曲がり角でぶつかったときに落ちたパンを拾うおじさんの憂鬱
「いっけね、遅刻遅刻ーっ!!」
スッタッタッタッタッタ………。
「お母さんったら、どうして起こしてくれなかったのぉ~!?」
テッテッテッテッテッテ………。
曲がり角ッカアアアアアアアアアアアン!!
「あ痛ァイ!!!!」
「いっつつつ……ちょっとアンタ、どこ見て走ってんのよ!?」
「痛い、痛ぁいよぉ!!」
「あああっ!! アタシのパンがぁっ!?」
『………………』
さて……“ 仕事 ”だ……。
「痛い痛い、めちゃ痛いよぉこれ痛いよぉ~~!!」
「ちょっと! アンタが余所見してたせいでアタシのパンがさぁ!!」
『………………』
うら若き学徒たちが曲がり角でぶつかったときに落としてしまったパンを拾い続けて早50年。私は今日もまた、こうして路肩に放置されゆくパンをこの“ 神の手 ”で拾いあげるのだ。
いや……救いあげてやるのだ!!
「これ絶対骨折れてるって! だってめっちゃ痛いもんこれぇ!」
「そんなの知ったことじゃないわよ! それよりアタシのパンが―――」
そうだ!! 君がつい先ほどまでその可愛らしい口で咥えていたそのパンを!! この私が拾い上げるというのだ!! これは単なる清掃活動でも無ければ、偽善にまみれたボランティアなどでもないッ!! これはその昔、この私が神より受け賜った崇高なる使命なのだッッッ!!!!
さぁ、そのパンをそこに残し、さっさと通学するが良いッ!!
「痛いよ見てよこれ骨、骨出てるじゃんこれェ!!」
「う゛っ!? ……で、でもアタシのパンだって……」
うわすげ……あれは相当痛そうだぞ……。
「痛いよぉ、どうしてくれるんだよ? これじゃもう学校どころじゃないよぉ」
「し、知ったことじゃないわよ! アタシだってパンを落としちゃったのよ!?」
「ひどい! お前からぶつかってきたくせに!!」
「ハァ!? アンタがぶつかってきたんじゃないの!! そのせいでアタシのパンがさぁ!!」
うん、流石にこれは酷いと思う………ハッ!? ち、違う……この私がそんなことを考える必要などないではないか! そうだ、私は神より受け賜わった使命を全うせねばならんのだッ!!
いけない、危うく己が使命を忘れ一時の感情に振り回されてしまうところだった……!!
「パンパンパンパンって、そんなのお前がパンなんて咥えて走ってるからだろ!」
「なっ!?」
なんだと!?
「お前がパンを咥えてなきゃ、こんなことにはならなかっただろ!!」
「なっ、なっ……!!」
こっ……このガキよりによって『パンを咥えていたから悪い』などと、こともあろうにパンを愚弄する気かッ!? そこを否定されては私の、この私の使命が全う出来なくなってしまうではないかアァァアァァァァァ許さんッ!!!!
「………アンタは、このパンがどんなパンかを知らないから、そんなことが言えるのよ……」
「な、なんだよ?」
「このパンはねぇ、私のお母さん……死んでしまった私のお母さんの………」
「えっ………」
ま、まさか……死んだお母さんが作っていたパン、その味を再現しようと、さほど料理の得意ではない彼女が健気に練習を重ね、一つ一つ、大切に大切に焼き上げたパンだとでも……!?
「お母さんの……えと、えーっと、その……」
「う、うん……」
「……まあ、そういう感じの……パンなのよ!?」
「…………ん?」
ん?
