第十一話 返答
「きひひ☆ やっぱりオーブンカーっていいよねえ。日本の蒸し暑い空気だって速度があれば多少は涼しくなるってものよ」
真っ赤なオーブンカーのハンドルを握る、髪も瞳も服装も真っ赤な女が歌うようにそう呟いていた。
赤い布を巻きつけただけにしか見えない、前衛的すぎる格好の彼女の横ではダークスーツにサングラスで両目を隠した褐色の女が前方を見つめながら、
「『草薙』の御曹司と『東雲グループ』のお嬢さんの婚約をぶち壊してネェ。元という冠がつくとは言っても私チャンたちにそんなことをお願いシテ、愛娘チャンはどんなことになるか本当に理解が及んでいるのやラ。マァ私チャンたちに元という冠を押しつけるほどに叩き潰してくれた愛娘チャンの母親に頼らなかったダケ、まだ良心の呵責ってヤツが働いたのだろうケド」
「まあ普通に片方にはバレて後ろに乗ってやがるんだけどねえ!!」
真っ赤な女の言う通りだった。
後部座席にはどこぞのゴロツキのようにメイド服をマントみたいに羽織る無表情の女が腰掛けていた。
「…………、」
肩まで伸びた黒髪に底が見えないほどに深い漆黒の瞳の『母親』の感情はその表情からは窺い知ることはできないが──真っ赤な女やダークスーツにサングラスの女と激突した時とは比較にならないほどの圧を感じるというだけで十分だった。
「怖いわネェ。私チャンたちを巻き込むことだけはやめてほしいものだケド」
「なんでもいいわよ、やることは変わらないんだし。さあ、ひっさしぶりの喧嘩の時間よっ。精々楽しませてくれることよねえ!!」
瞬間。
ガッシャァアアアンッッッ!!!! と真っ赤なオーブンカーは迷うことなくホテル『八岐大蛇』へと突っ込んだ。
ーーー☆ーーー
『決着』は呆気ないものだった。
『草薙』を飛び越して『セントラル』の一番偉いクイーン? とかいう奴から連絡を受けた草薙大蛇が絶望するように崩れ落ちたからよ。
そこからはトントン拍子で話は進んだ。千景の父親にして『東雲グループ』のトップとゴロツキが何事か話したかと思えば、婚約の話は無かったことになったんだから。
千景が話を聞こうにも、千景の父親は『もう千景が我慢しなくても「東雲グループ」に危害が加えられることはない。苦労をかけたな』というだけで詳細を説明する気はなさそうだった。多分ゴロツキが内緒にするよう言ったんだろうけど……そもそも私のような学生では全貌を理解することすらできていなかった『小難しい話』がなんでこうも簡単に解決したってのよ? そうよ、多分これがゴロツキの勝算だったんだろうけど、そもそもどうやって『セントラル』なんてものを動かしたのよ???
思えば私がミィナと共に千景を助けにいくと桜の木の下で決意した時に付け足すように話してきた時もそうよ。
『そういえば言い忘れていたな。東雲千景が草薙大蛇と婚約しないと「東雲グループ」が倒産するって話な、ぶっちゃけどうとでも阻止できるんだわ』
『…………、は? どうやって!?』
『そりゃあもちろん俺の力で、だな』
『アンタねえ。これは街の喧嘩じゃないのよ? そんな簡単にいくと思っているわけ?』
『ん? ああ、夏休みにゃあ結局伝えきれてなかったっけか。まあこれはこれで面白くなりそうだしいいや。とにかく方法はあるから心配するな』
『まあアンタがそう言うなら何か勝算があるんだろうけどさ。だったら、それに賭けるのもいいか。……それはそうと、なんでそのことさっさと言わないのよ?』
『なんかワーワー騒いでいる琴音ウケたから言うタイミング逃したって感じだな。いやあ、最高だったぜ。テメェの無能を棚に上げて喚き散らすところなんて特になあ!! はっはっはっ!!』
『こ、この野郎……ッ! 図星だけど、だけど、ああもうっ。本当性格悪いんだから!!』
その後もゴロツキは警備に捕まることはないから何の問題もなくホテル『八岐大蛇』の最上階に乗り込むことができる、なんてことも言っていた。
