第五章・牛歩の歩みに似て非なる(9)
私宅監置。明治時代に始まり昭和初期まで行われた、医療制度のうちの一つである。行政が個人へ許可を与え、私宅内の専用部屋に精神疾患の疑いのある者を常時隔離処置をするというものだ。
一八〇〇年代後半、幼くして家督を継いだ青年の精神疾患発症により起きた御家騒動。その事件から精神病患者への世間の関心が高まり、それまで粗雑であった自宅における監護の手続きなどが法によって定められることとなった。
当時精神疾患の治療を専門とした医療施設は少なく、入院することができたのは一部の富裕層のみである。中流以下の患者は相対的に数が多かったにも関わらず、病院での処置を受けることができなかった。そうした患者たちの多くは自宅内で監禁拘束され、不衛生かつ劣悪な環境下での生活を余儀なくされていたのだ。
それら一連の流れを受けて制定されたのが”精神病者監護法”だ。日本で初めて制定された、精神病患者に関する法律である。
しかし精神病患者を適切に保護するべきその法の中には、患者を隔離させてその家族らへ保護義務を課し、それを行政や警察が管理するという”私宅監置”が規定されていた。
私宅監置に際し、患者への専用部屋の設置は必要不可欠であった。
専用部屋と言えば聞こえが良いが、実態としては離れに錠を掛けただけのものや納戸を潰して格子をはめただけというものが殆どだ。患者は基本的にその中でのみ、寝食や排泄などの日常行為を行う。その形態は現代でいうところの独房に近く、言わば合法化された座敷牢である。
法律が施行されてからも当時の精神病患者の置かれる環境に変化はなく、むしろ監禁拘束という処置に対して行政の後ろ盾を与える結果となった。
その時代の精神医療の目的は、主に隔離や軟禁であったのだ。
――笠原邸はたしか、明治三十年に建てられている。
あの地下室は、元々私宅監置用の部屋だった。そして今もなお、当時と同じ用途で使われている。精神疾患を抱えているであろう、笠原アンジュを軟禁するために。
シロにはその仮説を肯定できるだけの理由があった。
彼女の自室、つまり地下室には一通り生活できるだけの設備がある。小さな冷蔵庫に簡単な電子レンジ、ベッドにテーブル。本棚食器棚、FF式ストーブに小さなクローゼット。
そして現代人らしい衛生的な生活に欠かすことができないのが、トイレである。それらしき扉をシロは既に見つけていた。
入り口から地下室内を見たとき、真正面にはテーブルがある。シロとアンジュがいつも会話をする際に使用しているものだ。その先には冷蔵庫が置かれている。
地下室はテーブルの位置を境に左へL字型になっているから、テーブルに座ったままではL字の奥は見ることができない。そのテーブルはまるで笠原アンジュのパーソナルスペースの壁、防衛線のようだった。
しかしシロはその防衛線を越えたことがある。
『三の彼女』と心理戦を行ったあの日、麦茶を理由に彼は半ば無理矢理に冷蔵庫まで歩を進めたのだ。
冷蔵庫にはあらゆる食べ物が詰め込まれていた。菓子やレトルト食品ばかりで、生鮮食品は見当たらなかった。
そしてその時、一枚の引き戸を見た。冷蔵庫の左側に設置された簡易キッチンの向かい側。シロがいつも座る椅子の真横。背の高い本棚を挟んでL字を折れたすぐのところに、それはあった。やたらとドアの多い笠原邸で、彼が見た引き戸はその一枚だけであった。
車いす対応トイレの扉は押し並べてスライドドア、引き戸である。
彼女はあの地下室を一歩も出ずとも、生きることができる。そのように誂えてあるのだ。
――ではなぜ、わざわざ車いすを使っている。
笠原アンジュは歩くことができるのに、それを意図的に制限している。誰かに制されているとも考えられた。
最低限の自由を与え、最大限の拘束を課している。身の回りのことは自身で行わせるが、決してそれ以上の行いは許さない。できない状況を作っているのだ。そのように彼女を操ることができるのは、彼女の保護者だけであろう。
――虐待になるのだろうか。
身体的にも精神的にも、笠原アンジュが適切な生活環境に居ないことは明らかだ。
だが仮に、彼女が保護者からある種の洗脳を受けている可能性もある。その場合の打開策がわからなかった。分別のつかない年齢ではないはずの本人が、その現状を受け入れてしまっているのだ。受け入れていなければ、とうに他者へ助けを求めているはずである。
――本当に、ラプンツェルだな。
塔の上に閉じ込められたお姫様。不自由の中に自由を見出し、それを受け入れて生きる少女。高い塔の上と、古い洋館の地下室。それはどちらも少女が一人で暮らすべき場所ではない。
――おれは王子様ではないけど。
グリム童話の様に彼女と恋仲になることも、アニメ映画の様に救い出して幸福を分かち合うことも彼にはできない。
そもそも私宅監置について、シロの中にはまだ疑問が残っていた。
笠原アンジュが精神疾患を抱えた後の監置なのか、それとも監置により彼女が精神病様を呈するようになったのかということだ。ただこの疑問は詳細のわからない現状において、鶏が先か卵が先かといった話と同様である。
そしてS区まで出掛けることのできる彼女が、なぜ甘んじてその仕打ちを受け入れているのか。完全に洗脳状態であるとするなら、外出を試みたりはしないのではないか。
――私宅監置、S区、性依存の可能性、統合失調症、境界性パーソナリティ障害。
どんよりとした濃灰色の雲は、存分に含んでいるであろうその水分をまだ何とか上空に留めていた。スズムシに交じってアマガエルの鳴き声が目立ってきている。雨が近い。
シロは音もにおいも視覚も、皮膚の感覚ですら雨の気配にすっぽりと包まれていた。家族の到着まであと一〇分ほどだ。




