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アイ・マイ・シー  作者: 津久美 とら
第一章・扉と階段
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第一章 扉と階段(2)

 晴れた昼下がりにも関わらず、玄関扉を開けると中は薄暗かった。

 数メートル先の足元を見ることもままならない。

 玄関ホールには外から窺えるだけでも四枚の大きな窓があったはずだが、その全てに遮光性の高いカーテンが掛けられている。

 暗順応を促すように目を細め、言われたとおりに左手のドアを探す。

 室内のひんやりとした空気が、シロのシャツにしみ込んだ水分を冷やしていった。


 暗順応は思いのほか早く、玄関扉の正面に二階へと続くであろう階段がぼんやりと見えてくる。

 上り口の向かって右側の大きな花瓶に目が行った。白と黄色の花々が生けられている。花の種類は様々で、その大きさもまた、様々である。

 花の名などシロには数えるほどしかわからない。

 黄色のバラと、白いカスミソウ。加えて、バラとカーネーションを掛け合わせたような花もあった。


 そこから更に数メートル右へ目を向けると壁の角にぶつかり、引き寄せるように視線をずらす。

  右手の壁には二枚のドアが間隔を置いて建て付けられていた。

 手前のドアから壁を伝って天井を見上げると、玄関ホールから二階までは吹き抜けになっているようだった。

 シロが今見上げている天井は二階の天井でもあり、そこに灯る五球のシーリングライトの柔らかなオレンジ色の光だけでは、玄関ホールまでを照らすことは到底不可能なのであった。


――生活しにくくないんだろうか。


 それとも、光に当たれない特別な理由でもあるのか。

 そういえば何年か前に、姉に付き合わされてそんな内容の映画DVDを見た。

 陽の下に出られずもっぱら夜に活動する少女と、その少女を支える少年の純愛ラブストーリー。

 あの話は、結局ハッピーエンドだっただろうか。


――陽の光を浴びられない。なぜ?


