表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アイ・マイ・シー  作者: 津久美 とら
第五章・牛歩の歩みに似て非なる
31/37

第五章・牛歩の歩みに似て非なる(10)

「どうして……。なんでいきなり……」


 怯えてる怯えてる。怖いんだねぇ。キレイだと思うんだけどねぇ、鋼はギラギラ反射しないから。でもまぁたしかに一般的な感覚ではないだろうし、それはこっちの話かぁ。

 まずは順手。駆け足程度の弾みをつけて、とりあえず刺さるところまで。体重を乗せきることはまだしない。


「ぐぁ……」

「いきなりじゃないよぉ、前から決まってたもん」


 あんたの口には興味ないから、無駄話はもういいよぉ。

 鉄の匂い。脂肪分の混ざった温かな液体。力が抜けて左肩にかかってくる重み。苦しみに悶えながら生にしがみつく呼吸。

 興味があるのはそういうものだけ。キレイなものだけ。


「残念ながら、決まってたのは私たちの中でだけだよ。この人にとっては”いきなり”以外のなんでもない」

「そうだっけ、そうかもねぇ。でもまぁほら、決定事項に変わりはないし?」

「そうだね。手早く済ませよう」


 手早く? せっかくのこの時間を、手早く? こっちにも手順やこだわりがあるんだよぉ?


「あり得ないあり得ない! 手早くなんてできるわけないでしょぉ!」

「そう?」

「そうだよぉ」


 まだ刺さり方は中途半端。

 柄尻に右手を当てて全体重をかける。ついでに相手の重さも利用してより深く、よりしっかりと。

 この時に右足を肩幅分斜め前に出しておいて、左のつま先は外側へ向けておく。足首と膝を柔軟に使うことがコツ。下から突き上げる形になって相手の重さが作用しやすいし、基底面が広くなるぶん踏ん張りがきく。こちらが重さに負けて共倒れになることを防げる。

 ああ苦しんでる。痛いよねぇ、苦しいよねぇ。それでいいんだよ。生きてるって感じがするでしょぉ?

 その顔とこの重さ。色、におい、温度。ああ、大好き!


「そもそもさ、相手の要望も聞いてあげなくちゃ、フェアじゃないでしょぉ?」


 左手も右手も、順手でしっかりと柄を握る。深く息を吸って、止める。


「ふっ」


 刺したまま、刃を外側へ九〇度回転させる。人間の肉は硬いから、渾身の力でやらなきゃいけない。力をうまく入れるには膝の使い方と呼吸が大事。ゆっくり深く吸って、短く強く吐く。そして一気に。固い瓶のふたを捻るように。

 同時に一瞬だけ、重心を落としてやる。密着していた相手がほんの少しだけ離れるから、こっちの身体の向きを変えられる。よしよし、左肩にかかっていた重みは上手く右肩に移行してくれた。右のつま先が左足にきちんと倣っていれば、今度は必然的に左足が肩幅以上前にくる。

 万が一抜けたり手が離れたりすると困るから、身体はしっかり密着させる。相手の正面とこちらの右脇腹で挟むようにして。


 声になっていない声が聞こえる。悶え苦しんで、もがきたいのにもがけない絶望色の声。力の入っていない身体が揺れている。痙攣のその振動は、こっちの脳髄まで揺さぶってくる。ああ、その全てにゾクゾクする。たまらないよねぇ。興奮するなって言うほうが無理でしょぉ?


「で、さっ」


 腰を落として全体重を左足へ。右耳から肉が裂かれる音が聞こえたら、素早く自分の右足を引く。倒れてくる相手の身体に巻き込まれないように注意。

 体勢を整えて振り向けば、そこにあるのはまだ微かに揺れる相手の身体。その身体と地面の間には、赤くてキレイな水溜まり。奥にほんの少し見えるのは、上行結腸と空腸かなぁ。

 これが唯一知ってること。何度も失敗して、ようやく学んだこと。生きる方法。生きる意味。生きていく糧。


「でさ、どうしてほしい?」

「……」


 あれ。


「おーい聞いてるぅ? てか聞こえてるぅ?」

「……」

「ええ……。もう死んじゃったのぉ? ちょっと早すぎない?」


 もう少し耐えてくれると思ったんだけどなぁ。ショック死って早いもんなんだねぇ。それにしたって要望言う前に死んじゃうなんて、あんまりだよ。おかげでフェアじゃなくなっちゃった。

