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アイ・マイ・シー  作者: 津久美 とら
第三章・ひとかげ
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第三章・ひとかげ(4)

 気持ちのいい朝だ。と言っても、もうお昼近いけど。今日は火曜日。


「あの人に会える日ね」


 部屋を出て、階段を駆け上る。自分の足の感覚なんていつぶりだろう。一階のホールを抜けて二階にある自室へ向かう。


「まったく、相変わらず趣味が悪いわ」


 白いネグリジェ。レースとフリルがあしらわれたそれは、モノは良いけど私の趣味には程遠い。まあ整った顔立ちと華奢な体にはよく似合っているけど。

 とにかく、趣味じゃないものは一時(いっとき)も身に着けていたくない。少女趣味のそのネグリジェを、部屋に備え付けてある洗濯カゴへ放り込んだ。そうしておけば後はあの子がやってくれる。

 ようやく少女趣味から解放されたと思ったのに、今度は下着まで白いキャミソールに白いショーツだ。光沢のある糸で作られたレースが惜しげもなく使われている。


「いい加減にしてよね!」


 悪態をつきながらそれらをすべて洗濯カゴへ放り投げる。ついでにスリッパも脱ぎ捨てた。ショーツがカゴの端にだらしなく引っ掛かったが、私の知ったことじゃない。


 バスタオルとバスローブ、替えのスリッパを持って、裸足のままホールへ続く階段を下りる。

 スリッパや靴下は嫌いだ。この家は西洋式で、みんなは土足で家の中を歩くから、風呂上りだけは何か履くことにしているけど。

 脱衣所に据え付けられた鏡には、痩せた体が映っている。曇りなく磨き上げられているのも、きっとあの子の仕業だ。


「本当に貧相だわ。肌の白さとキメの細かさだけは良いけど」


 鏡に映る凹凸の少ない体を、いつまでも凝視していたって仕方ない。丁寧に髪を梳いてから、風呂場の戸を開けた。私は家の中で風呂場が一番好きだ。


 洗い場を挟んだ戸の向かい側には、大きなバスタブ。大の男が肩まで浸かって足を伸ばしても、全然余裕だと思う。

 その横には出窓があって、昼間はそこからキラキラと日差しが入ってくるし、その窓がはめ殺しじゃないところも気に入っている。この戸を開ける度、私は嬉しくなる。

 バスタブの蛇口を全開にすると、ごうごうと音を立てて湯が落ちる。この音も好きだ。小気味いい。


 勢いよく湯の落ちる様子をしばらく眺めてから、台所へ向かった。今日はウイスキーの気分。すっぽんぽんのままだけど、誰に見られるわけでも無いし、別に見られたって構わない。

 シンク上の棚からようやくグレンモーレンジィの瓶を見つけ出したとき、お小言が聞こえてきた。


「やっとお目覚め?」

「うるさいなあ、ちょっとくらい大丈夫よ」

「裸の何が悪いの?服を着る生物は人間だけよ」


 あの子は頭が固すぎる。杓子定規に生きていて、何が楽しいのかしら。

 ウイスキーグラスに金色のグレンモーレンジィを注ぐ。さらさらと美しいそれをグラスいっぱいに楽しみたいけれど、あの子がうるさいから、シングルをロックで一杯だけにしておいてあげる。

 キラキラと輝くグラスを持って、キラキラと陽の光る風呂場へ戻った。湯はすっかり溢れていたけど、気にしない。

 バスタブに浸かり、金色の液体を舐める。全身がしゅわしゅわと泡立つようだった。開け放した窓からは、緑のにおいと風の音、鳥の声。


 たっぷり一時間は風呂を満喫した。

 バスローブを引っ掛けて、冷蔵庫を漁る。見つけ出した炭酸水のフタを捻ると、ぷし、と気持ちの良い音が鳴った。

 バスタブの湯は張ったままだけど、気にしない。そんな些末なことは、気になる人が、できる人がやればいい。だから私はやらない。気にならないし、できるとも思わない。あの子がやる方がずっと上手くできるんだもん。私は私のやりたいことしかやらないの。


 フライパンに油を注いで、程よく温まったらベーコンを載せる。肉と油のにおいがつくのは嫌だから、急いで換気扇を回して台所中の窓を開けた。


「イヤよ。ベーコンにはスクランブルエッグよ」

「しつこいわね、私は目玉焼きは嫌いなんだってば!」


 あの子が静かになったと思ったら、今度はおこちゃまが騒ぎ出す。食べ物のことになると、まあ煩い。

 まだわあわあと言っているけど、ワガママを聞き入れてやるつもりはない。私は私のために、好きな料理しか作らないの。


 火の通ってきたベーコンを一度皿にあけて、フライパンにバターを載せる。冷蔵庫から出したばかりでも、バターは余熱でみるみる溶けた。そこに卵を二つ。火にかけながら一心不乱に混ぜる。ふわふわになったらベーコンと入れ替えて、今度は強火。少し焦げたくらいが丁度いい。

 皿に盛って黒コショウをたっぷりかければ完成! 主食はもちろんパンだけど、トーストはしない。食パンはもちもちだからこそ美味しいの。


 食事を終えたら身支度に取り掛かる。今日は火曜日、あの人の来る日。ちゃんと私を見てもらわなくちゃ。

 二階の自室のクローゼットを開ける。この間はロリータチックな黒いワンピースドレスだった。本当に、どこまでも趣味が合わない。

 きれいに整頓された引き出しから、ブラジャーとショーツを探す。


「今日は黒、絶対黒」


 目当てのものは、まるで隠すように奥へ仕舞い込まれていた。

 ブラジャーの上からは襟ぐりにレースの付いたタンクトップを重ねる。あからさまに下着が見えたり透けたりするのは好きじゃない。フェアじゃない。

 

 トップスはブルーグリーンのノーカラーブラウス。ボトムは、そうね、膝上丈のジーンズスカート。程よく入ったフレアーがお気に入り。靴はベージュの五センチヒールにしよう。抜け感が出るし、脚が長く見える。どうせ座っちゃうんだけどね。


 メイクは顔立ちを活かして目元にポイントを置く。チークとリップはほんのり色づく程度でいい。アイシャドウはライトブラウンを基調にして、目尻に軽くグリーンを。これでブラウスとの調和がとれる。

 ヘアアレンジは敢えてしない。この髪は、このままで充分!

 最後にジミーチュウのトワレを一吹き。このピンク色が香水の中で一番好き。


「いい感じよ。可愛いわ」


 鏡台に向かってにっこりすれば、素敵な私のできあがり。

 あの人が来るまで、あと二時間! 階段を駆け下りながら、私は嬉しい気持ちでいっぱいだ。


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