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アイ・マイ・シー  作者: 津久美 とら
第三章・ひとかげ
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第三章・ひとかげ(3)

 その夜、幸太郎からの返信は無かった。過度な期待はしていなかったものの、やはりがっかりしてしまう。軽い苛立ちすら感じるのだから、まったく人間とは勝手なものだ。


――とにかく情報源が気になる。


 もう一度メッセージを送ろうかとも思ったが、人が一人亡くなっているのだ。興味と(たち)を先行させるのはさすがに不謹慎ではないか。どうせ大学で会うのだ、その時に話を聞けば良い。

 そう自分に言い聞かせるほどには、シロの興奮は一夜明けても収まっていなかった。


 講義は通常通り行われた。

 渦戸卓教授の死に関しては、死亡した旨と追悼の意が敷地内の掲示板に貼られたのみだ。大学側から、それ以上の情報は与えられなかった。

 幸太郎と顔を合わせたのは二限目の教室であった。


「おはよう、幸太郎」

「はよ! メッセ返せなくてごめんな」

「大丈夫。でさ、そのお腹を刺された情報って誰から? テレビじゃ刺されたことしか言ってなかったけど」

「それがさ、ウチに来た刑事なんだよ。なんか、渦戸と犯人の足取り? を知りたいとかで、念のためにウチの工場の外カメラ見せてくれって」

「外カメラって、防犯カメラのこと?」

「そうそう。ほら、何気に高い機械もあっから、一応つけてんの。しっかしさ、刑事ってほんとにバディ組んで聞き込みとかすんのな! オッサンと若いのの二人組でさ、まじで刑事ドラマかよって」

「渦戸や犯人は映ってたの?」

「いやそれがさあ、昨日親父いなくてさ。俺も兄貴も勝手に触ったらめっちゃ怒られんのよ。母ちゃんは機械オンチだし。しょうがないから刑事が今日もっかい来るんだと」

「なんで刺されたのがお腹だってわかったの?」


 今までの幸太郎の話の中に、それらしい文言はなかった。シロの一番知りたい部分はそこなのだ。


「ああ、訊いたんだよね俺が。刺されたってマジなんですかって」

「うん」

「そしたら、若いほうのやつが『そうなんだよ、犯人は正面からお腹を刺したまま、包丁の向きを変えて右脇腹を真一文字。刺すだけじゃ飽き足らず、まさか裂くなんてね』だって」


 若い刑事の真似なのか、幸太郎は普段よりもワントーン高い声でおどけるように話す。


「随分おしゃべりというか、口の軽い刑事さんだね」

「だよな。オッサン刑事にめっちゃ怒られてたわ」


 若い刑事がベテラン刑事に怒られている様を思い出しているのだろう、クツクツと喉を鳴らして笑った。

 既に何人もに同じ質問をされただろうに、話すことを嫌がる素振りは一切見られなかった。彼もまた、この非日常の出来事に浮かれているのだ。

 声を潜めてはいるものの、その表情は終始明るく、目は爛々と輝いていた。

 自分だけが持っているであろうマル秘情報。それをネットに書き込むほど子供ではないが、友人に話さずにいられるほど、彼は大人ではなかったのだ。


――でも、おかげで今知りたい情報は手に入った。


 寧ろ収穫はそれ以上だ。幸太郎は、シロの知りたいことよりもさらに多くを語ってくれた。

 凶器とされる刃物は包丁。渦戸は正面から腹部を刺された。犯人は体に刺さったままの包丁を返して、渦戸の右脇腹を裂いた――。

 隣同士に座るシロと幸太郎の周りに、いつの間にか人だかりが出来ている。皆、事件の公表されていない事実を知りたいのだ。

 教室中が好奇心で溢れている。


――幸太郎の情報は信用できそうだ。


 群がる学生たちに、彼は先ほどシロに聞かせたのと同じ話を繰り返している。そこに矛盾は無いし、嘘や捏造を混ぜている風でもない。言葉に淀みは無く、目線、体の動きといった点にもおかしなところは見られなかった。


 人間の身体は嘘を吐いたり何かを誤魔化したすりする時、無意識にそれを告白する。「私はいま、嘘を吐いています」と。行動心理学や深層心理の分野において、それは”微細行動”とか”マイクロジェスチャー”とか呼ばれるらしい。「目は口ほどに物を言う」とはあながち間違いではないのだ。

 幸太郎が一通り話し終えるのとほぼ同時に教室の引き戸が開いた。

 入室してきた講師は渦戸の事件については触れることなく、普段と何ら変わりのない様子で講義を始めたのだった。


 地元有力者の息子が殺されたとなると、警察ものんびりとはしていられないらしい。

 今日一日でスーツ姿の見慣れぬ人物を八人見掛けた。その内の二人は女性であったが、事情を聴きに来ている警察官であろうことは一目で分かる。体つき、歩き方、眼光の鋭さは隣を歩く男性のそれに勝るとも劣らない。 

 八人の警察官はそれぞれ二人一組で行動していた。午前と午後で二組ずつ。交代制のようで、顔ぶれは変わっているものの、一日中私服警官が学内をうろついているのである。心当たりなど全く無いのに自然と背すじが伸びてしまうのは、何とはなしに腹立たしいものだ。


 夕方の静まり返った図書室でようやく一心地つけた気がして、シロの口から深いため息が漏れた。

 警官を見かける度に、事件に対して興奮していることがばれるのではないか、そこからまさか目をつけられたりはしないだろうかと不安に駆られた。

 今こうして冷静になってみれば、なんと馬鹿馬鹿しい考えか。警察官は超能力者ではないのだ。


――彼女は知っているだろうか。


 一人の人間が死んだこと。それは自分の通う大学の教授であったこと。女性関係について黒い噂があったこと。地元有力者の息子であったこと。包丁で腹を裂かれていたこと。


 この平凡な街で、殺人事件が起きたこと。


 アンジュの家には毎週土曜日と火曜日、週に二回赴くことになっている。明日はその火曜日だ。


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