闇の祭壇での盟約
《ジル視点》
闇の祭壇で狩りを始める前にケルがどの程度強いのか確認したい。
俺としては深淵に続く森で生存できる程度には強いと高を括っているのだが、言動の幼さや帯剣も拒む彼女の姿勢を思うに心配になっていた。
冒険者ギルドのガイドラインよると、闇の祭壇はレベル20以上パーティーが推奨される高難度のダンジョンだ。 現行の攻略進度は七層で、一層からレベル10後半の魔物が襲い来る油断ならない場所である。
俺のレベルは22。 ランクこそ『魔人』だが、そこそこの戦力を自負している。
獣人にそこまでを期待していないが、ケルの実力を把握しておかないと簡単な連携も取れないだろう。
それは命取りになると言える。
「なあ、ケル…… べロス。 冒険者ギルドから首飾り貰ったろ?
あれで自分の強さを確認できるから、俺に教えておいてくれないか?」
「ククク、我は偉大なる冥王ハデス様の僕にして、深淵なる闇の番犬!
しかし、寛大なる我とてプライベートな情報を簡単に明かす訳――― 」
「今日は食後のパンケーキは無しな!」
「そ、そんなー!」
不思議少女のケルが絶望顔で立ち尽くす。 この世の終わりとでも言いたげだ。
何もそこまでと思わなくもないのだが、昨日、俺のパンケーキを奪う程の執着を見せたケルを思うに、交渉材料としては覿面の様だ。
しかし、ハデス様の下りはこれからも続くのだろうか…… 正直、めんどくさい。
「…… ランク『人』。 レベル67。 スキル無し。 特性『冥府の番犬』」
「あのな、『人』がレベル67に成れる訳ないだろう!
しかもスキル無し…… レベル67様なら凄いスキルを山ほど持ってるだろうよ!」
涙目で身を晒す屈辱に耐えるケルが、嘘をついている様には思えない。
しかし、その内容が酷すぎた。
「な! わ、私は嘘なんてついてないのだ……」
シュンとしたケルが悲しそうに俯く。
その様を見て、俺も何をそこまで熱くなっているのかと反省した。
少し胸がざわつくが、大人げ無かった様に思う。
人の身でレベル67。 可愛い嘘じゃないか。
ケルが泣き出す前に、手を打とう。
「悪かった。
そうだな、今日の働き次第では、パンケーキ食い放題だ」
「ホントか?」
「ああ」
良い笑顔だ。
ケルの顔がパッと鮮やかに咲き誇ると、俺は彼女の頭を撫でていた。
自身の心を抑えながら、ぎこちなく笑いかける。
結局、目的を果たせなかったが、まあ何とかなると思う。
深淵に続く森の経験者だ。 そう嘯き、心に言い聞かせる事にした。
本日は闇の祭壇に日帰りを予定している。
概ね低層を周回するつもりだ。
目的は路銀稼ぎ、出来るだけ軽装にしてバックパック一杯の戦利品を持ち帰りたい。
持ち込みは、もしもの時の為に軽食と水。
灯を込めたスクロール3枚。 後は薬草や布を少々。 と言ったところだろう。
それをもう一セット用意し、ケルに持たせた。
ケルに渡したのは少し小さめのバックパックだ。
それを「パンケーキ!」っとやる気満々で抱える姿は、親子でハイキング出かける少女の姿そのものだ。
少し頭が痛くなってきた。
深く考えるのは止そうと思う。
しかし、そんな俺の心配は杞憂に終わる。
闇の祭壇に足を踏み入れると、薄暗い世界が広がっている。
冷たい風が流れ、闇に身を潜める生き物の息遣いが聞こえた。
ここでは灯のスクロールで呼び出した光源だけが頼りだ。
視界は狭く、迫りくる敵の数を見渡す事は出来ない。
一度襲われだすと、絶え間なく続く猛攻に耐えねばならない。
それに心折られ、逃げ出す者も多いと聞く。
そこをあっけらかんと歩む、ハイキング少女。
オマケに灯のスクロールを使ってすらいない。
それなのに、悪路に躓く事なく進むのだ。
闇の中でケルの赤い瞳が怪しく輝いていた。
敵襲は不意にやって来る。
俺が動く前に、ケルが先手を打つ。
「『保存』」
聞こえたのは、囁く程小さな声。
迫る敵、イビルボアの突進に対してケルがとった行動は手を翳すだけ。
しかし、それだけで相手は潰れた。
厳密には、ケルの前方にある何かに衝突して自滅した。
ケルは素早くイビルボアに近づくと、今度は「『霊化』」と呟き、イビルボアの堅い外皮を素手で貫く。 手が引き抜かれると、そこにはイビルボアの心臓が握られていた。