 それがなぜなのか、シロが思考に対して言及することはなかった。

 荘厳な館に、太陽を嫌う住人。彼はオカルトやホラーといった類のものが得意ではないのだ。

 (もっと)も、嫌っているのか先天的な病が原因なのかは定かではないが。


――<左手のドア>


 インターホン越しのその人は確かにそう言った。

 それに(なら)い、階段を挟んで向かって左側を見遣る。

 上り口に並ぶようにしてドアが一枚。さらに視線を左に向けていくと、壁の角に当たった。

 そこから自分のほうへ戻すように、手前へ。

 玄関ホールの左手前の角、丁度シロの立ち位置から左へ数メートル進んだ先に、ドアが一枚。

 こちらをじっと見つめるようにして建て付けられていた。

 玄関を入って左手のドアとは、恐らくこれのことだろう。


 吸い寄せられるように一歩踏み出すと、玄関マットから外れた右の踵が、コンと床を叩いた。


「こんにちは」


 ”他人の家”に入った感覚を取り戻し、至極控えめに挨拶を試みた。この声量では、聞こえても精々この玄関ホールまでだろう。

 一枚ドアを隔ててしまえばシロが入ってきたことにすら気付かれないのではないだろうか。


 指示されたドアの前に立つ。

 木製のそれは、ダークブラウンのとてもシンプルな作りのものであった。

 装飾などの施されていない、賃貸住宅にも用いられるような一般的なものだが、建物全体の雰囲気と比べると些か地味に思える。

 吊元は向かって左、ドアノブは右。こちら側からは押して開くタイプのようだ。


コンコンコン


 やはり控えめにノックをしてみる。

 返答はない。

 充分に想定内であったが、中指の第二関節を突き出した形のまま宙に浮いた右手に、やるせなさが漂う。


かちゃり。


 静まり返った玄関ホールに、ラッチボルトの引っ込む音が響いた。

 扉の先には半畳ほどの間をおいて、コンクリート製の階段が地下へと続いていた。

 同じくコンクリートで固められた壁には、黒い鉄フレームの古めかしいブラケットライトがぽつりぽつりと灯っている。

 いわゆる階段室だ。


「失礼します」


 独り言のような小さな声だった。

 ゲームでよく見るダンジョンや謎解き館が現実となって現れ、そこに迷い込んでしまった感覚だ。

 異様な、非現実的な雰囲気に圧倒され、無意識に喉が絞まる。気道が狭まり呼吸が苦しい。

 開いたドアはそのままにして、一歩ずつ慎重に階段を下る。


 ゆっくりと歩を進め着いた先は、またもドアだった。玄関ホールのものと同じ、シンプルな木製である。

 返事は大して期待せずに、三回ノックをする。


――いち、にい、さん。


 三秒待っても反応はない。ある意味期待通りだ。

 階段を下りる内に落ち着いてきた気持ちを抱き込むように深呼吸をして、向かって左側にあるドアノブを回した。


「失礼します」


 先ほどよりも声らしい声だ。

 シロの手応えとは裏腹に、扉の先は伽藍洞(がらんどう)だった。左の壁に階段室と同じブラケットライトが一つ灯っているのみだ。

 その空間は10畳をゆうに超えているのに、オレンジ色のその光だけではあまりに心許ない。

 シロの真向かいにはまたも扉が見える。

 たった今開けたものと同様の風体であった。


――床も壁もコンクリートだというのに、扉だけは必ず木製。


 それも全く同じ建具だ。

 玄関ホールから見えた他の扉には装飾があった。

 住人のこだわりなのか、それとも建設者の何かしらの意図があったのか、何か特別なものでもあるのか。

 しかしそれならば、鍵をかけるなり金庫に入れるなりすればいい。そうすべきだ。もっと厳重に。


 怒りと呆れが()い交ぜになった得も言われぬ感情が沸々とシロの思考を埋めていく。


コンコンコン!


「失礼します!」


 三枚目となるドアを今までよりも遠慮なくノックし、感情任せに声を張った。

 二度あることは三度ある。三度あるなら、四度目だってあるだろう。


「はい」


 もはや見飽きてしまったダークブラウンの木製ドア。

 その向こうからの返答だった。


「えっ」

「どうぞ、お入りください」


 インターホンから聞こえたものと同じ声だった。

 予想外だ。返答はないものと思い込んでいた。

 促されるままにドアノブを回す。扉はこれまでのどれよりも軽く、かちゃりと軽快な音が鳴るのと同時に内側へと開いた。

 躊躇う暇は与えてもらえなかった。


「初めまして、こんにちは」


 少女だ。

 頭部は小さく、大きな黒い瞳に小振りな鼻と唇を携えている。薄桃色の唇はうっすらと弧を描いていた。

 瞳と同じ黒く長い髪の毛。前髪は丁寧に目の上で揃えられ、幼さと凛々しさを同時に印象付けた。


――緑の黒髪とはこの事を言うのだな。


 視界からの圧倒的な情報を処理するのに精いっぱいのはずの頭の端で、シロは納得させられた。

 しかし、シロを何より驚かせたのは少女の大きな瞳でも緑の黒髪でも、美しいと言わざるを得ない顔の造作でもない。

 彼女の目線だった。


「ごめんなさい、驚かれたでしょう」


 少女は唇で弧を描いたままそう言った。否定するのも肯定するのも躊躇われた。


「さあどうぞ。そこの椅子に」


 微笑んだまま、テーブルに付属した椅子を薦められる。椅子は手前に一脚のみだ。

 彼女は奥に見えるキッチンとテーブルの間で器用に方向転換し、定位置なのであろうテーブル越しの場所からシロを捉えた。


「笠原アンジュと申します」


 車いすに座る彼女はまっすぐにシロを見つめ、中性的で落ち着いた、よく通る声でそう名乗った。


「川田武白、です」




第一章・扉と階段 了

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