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アイ・マイ・シー  作者: 津久美 とら
第四章・ニーチェの霍乱
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第四章・ニーチェの霍乱(8)

 早乙女一家が荼毘に付されてから一週間。

 あの快活だった青年は、今は骨となり小さな壺に収まっている。初七日の法要は骨揚げ法要とともに繰り上げて行なったと聞いた。

 家族も家も失った優太は、現在伯母の家へ身を置いているらしい。


「こんにちは」

「あらあら、幸太郎の……。わざわざありがとうねえ。さ、上がって。今冷たいものを用意するから」

「あ、お構いなく」


 狭い土間に雑然と並んだ埃っぽい靴たちを(また)いで、シロは何とか上がり(かまち)に足を掛けた。

 血筋なのだろうか、それとも類は友を呼ぶとでも言ったところか。五十過ぎのその女性はにこやかにシロを出迎えた。幸太郎の父親にも母親にも似た、人好きのする笑顔。それは年齢を鑑みなければ、正しく幸太郎にもそっくりなのであった。

 彼女のにこやかさや晴れやかさとは反対に、今日も外はジメジメと暑い。降っても暑いし降らなくても暑いのだから、救いようが無い。


「シロくん、わざわざありがとう」


 通された居間では今度は優太がやはりにこやかに出迎えた。

 幸太郎が所属していた映画サークルの面々が居ることは、玄関の靴を見て予想がついていた。二十歳前後、青春真っ只中の彼らには、こういった場でどう振舞うべきなのか見当がつかないのだろう。シロの姿を見て


「おう」


 と手を上げただけに留まった。その姿はあまりに所在無げに小さい。

 幸太郎に連れられてシロも何度かサークルへ顔を出していたから、互いに知った顔ではある。だが当時の様に下らないおしゃべりを繰り広げる気にはなれなかった。それには重要な人物が一人欠けている。されど所在が無いのはシロも同じだ。皆が手持無沙汰なせいで、頭の中だけがやたらとうるさく感じられた。


 四人の骨壺は居間から続く和室にあった。白い布が掛けられた小さな祭壇をとりあえずの居場所として、ただ静かに四十九日を待っている。

 幸太郎は一番右端、鮮やかな緑色の覆いが掛けられている。左端の紫色が祖父、その隣の紺色が父、紺色と緑色に挟まれた()()()()なピンク色が母である。親戚と話し合って決めたんだ、イメージカラーみたいなものかな。そう小さく笑う優太は、少々痩せたようだ。

 右頬にだけ浮かんだえくぼ。以前よりも薄らいで見える幸太郎と揃いのその特徴が、彼のやるせなさを体現していた。目の下には茶色くクマが出来ている。

 早乙女産業は現在、専務が社長代理として動いているらしい。優太が早く一人前にならねばいけない。いっぺんに降りかかってきたそれらの事柄は、決して身体の大きくない彼の双肩にはあまりにも重すぎる。


 この場に居る全員が、幸太郎ともその家族ともそれぞれに面識があった。なれど思い出話に花は咲かない。この町でまたも全国ニュースとなる事件が起きた。その被害者遺族を眼前にして、軽口を叩ける者などいなかった。

 当事者たちを置き去りにしたまま、世間は事を荒立てようと必死だ。早乙女邸放火事件と渦戸教授殺人事件は必ず一括りにして報道された。日に何度も伝えられるその内容は一貫して変わりなく、コメンテーターの分析もシロにしてみれば的外れも良いところだった。


『例えばですけどね、会社自体が何者かに恨まれていたんじゃないでしょうかねえ』

『一部には痴情のもつれなんて話もあるみたいですよ』

『家族関係に摩擦があったのでは』


 的なんて一向に射る気配が無いのに、テレビの中の人間はみな一様にして鼻をうごめかしていた。右腹を裂かれたとか特殊な刃物で襲われたとかいう文言は、誰の口からも聞こえてこない。肩書だけが立派で憶測の域を一歩も出ないその言葉たちを、シロは怒りと呆れと悲嘆を込めて鼻で(わら)った。

 物事の真実なんぞ、この人たちには見えていない。見ようともしていない。片田舎で起きた凄惨な事件とその被害者たちについて、訳知り顔でさもありなんと語っているだけなのだ。そうしていれば訳を知らない視聴者はウンウンと頷く。そうすれば自身の懐に金が入ってくる。犯罪心理学の権威や長年警視庁に勤めていたという人物ですらその有様なのだから、まったく目も当てられない。


 そう思う反面、非日常がまだ続いてくれていることにシロは随喜(ずいき)した。代償が幸太郎とその家族であったことは予想外であり、当然望んではいなかった。でも人生など一体いつ何が起こるのか分からないのだ。他人も、自分も。だからこそ興味深い。

 自分が、親友を失った現実の裏側でそんな風にも考えを巡らせるような、存外に薄情者であったことには多少なりとも驚いた。しかしその驚きは一瞬で、それらの思考に付きまとう自己嫌悪感にももうすっかり慣れていた。人間とは元より薄ら寒い生き物なのだ。そうでなければ、日本中の人がこんなにもこのニュースに耳を傾けるものか。

 性善説だ性悪説だと紀元前の哲学者と語らうつもりはない。彼らも含めて、みな他人事だからこそ世の中を凝視することができる。

 骨となり随分小さくなった親友を眺めて、シロは今一度自覚した。知らなければならない。


――おれはお前の仇だなんだと荒立てるつもりはないよ。ただ笠原アンジュについてだけは、知らなければならない。


 幸太郎は無念とも未練とも思っていないかもしれない。それでもシロは知らなければならない。親友との最後の会話は、やはり彼女についてであった。

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