そんなわけで後顧の憂いなく千景を取り戻すために行動できたってわけだけど、結局具体的な話は何も聞いてなかったのよねえ。
まあ、いいわよ。
千景も『東雲グループ』も無事に済んだ完全無欠のハッピーエンドを迎えられたんだったら、さ。
というわけで私、千景、ミィナはホテル『八岐大蛇』から出てしばらく歩いたところにある寂れた公園にやってきていた(ちなみに千景はピンクの高そうなドレスから青を基調とした着物に着替えている)。
もう周囲は暗く、月の光に照らされていた。わざわざここを選んだ理由は人目につかないからってだけよね。本当は私だってどこかに行くべきなんだろうけど、何も言われないからとついてきた。
我儘なのはわかっているけど。
これだけは、きちんと見届けないと、区切りがつけられないから。
「ちかげ……『東雲グループ』、助かってよかったね……」
「そっそそっ、そうですねっ。え、ええ、本当、良かったです。あの人には何かあるとは思っていましたが、まさかここまでとは思ってもいませんでした。はは、ははは……」
千景、流石に挙動不審が過ぎる。いやまあ『東雲グループ』そのものが人質にとられただのなんだの、つまらないことを気にする必要がなくなったからこそいつも通りでいられる証拠なのかもしれないけど。
「……ちかげ」
「ひゃっ、ひゃい!?」
「わたしの告白の返事……聞かせて、ほしい……」
「へっへんっ返事、ですか!?」
「うん。……もう、『東雲グループ』のことを、気にする必要は、ないんだし……ちかげの本音を、聞かせてよ……」
千景は顔どころか首まで真っ赤に染めて、視線を彷徨わせて、これでも多少は弁えて距離を取って見守っていた私のほうを見てきたのよ。
「こ、琴音ちゃんっ」
「はいはい頑張れ頑張れ」
「雑すぎないですか!?」
「まあ、いつかのデートに誘う時のように私が代わりに答えてやってもいいけど……勇気をもってぶつかってくれたミィナへの『答え』がそれでいいわけ?」
「うっ。わ、分かっています。分かっていますよ! ちょっと勇気が欲しいだけでしたのに、琴音ちゃんは意地悪ですっ」
もうっ、と吐き捨てた千景は胸に手を当て、大きく深呼吸をして、バッと勢いよくミィナへと振り返る。
『答え』を、示す。
「わたくしも、ミィナのことが好きです! 是非、お付き合いしてください!!」
言って、手を伸ばす。
ミィナの顔も見れていない千景は、いつまで経っても返答がないことに痺れを切らしたのか、僅かに視線を上げる。
そこで、口を両手で覆い、涙を浮かべているミィナに気付いたのよ。
「みっミィナ!? どうかしましたか!? ハッ!? どこか痛めていたりするんですか!?」
「ちがう……っ。うれ、しくて。だって、ちかげと違って、わたしっ、は、なんでもできるくらい優秀じゃなくて、生まれだって平凡なもので、こんな、受け入れてもらえるなんて、信じられなくてっ、夢のようで、本当に嬉しくて……!!」
「そんなの、わたくしも同じですよ。知っていましたか? わたくし、ずっと前からミィナのことが好きだったんですよ。それでも、わたくしなんかがミィナと付き合えるわけがないと、ずっと告白する勇気が出ませんでした。今だって夢なのではないかと、信じられないほどには嬉しく思っているんですから」
「そう、なんだ……」
「ええ。ですから」
伸ばした手で、ミィナの手を掴む千景。
引き寄せ、抱きしめて、思いの丈を告げる。
「これは夢ではないと、現実はこんなにも美しく幸せに満ちているのだと、一緒に証明していきましょう」
「うん、うん……っ!」
「好きですよ、ミィナ」
「わたしも、ちかげのこと、大好き……!!」
ああ、良かった。
それだけは確かに断言できる。
例え、それが、三人を二人と一人に変えるものだとしても──今、私は、胸の痛みよりも強く良かったのだと心から思えている。
それだけで十分よ。
それさえ覚えていれば、もう、間違うことはないんだから。




