第二十話 水面下での探り合い
・今日のミィナさん、その三
夜。
薄い灰色の猫・ミケの生活環境を整えようと真っ赤な女が張り切っていた。お陰でやることがなくなったミィナは恋人に電話をかけていた。
理由なんて好きな人の声を聞きたい、それだけあれば十分だ。
ただし。
何やら電話先の恋人の様子がおかしかった。
「ちかげ……なにか、あった……?」
『どうしてそう思ったんですか?』
「なんとなく……元気がなさそうだったから……」
『そう、ですか』
「話しても、大丈夫なこと……?」
『ええ。軽蔑されるかもしれませんけど』
東雲千景は語った内容は軽々しく擁護していいものではなかった。
安藤琴音が奪われるのではないかと怖くてラビィ=クリスタルリリィに辛くあたっていたことを『仕方がない』、『気にする必要ない』としてしまうのは、それだけ相手のことを考えていない薄情なものなのだから。
どうやら琴音が諭してくれたようだが、だからといってだったらもういいよねとはならないのだ。
『本当、情けない限りです』
「……気づけたなら、大丈夫。ちかげなら、きっと前に進めるよ。だって、その……わたしの、恋人、なんだから」
『ミィナ……。ありがとうございます』
それにしても、と。
ミィナ=シルバーバーストはどこか声音を固くして、
「嫉妬だけ、だった……?」
『と、いいますと?』
「わたしは、てっきり、ちかげも同じものを感じていたからこそ……あんな態度だと、思っていた……」
『ミィナ? ちょっと待ってください。これはわたくしが新参者にあらぬ警戒をして、情けない姿を晒したという話、ですよね? それとも他に何かあるんですか???』
根拠となるものは何もないけど、と前置きした上で、ミィナ=シルバーバーストはこう答えた。
「ラビィ=クリスタルリリィは普通の人間じゃないと思う。……少なくとも、あれを一般的な高校生と分類するのは……危険だよ」
『いや、そんな、待ってくださいっ。何がどうなればそんな話になるんですか!?』
「根拠は、ない……。だけど、あの人からは、降伏という名の居候状態の二人と、同じくらいの『圧』を感じる……。そんなの、普通の人間とは、呼べないよ……」
『居候状態の二人というのはよくわかりませんが、とにかくラビィ=クリスタルリリィには普通ではない「何か」があると? そうだとして、なぜそんな人物が琴音ちゃんに近づいているんですか!?』
「理由までは、わからない……。はじめは『東雲グループ』の社長の娘に近づくために一目惚れなんて適当な理由を並べてちかげの親友であることねに近づいたのかも、と思っていたけど、あんなに険悪でもラビィ=クリスタルリリィは気にしてなかったから……何らかの隠れ蓑としてことねを使っているのではなく、正真正銘ことねが狙いなのかもしれない……」
『それこそ理由がわかりませんっ。「東雲グループ」の関係者であるわたくしが狙いであればともかく、普通の学生である琴音ちゃんに普通ではない「何か」を抱えた人物が近づく理由なんてどこにあるんですか!?』
「だから、わからないよ。……わかっていたら、とっくに対処していたもの……」
『そ、そうですよね。ですが、だとしたら!』
「でも、そんなに深刻に考えなくても……あくまでわたしの直感だから……単なる勘違いかもしれないし……彼女が抱えている『何か』とは関係なく、本当にことねに一目惚れしたのかもしれない……」
それが今の今までミィナ一人で抱えていた理由だろう。根拠は何もない。それこそ親友に近づく新参者への嫉妬が生み出した悪感情を誤って感じているだけという可能性だってあり得たのだから。
だけど、
『わたくしはミィナを信じます』
東雲千景に迷いはなかった。
どうなるかわかっていて、それでもこう続けたのだ。
『ミィナの勘の良さは知っていますし、そもそも単なる勘違いならそれでいいんです。最悪なのは、勘違いだと言い聞かせて、ラビィ=クリスタルリリィの「何か」が炸裂するまで放置してしまうこと。そのせいで琴音ちゃんが傷つくなんて万が一にだって考えたくもありません。用心のためにもラビィ=クリスタルリリィについては一通り調べておいたほうがいいでしょう』
「わかってる……? ことねにバレたら……」
『その時は全てを白状します。それでも琴音ちゃんが信じてくれなくて、まだラビィ=クリスタルリリィを警戒しているのかと、粗探しでもしているのかと、そう勘違いされたとしても構いません。琴音ちゃんが「何か」に巻き込まれてしまうのを黙って見過ごすよりずっとマシですから』
「その時は、わたしもことねに説明するから……」
『ええ。よろしくお願いしますね』
何もなければそれが一番。
だが、降伏という名の居候である真っ赤な女はホテル『八岐大蛇』にオープンカーで突っ込んで、なお、丸くなったと判断されるほどにぶっ飛んだ人間である。
そんな彼女や、同類であろうダークスーツにサングラスの褐色の女と一緒に住んでいるミィナがその二人と同じくらいの脅威だと判断しているのだ。
ラビィ=クリスタルリリィの奥には何もない、単なる勘違いでした、なんて都合のいい展開はあり得ないと考えていいだろう。
ーーー☆ーーー
そして。
駅前のショッピングモールで邂逅があった。
「『白き花の代弁者』ラビィ=クリスタルリリィ」
『調査報告』に目を通し終わったゴロツキはラビィ=クリスタルリリィとすれ違う際、こう吐き捨てたのだ。
「数年前にこの国の『汚染』は終わり、次の獲物に手を伸ばしていたはずだ。だってのに、なんだってこの国に戻ってきた?」
その問いかけに。
ラビィ=クリスタルリリィは薄く笑う。
ゴロツキに背を向けながらも、こう答えたのだ。
「『白き花の代弁者』はいついかなる時も平和へと至るためにカミサマの言葉を『代弁』し、広めているだけっすよ」
はぐらかしていることを隠そうともしない答えにゴロツキは舌打ちをこぼす。
(ったく。この国が陥落する前に気づけりゃあ絶対に『汚染』を阻止したものだが。『汚染』さえなければ簡単に済む話だってのに、くそ! 流石に心の変異はあらかじめアテをつけて精査しないことにはわからねえってんだ!!)
ラビィ=クリスタルリリィの狙いがわかっていない以上、先回りして対応することはできない。
強硬手段に出ようにも、この国はとっくに陥落しているがために『白き花の代弁者』関連に限り、その力は現場レベルで封殺され、不発に終わるのは目に見えている。
つまり、
(狙いだ。せめて『白き花の代弁者』の狙いがわからないことには対応もクソもねえ)
ラビィ=クリスタルリリィが何を企んでいるかはわかっていないが、彼女は安藤琴音に近づいている。そこに何かしらの意味があった場合、複数の国家を骨抜きにするレベルの怪物の『闘争』に巻き込まれる可能性が高いのだ。
正義か悪か、なんて話ではない。
その狙いが何であれ、安藤琴音を巻き込むことだけは阻止しなければならない。
完全に私的な理由だ。
それの何が悪い、と即答するからこそ彼はゴロツキなのである。
「もう今すぐあの女ぶん殴って終わりにしてえなあ」