俺はその光景に見惚れていた。
敵襲はそれで終わらない。
頭上からキキキキ!と複数の鳴き声が聞こえる。
おそらくはイビルバットのものだ。
俺は今度こそケルに手を貸そうと、剣に手を添える。
が、ケルはその上を行く反応をみせた。
もう一度「『保存』」と呟くと、腕をだらりと下げ跳躍する。
身軽い体を宙に預けると手を振り回した。
その出鱈目な動きを見るに、何かの武術を習得している訳ではなさそうだ。
ただ、効果は劇的。 雑に手を振り回しただけでイビルバット達は切り刻まれ残骸へと成り果てたのだ。
地に幾つもの赤いシミが残されて行く。 敵襲が途絶える頃には、ケルの腕は真っ赤に染まっていた。
俺もイビルボアを二頭を倒したが、ケルに比べると悲しくなる戦果だ。
それどころか、彼女の実力を低く見積もっていた己を恥ずかしく思う。
ケルの強さはレベル10後半の魔物を歯牙にもかけないものだった。
俺は素直に見惚れていた。
見せ付けられた事実に、敗北感をおぼえている。
あの時の様な、鮮烈な敗北感を……
あの時と同じ。
これはでまるで…… エリスと……
心が軋む。
すると、俺は腰が引けていた。
何を思てっか知らないが、ケルはそんな俺を確認すると大きく口を釣り上げて笑ったのだ。
それに、赤い瞳はランランと輝きを増している。
俺は得体の知れない恐怖を覚え後退る。
ペロッ。
気付くとケルは隣に居て、俺の頬を舐めていた。
小柄な少女は俺の肩を利用して、顔を近づけた様だ。 それなのに、驚く程重さを感じなかった。
ケルはこちらにニカっと笑いかけると、要求を出した。
「我はパンケーキを所望する!」
「お、おう……」
ニヒヒっとごく当然の様に振る舞うケル。
不思議な事に、此の段になると心の軋みが何処かに消えていた。
先程のまで感じていた敗北感や恐怖心は何処へ行ったのか……
いや、違う。 そうじゃない。
今。
今しかない。
今なら言える気がする。
俺のプライドとかしょうもない物が、なりを潜めている今なら。
だから……
俺は頭を下げていた。
「ケルベロス…… いや、師匠! 俺を弟子にして下さい! 強く、俺を強くして下さい! もう逃げなくて済むように…… お願いします!」
ケルはポカーンと俺を見下ろしている。
何が起こったのかを把握しきれていない様子だ。
それどころかワナワナと震えだし「台無しだ!」とか「どうしてこうなった……」とか呟いき、一人の世界に入り込んでいる。
このままでは相手にされず、終わってしまうかもしれない。
それを避ける為、俺は思考を巡らせた。
付き合いは短いけど、何かがある筈だ。
ケルの心に訴えかける何かが、、、、、
ある!
めんどくさいとか思って、すいませんでした。
「ハデス様! ハデス様を信奉します! 師が讃える、ハデス様を信奉致します!」
それは卑怯な行いだったかもしれない。 ケルが慕う者の名を出し、利用したのだ。
馬鹿にしてるのかと怒られるかもしれない。 これが正しい選択だったかも分からない。
だから俺は地に額を押し付け、ケルの差配を待った。
「ククク、我が主を、冥府の王ハデス様を信奉するとは中々見どころがある!!
クク、ういやつよ! ならば、その証を示すがよい!」
「強く…… 強くなります。 誰よりも強く! その身をもって証にします!」
それは、余りにもと都合のいい答えだった。
俺には差し出せる物が無い。
何もないのだ。 だから、未来の俺を見て頂くほかなかった。
一蹴されるかもしれないと不安がよぎる。 しかし、そこにケルの言葉が続いた。
「良かろう。 汝を信徒と認める」
「師匠! 有難うございます!」
「我が主の為、励んでもらうぞ!」
「はい!」
この日、俺は師を得た。
そして、異世界神の信徒となったのだ。
……
「ときにジルよ! 私は思うのだが……」
「何でしょう、師匠!」
「供物は有った方が良いと思うのだ!」
ですよねー。
何を要求されるのか…… 可能な事であればいいけど。
冥王…… 生贄とか要求しないよね? 一抹の不安が過る。
「如何様に……」
「ウム。 我は菓子を所望するぞ!」
……どうやら、心配はなさそうです。
2018年10月4日修正 誤記修正。