 ……おぉ、月が思ったよりも明るい。キレイだねぇ。薄汚い歓楽街のそばでも、キレイなものは在るんだねぇ。このジメジメさえ無ければもっと良い。まだ五月下旬なのに、やんなっちゃうなぁ。


「そしてここは意外と人通りが少ないねぇ」


 S区の脇にある、この町で一番大きな公園。南北に一キロ、東西に三キロ。それだけの広さがあれば、遊歩道から外れた死角ももちろんあるわけ。


「いいね、使えるねぇここ」


 ああでも、同じ所じゃつまんないか。簡単に足がつくのもごめんだしなぁ。

 ていうか今回のコレ、失敗じゃん? 失敗作じゃん? 楽しかったよ楽しかったしキレイだけどさぁ。あーあ。切り口がきったねぇんだよなぁ。


「だめだなぁ、やっぱり」


 だめだろうなとは思ってたんだよ。あーあ、なんでこんな些末なことも……。


「まともにできないわけ?」

「ご、ごめん……」

「ごめんじゃなくてさぁ、なんでできないのかを訊いてるのね」

「ごめん……」

「だぁかぁらぁ。聞きたいのはそういう言葉じゃないわけ!」

「ひっ」

「言ったよねぇ、普通じゃダメだって」

「うん……」

「コレはさぁ、始まりなのね。スタート。デビュー。イニーツィオ。プロローグ。あんたの好きなクラシックで言えば前奏曲(プレリュード)!」

「うん……」

「それってやっぱり、すごく重要だと思うんだけど、どぉ?」

「そ、そうだね」

「じゃあちゃんとやろうよぉ!」

「ご、ごめ……」


 あーあ泣いちゃったよ。何で泣くかなぁ、みっともない。だからこいつには任せたくなかったんだ。


「まぁまぁ、そんなに大きな声出さなくてもいいじゃない。計画はきちんと実行できた」

「あのさぁ、こっちはアンタと違ってようやくなの」

「わかってるよ」

「この日のために我慢して我慢して、さんざん色々考えて」

「うん」

「その結果がコレ。納得いかないでしょぉ? やるなら完璧にやりたいわけ」

「そうだね、悔しい気持ちはわかるよ」

「出たよお得意のシンリガク」


 今さらそんなの通用しないよぉ。

 落ち着いた声のトーンを保って、絶対に否定をしない。オウム返しと肯定をひたすら繰り返して、いかにも共感しているかのように振る舞う。こっちの気分が落ち着く頃合いを見計らって、一気に自分の考えへ舵を切る。


「アンタのやり方はわかり切ってるし、もう見飽きたよぉ」

「だろうね」


 すかして笑っちゃってさぁ。腹立つなぁ。


「アンタも殺せればいいのに」

「それは困るよ、お互い」

「お互いねぇ。アンタのお互いって、誰と誰のことぉ?」

「みんなだよ。みんなが揃わないと、意味がないでしょう」

「意味ねぇ」

「ふふ」

「アンタが腹の底で何考えてるのか、本当わかんない。気持ち悪いなぁ」


 気持ち悪いどころじゃない、虫唾が走るレベル。言わないけど。


「それはむしろ光栄だね。私にとっては腹の内を簡単に理解されることほど、気持ちの悪いことは無いよ」

「あっそぉ」


 多分死んでも理解しあえないんだろうなぁ。そんなことに存在意義は求めてないし、別にいいけどねぇ。


「さぁ次は誰にしよう」


 ようやく手に入れた出番だ。思いっきり踊って踊らせないと、損でしょぉ。

 ああ、あれの家族なんてのも面白そう。平凡に飽きた顔が絶望に満たされてるところ、見てみたいなぁ。


「でもアンタは良しとしないんだろうなぁ」

「……きみの考えそうことは何となくわかるけど、あの人もその家族も殺させないよ。そんなのは面白くないでしょう」


 腹立たしいけど尊重しておかなくちゃねぇ。安全にキレイなものが見たいから、わざわざ計画だかなんだかに沿ってるわけだし。捕まっちゃうにはまだ早すぎるしねぇ。

 月明かりに光る水溜まりは、酸化して少しずつ黒ずんできている。それでもキレイ。どれほど汚い人間でも、内臓とその血の色だけは平等にキレイ。フェアだ。


「ねぇ泣き虫さん。今度は包丁じゃ許さないよぉ」

「ひ、う、うん……」


 さて、明日の朝はどんなテロップが見られるかなぁ。


「あんたもあんたの切り口もきったねぇけど、血と内臓の色だけは褒めてあげるよ。渦戸せんせぇ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