「それを……それをッ!!!!」
「ん? ん? なんか、なんかチョイ待って?」
「何よッ!! アンタは……アンタは大切なお母さんのパンをこんなにしておいて!!」
「え待って待って? お母さんが……何?」
「え?」
「いやだからさ、死んだお母さんが~の後がよくわかんなかった」
「それは、だから………その……」
んん? なんか雲行きが怪しいぞ。
「え? もしかしてさ、なんか勢いと雰囲気でやり過ごそうとしてない?」
「え、えぇ~? やだやだ、そんな風に捉えちゃってるの?」
「っていうか序盤で『お母さんどうして起こしてくれなかったの』とか言ってなかったっけ? お母さん生きてね?」
「え? うそうそ、ええ~~?」
ん? なになに、なんの話これ。序盤ってなに?
「ねぇ、なんで死んでるって嘘ついたの?」
「ちょちょ、そういうの無しじゃん。そこはあーた知らない設定のとこじゃ~ん」
え設定とか……え? ダメだろそれはダメ、言っちゃダメなやつじゃないの?
「でも嘘は良くないだろ、嘘は」
「それはその、でも……だってぇ……」
なんか、なんなのこの感じ……え? だって私も結構心配したよ? お母さん亡くなって苦労したんだねってなんかそういうやつあるじゃん?
え? 嘘なの?
「だって、だって……」
「……ごめん、ほんとはさ………俺も、嘘ついてたんだ」
「えっ……?」
え?
「ほら、これ」
「…………えっ!? 足が折れてない!?」
え嘘……だって君、脚の骨とか結構いけない感じでハミ出てたじゃん? え? どういうこと?
「それじゃあ、この骨は……」
「これ、朝飯のケンタッチーの骨なんだ」
「ええーっ!?」
えぇ…………。
「なっ……なんだぁ……それじゃアタシがぶつかったせいで怪我をさせたわけじゃあ無かったんだ……はぁ、良かったぁ……」
「そゆこと。俺もつい当たり屋みたいなことして慰謝料ブン取ってやろうって、そんないけないことを考えちゃったんだ。だから、ごめんね」
え? え? そんなこと考えながら通学する学生が居ますぅ? っていうか朝からケンタッチーとかヘビーすぎませんん~?
「ううん、いいの。アタシだって嘘ついちゃったんだしさ、これで“ おあいこ ”……だねっ」
「(ドキッ!!)……あ、あぁ! そうだな、おおおおあいこだなっ!!」
っていうか何ちょっと良い感じになってんのあの二人。え? なんなの? 私は何を見せられてるの?
「っといっけね! このままじゃ遅刻しちゃうよ。じゃあ、俺は行くから」
「あっ! 待って…………あのこれ、アタシの番号……」
「えっ!? い、良いの!?」
「う、うん……夜は、いつでも空いてるから///」
ちょちょ、ええ~~…………なんか、なんかすげー悔しいんだけど。
「そ、そう! それじゃっででで電話するっからっ!!」
「うんっ///」
「絶対ッ! するっからっ!!」
「うんっ、うんっ///」
「じゃあなッ――――」
……なんだったんだろう。
こんなことは初めてだ……。こんな、こんなにも悔しい思いをしたのは……。私は神より受け賜わった使命を果たす為に、その為だけに何十年も朝からこうして通学路を見張っていたというのに……。まさか、こんな悔しい思いをすることがあるだなんて……。
いや、考えたって仕方がない……。私は私の使命を全うするだけ、それだけなんだ……。
さぁ、あの娘が落としたパンを――――
んっ?
「……さて、と」
なんだ? あの娘、まだあんなとこに居たのか。
「よいしょっ」
スッ
パンを……拾った?
「はむっ!」
なっ――――
『食べただとオオォオオォォォォォッッッ!?!』
「ん? なぁに? おじさん」
『お前ッ!! 今それ落としたパンそれエェェェ!!』
「やだ見てたの……? 恥ずかしいなァ///」
『いや恥ずかしいとかじゃなくて……え? え? それ食べちゃうの!?』
「え? なんで? 食べちゃだめなの?」
『え? いやそう言われると……え? いや普通食べないよね!?』
「そうかな? でもさぁ――――」
「3秒ルールって、あるじゃない?」
さん……びょう?
おわり。
食べ物を大切にするその心こそ美しい