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アイ・マイ・シー  作者: 津久美 とら
第三章・ひとかげ
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第三章・ひとかげ(1)

 その日は、よく眠れるだろうと思っていた。心身共にへとへとだったのだ。

 <詳細の分からないバイト先に行ったら雇用主は車いすに乗った十五歳の美少女でした>

 本のタイトルのようなあらましだ。

 これまでの十九年を平凡すぎるほど平凡に暮らしてきたシロにとっては、あまりに刺激が強すぎた。

 非現実的な雰囲気に()てられてしまったのだろう、ベッドに入っても目は冴えたままだ。


――しかし柄にもなくよくもまあ、ずけずけと喋ってしまったものだ。


 彼は生来おしゃべりなタイプではない。コミュニケーション能力に過不足は無いが、自らが語るよりも他者の会話を一歩下がって聞いているほうが性に合う。しかしそれにおいて彼には難点(これは幸太郎に指摘されたことだ)があった。

 会話の中の矛盾や疑問を早急に解消しなければ気が済まないのだ。時には自分に関係の無い話題でも無意識に舌が回ってしまう。

 まるで別人だ、と心配げに幸太郎は言った。人格が変わってしまったようだと。


――でも、笠原さんは。


 彼女は恐れる様子も困った表情も見せなかった。常に興味深そうにシロを見つめ、言葉を受け止めていた。

 大人びているのだと感じたが、何かが引っかかる。

 何度も寝返りを打っては笠原アンジュを思い浮かべてみるが、彼女への「引っかかり」が何なのか、シロの手は答えに届きそうにはなかった。

 デジタル表示の壁時計が蛍光色で午前二時三〇分を報せても、彼は未だ考えあぐねていた。


   * * * 


 スマートフォンのけたたましいアラーム音で目が覚めた。

 笠原アンジュに見え隠れしていた「引っかかり」について考える内に、意識を手放してしまったらしい。

 上半身を起こして伸びをすると同時に、大きなあくびが出る。

 眠りに落ちる前に見えていた時間は二時半だった。それより後に眠ったのだから、寝不足であるのは否めない。

 ベッドの上でぼんやりしているうちに幾らか頭が働きだしてくる。

 ふと視界の端に蛍光色をとらえた。壁時計は時刻を八時二〇分だと告げている。スマホのアラーム画面には、いくつものスヌーズの文字。


「遅刻だ!」


 すっかり眠気の吹き飛んだ頭で、シロは身支度の取捨選択と大学までの道のりを模索した。

 本来、自宅から大学までは自転車で一〇分とかからない。

 だがなんと不幸な事か。昨日たまたま実家へ来ていた姉がシロの自転車を買い出しに使用し、タイヤをパンクさせて帰ってきたのだ。

 昨日は日曜日で、近所の自転車屋は定休だった。

 シロがその事実を知ったのは昨夜八時頃。両親と姉、義兄と食卓を囲んでいるときに、悪びれる様子もなく告げられた。

 両親は明日は歩いて学校へ行けばいいじゃないかと(のたま)った。

 自分に対して両親が甘いことを、姉はよくよく心得ている。


――せめて夕方、おれが帰ってすぐに教えてくれれば、少し先のホームセンターまで行っても間に合ったのに。


 そのホームセンターならば、十九時まで修理を受け付けてくれる。


 徒歩通学を忘れていたわけではない。いつも通りに起きられれば、なんの問題もなかったのだ。

 講義の開始時間は八時五〇分。一講義目を受け持っているのは、ひどく時間に厳しいおじいちゃん教授だ。欠席はおろか一度でも遅刻をすれば”優”は望めない。

 走って間に合うだろうか。自家用車のヴィッツは父が通勤に使用している。この時間ならばとっくに家を出ているはずだ。タクシーを呼ぼうか。いや、我が家は地元駅からも遠いから、すぐに配車されるとは考えにくい。いやいやいや兎にも角にも、家を出ないことには始まらない。

 身支度もそこそこに、シロは自室を出る。階段を駆け下り、廊下のフローリングに何度か足を滑らせながら玄関へ向かうその途中、ズボンのポケットに突っ込んだスマートフォンが鳴った。メールの着信音だった。


<諸般の事情により、本日は全講義を休校とします>


 送信元は大学の学生課となっている。


――全講義?


 何か不祥事でも起きたのだろうか。いや、それにしてもあり得ないことだ。たとえ全国ニュースになる不祥事を学生が起こしたとしても、全ての講義を休校にするなど。

 理由は何なのか。シロが最も知りたいその事柄については「諸般の事情」としか記載されていない。

 急いでメッセージアプリを開き、友人である幸太郎の名前を探す。自分よりも顔の広い彼ならば何か詳しいことを知っているかもしれない。

 普段は滅多にこのアプリを開かない。せいぜい届いたメッセージに短い言葉を返すくらいだ。

 どのアイコンをタップすれば友人宛てのメッセージが送れるのか分からなかった。


「武白!」


 廊下でまごまごとスマホを操作するシロの背中に、母の甲高い声がぶつかった。


「武白、ちょっと!」

「なに、どうしたの」


 正直、今は母のおしゃべりに付き合っている場合ではない。まずこのメールの内容が事実なのかどうか、確認を取らなければならないのだ。


「これ! これよ!」

「なに?」


 母はリビングで布巾を握りしめたまま、棒立ちでテレビを見つめている。

 要領を得られず少しのいら立ちを覚えながらもテレビを見やると、地元テレビの朝のワイドショーが流れていた。

 白地に黒抜きのテロップが飛び込んでくる。


<H大学男性教授、刃物で刺され死亡>


「えっ」


 武白の通う大学で教鞭を執る男性が、何者かに殺された。

 昨日夜のことだ。

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