにうずうずしてやがった『安藤』が真っ先に動いているんじゃねえか!?」
ーーー☆ーーー
雷でも落ちたかと思うほどの音だった。
だが、違う。
その音は安藤琴音から、正確には後ろから彼女の首筋に押し付けられた道具から炸裂したものだった。
スタンガン。
日本であってもちょっと過激な暴漢対策として手に入れることは可能な武器である。
ぼすっ、と琴音の身体が力なくベッドに倒れる。その意識は完全に途絶していた。
「先輩、大丈夫っすか!?」
「『白き花の代弁者』ラビィ=クリスタルリリィね」
女の声だった。
ラビィ=クリスタルリリィが視線を動かした先にはスタンガンを手にした白いスーツ姿の女が立っていた。
短く揃えた黒髪に鋭い黒の瞳。
どこか安藤琴音の面影があった。それこそ安藤琴音をそのまま大きくしたような、それでいて人懐っこい印象のある琴音と違ってやり手のキャリアウーマンのように近寄り難い印象を抱かせる。
くるり、とスタンガンを回し、腰のベルトに差してから、鋭い瞳でラビィを見据えたその女は言う。
「国家の平和を維持する『第零席』の権限において貴女のことは排除させてもらう。私のような者に狙われる心当たりくらいはあるわよね?」
「安藤、香織っすか……ッ!? だけど『第零席』、ううん。この国の国家的武力は『教団』と敵対できないよう調整していたはずっす!!」
「秘匿されているはずの私の名前まで知り得ているほどの力は見事だけど、それでも『あの女』のほうが一枚上手だった、それだけの話よ」
それよりも、と。
『安藤』は死刑宣告を告げるように無機質ながらも鋭利な言葉を突きつける。
「『いつものルール』で揉み消せるよう、貴女のことは海に溺れた結果の仕方がない死なのだと演出しないといけない。多分苦しいだろうけど、己の所業が招いたこと。大人しく受け入れることね」




