第十六話 駅前での攻防
十月のある休みの日。
肌寒いからと薄い茶色のコートを羽織った私は駅前の『魔王像』の前で待ち合わせをしていた。
九時半かーまだ待ち合わせの三十分前だよー遅刻しないようにといつも早く来すぎちゃうんだよねーなんて思っていると、
「あ、先輩っ。奇遇っすねっ」
「ぶふっ!? 抱きつく形で無駄に育ったおっぱいを顔に押し付けてくる、だと……ッ!?」
こんなことしてくるのは誰かなんて分かりきっていた。私は油断すれば意識をもっていかれそうなくらい柔らかな胸の誘惑を振り切るように下手人を引き剥がす。
つまりはラビィちゃん。
青みがかった白髪に赤い瞳の自他共に認めるしかない美少女は十月の寒空の下、漆黒のミニスカ仕様巫女服というとんでもない格好でニコッと笑顔を浮かべていた。
くそう、顔が良い女はなんだって似合うんだよねえ! こんなの反則だよっ。
「先輩暇っすか暇っすよね一緒に遊びましょうはい決定っすー!!」
「だからせめて返事を聞いて! いや、それよりも、ラビィちゃんっ」
「はいはい先輩の愛しいラビィちゃんに何かっす?」
「今日はまずいっ。その、遊ぶのは別にいいけど、せめて今日以外にしよう、ねっ!?」
「えーなんでっすかー! せっかく『教団』使って先輩の居場所を特定したんすよっ。あーそーびーまーしょーっすーよー!!」
「『教団』? ファンクラブのこと??? いや、そんなことより!!」
と、その時よ。
「琴音ちゃん。それ、なんですか?」
ひどく。
冷たく、鋭利な声音だった。
その奥には何もない。ただただ突き放すような冷たさがあるだけよ。
つまり、だから、そこに立っていたのは青を基調とした着物姿の千景だった。
「ち、千景……もう来たんだ。早かったね」
「琴音ちゃんなら待ち合わせの三十分前には来ていると思いましたから。それより、もう一度聞きますけど──それ、なんですか?」
ひいい! やばい怖いなんで初っ端から臨戦態勢なんだよう!!
どこぞの婚約発表会に乗り込んだ時のほうが全然マシなくらいには空気がもうピリッピリなんだけど、引き剥がしたはずのラビィちゃんがもう一度私の頭を胸に抱いて(そのせいで何も見えなくなったけど)、多分千景に対して挑発的に笑みでも浮かべて、こう言ったのよ。
「逢瀬っすけど、文句あるっすか?」
「ありますよ。今日、琴音ちゃんは、わたくしと出かける約束をしていたんです。部外者の立ち入る余地はありません。邪魔、しないでくれませんか?」
「邪魔してんのはどっちっすか。愛する二人が逢瀬を重ねているというのに横から出しゃばってくるだなんて邪魔以外の何物でもないっすよ」
「ラビィ=クリスタルリリィ」
「なんすか、東雲千景さぁん?」
きょっ、きょきょっ、今日は千景と二人で出かける予定だった。だってミィナの誕生日が一週間後に迫っているんだもんっ。一緒に誕生日プレゼント選ぼうって話だったもんっ。それが、なんで、こんなことになるのよお!!
ど、どうしよう?
今日はミィナの誕生日プレゼントを選ぶ予定だったから、もちろんミィナが合流することはない。つまり、だから、これって嫌悪まっしぐらな二人を私が宥めないといけないって、こと、だよね……?
は、はは。
助けてミィナー!!
ーーー☆ーーー
『白き花の代弁者』を中心とした『教団』は主にネットを駆使して短期間のうちに勢力を増していった。
あくまでカミサマの『代弁』という形を整えてはいるが、いくつもの教えに隠された真意はすでに分析済みである。
国家の垣根を越えた恒久の平和の実現。
そのためには国の意思に逆らってでも不要な闘争を避け、悲劇を事前に阻止すればいいという理想論。
政府や巨大企業の上層部など、頂点に位置する者たちの権力は絶大であり、その思惑に沿って世界は回っている。だが、実際に動くのは何の変哲もない大勢の人間なのだ。
いかに特権階級が自身の利益のために敵を粉砕することで悲劇を量産しようと考えても、実行する側が拒否をすれば何も起こらず、もって悲劇なき世界平和が実現する……といったところか。
「敵と味方に分かれているからこそ闘争は生じる。ならば世界中の人間の行動を『代弁』という形で制御して、一つの勢力として再定義すればいい、とでも言いたげだな。流血なき世界征服でも狙ってんだろうが、ハッ! アホくせえにもほどがある」
ゴロツキは調査報告に目を通して、そう吐き捨てていた。
『教団』の教えとやらに含まれた真意は理解した。ゴロツキとしては大いに気に食わないし、いくら理想を追い求めたとしてもどこかで変異すると確信しているが、仮に『教団』の理想通りに世界が単一の価値観に染められたところで世界平和なんて達成できるとは思えないのだ。
待っているのは究極の独裁政治でしかないと、なぜそんな簡単なことに気づけないのか。
「まあ勝手にすりゃあいいって話ではあるんだが、このままじゃ琴音が巻き込まれそうなんだよなあ。くっだらねえ理想に沈むなら一人で沈んでおけってんだクソッタレ」
どうしたものか、と。
警告したというのに呑気に『白き花の代弁者』を受け入れている安藤琴音の姿を思い出して、ゴロツキはガシガシと頭を掻いて思考を回す。
ーーー☆ーーー
・今日のミィナさん、その一。
にゃあ、と鳴き声が一つ。
東雲千景も安藤琴音も用事があるということでやることなくて散歩に出ていたミィナが拾ってきた薄い灰色の猫の鳴き声である。
ありふれたマンション、その三階。
質素だが綺麗に纏められたリビングで『拾ってください』という簡素な文字がマジックで雑に書かれたダンボールに入った猫を抱えているミィナは『母親』を見上げていた。
メイド服をマントのように羽織る無表情の女。もしこの場にゴロツキがいればブラックボックスだなんだと顔を歪めていただろうが、ミィナにとっては母親以外の何者でもない。
「猫、飼っていい……?」
「…………、」
ミィナの問いに黒髪黒目の母親は視線を僅かにズラし、ダンボールの中の灰色の猫を見据える。
彼女が何事か告げようと口を開いたその時、横から転がり込む勢いで突っ込んでくる影が一つ。
「きゃっ、きゃわっ、きゃーわーいーいー!!」
赤い羽衣を雑に巻きついたも同然の斬新なファッションの女。服装だけでなく髪から目から真っ赤な彼女はダンボールに収まった灰色の猫を抱き上げて、ぐるんぐるんと回りながら、
「こんなの飼うしかないよねっ。それとも捨ててこいとか? そんなこと言ったらいくらアンタでもぶっ殺すから!! そうそう、この子の名前は!?」
「……名前は、ミケにしようと、思っている……」
「ありきたりだけど、可愛いからよしっ!!」
一目で灰色の猫にでれんでれんの真っ赤な女を母親にしては珍しく呆れたように見つめて、一つ息を吐く。
「拾ったからにはきちんとお世話するように。いいですね?」
「うん……っ!」
「降伏という名の居候の身だけど、ワタシも気合い入れてお世話するからよろしく!!」
そんな彼女たちをコーヒー片手に眺めていたダークスーツにサングラスの褐色の女は肩をすくめて、一言。
「本当丸くなったものよネェ」




