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アイ・マイ・シー  作者: 津久美 とら
第四章・ニーチェの霍乱
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第四章・ニーチェの霍乱(4)

 六月八日。

 幸太郎は納体袋に包まれ、棺の中に横たわっていた。同様にその左横には幸太郎の両親、そして祖父が安置されている。

 祭壇には色とりどりの花がふんだんに取り入れられていた。どれも幸太郎の母と祖父が好きだった花だそうだ。


「最後だから。俺がわかってる分だけでも好きなものに囲まれていて欲しいと思って」


 早乙女家で唯一生き延びた幸太郎の兄、優太は笑いながらそう言って、そして声を上げて泣いた。


 幸太郎を含め、亡くなった四人は全員が焼死であった。

 何者かによる放火であることは間違いない。

 家の中には満遍なく灯油が撒かれ、出火元は一ヶ所だけではなかった。

 換気口は全て閉じられており排気は殆どされず、玄関を除いた家中の窓やドアが数センチずつ開けられていた。火の回りを早め勢いを強くするために。まるで風の通り道を計算したかのように。

 消防隊の必死の消火活動も空しく、早乙女邸は全焼、一部倒壊した。その日は不運にも雨は降っておらず、風の強い日だった。早乙女邸は丸焼けになることを避けられなかったのである。

 そしてその瓦礫の中から、四人の遺体は見つかった。六月二日、深夜二時過ぎのことだ。


――誰が、なぜ? どうして誰も逃げなかった?


 早乙女産業は、幸太郎の祖父が創設した地域密着型の会社である。

 先代である創設者の努力と、二代目現社長である幸太郎の父の人柄の良さで、長年にわたって地元民に愛されていた。

 祭りがあれば率先して協賛し実行委員を引き受け、市内の養護施設や高齢者施設への寄付やイベント(ごと)の慰問なども精力的に行なっていた。

 早乙女産業を恨む者がいれば、町全体からその者が恨まれる。そう表現しても過言でないほど、地域住民からの早乙女産業に対する親愛と信頼は厚かったのだ。


『必要以上の儲けは要りません。皆さんのおかげで、わしらは白いご飯が食べられるんですから』

 

 先代も二代目も、幸太郎の笑い顔とよく似た笑顔でそう言っていた。


――どうして逃げなかったんだ。


 シロの疑問は尽きない。

 瓦礫から発見された遺体は真夜中であったにも関わらず、全員がそれぞれ寝室とは別の場所で見つかっている。幸太郎は階段下付近、父親と祖父は居間、母親は台所。

 犯人は家中に灯油を撒いた上、延焼を促す細工までしている。火を点けるまでにそれだけの余裕があったということだ。

 仮に放火犯が家内に侵入してきたとして、通報もせず、抵抗もせず、逃げる事すらせず、ただ死にゆく事などあるものだろうか。

 幸太郎は若く、体力も腕力もあった。父親は現役で、日々工場で肉体労働をしていた。母親は隣市のスーパーでパートタイマーとして働き、体力作りとダイエットと称して片道五キロの道のりを自転車で通勤していたという。祖父は現役引退後、散歩や軽いジョギング、それに山菜採りが趣味だった。決して体力のない一家ではなかったのだ。


――逃げられない状況だった?


 シロは思案を繰り返した。

 あの一家がみすみす放火魔に焼き殺されるなど、到底納得できる話ではない。


――逃げられない”状態”だったのか?


 犯人の目的が、単なる放火ないし放火殺人でなかったとしたら。

 確かめたかった。今すぐにでも優太に問うなり、棺の中の納体袋を開くなりしてしまいたかった。

 しかし今この場所で、凄惨(せいさん)な死に方をした一家を(いた)(しの)ぶ場所で、そんな真似はできない。故人と遺族への侮辱も(はなは)だしい。

 そもそもその納体袋に収められているのは、つい先日までシロの横で勉学を共にした親友その人なのだ。


 脳の動きが途端に鈍った気がした。

 シロはぼんやりと、一つも名前の分からない色とりどりに咲く花を見た。赤、黄色、白、紫、ピンク、オレンジ、水色。あまりに色彩豊かで華やかなそれは、故人を偲ぶための祭壇とはとても思えなかったし、思いたくなかった。

 幸太郎のあの屈託のない笑顔が、目に焼き付いている。若者らしい言葉を発する耳障りの良いテノールが、耳について離れない。

 目の前の写真に写る幸太郎は、もう二度とその表情を変えることは無い。もう二度と「名前で呼べよ」と照れ臭そうに笑うことは無い。

 武白のことを嬉し気に「シロ」と呼ぶことも、もう二度と無いのだ。

 斎場の硬いパイプ椅子に座り、シロはただぼんやりと、呆然と、親友の遺影と色鮮やかな花たちを眺めていた。

 脳はもうとっくに思考することをやめていた。

 シロには、一番の親友に贈る最期の別れの言葉を、その顔を見て伝えることすら許されないのだ。

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