世間知らずと愚か者
《ジル視点》
思えば、まともな生活をしてこなかった。
アビスを目指し、馬車に揺られ、悪路は徒歩で、路銀が尽きそうなら魔物を狩った。
冒険者という身分に身をやつし、仕事を受けて護衛をこなした。
年の近しい者と知り合い、そして別れた。
節約の為、納屋に泊まり、食事は基本自給自足が当たり前。
修行の旅に出た者が、何を弱気になっているのか……
全ては強くなる為だ!
強く。
本当にそうだったのだろうか? 本当は、逃げて……
あの日、深淵に向かう為森に足を踏み入れたあの時、俺は一人の少女と出会った。
美しいが、奇行が目立つ少女。
出会った当初、彼女は全裸で、犬?いや、猫を思わせる様なしなやかな動きで、俺に襲い掛かってきた。
そして、心行くまで噛みつくと、一つ満足げなおくびをする、そんな不思議な少女だった。
何故だろう?
あの時、何故かホッとたんだ。 涙が止まらなかった。
深淵に向かう為の覚悟とか…… もう色々と台無しでさ。
オマケにさ、少女に頭を撫でられてやんの……
もうさ、意味が分からなくて…… 死地に何しに来たんだ?って、そんな感じ。 ハ、ハハハ。
ホント、何をしていたんだろうか…… 俺は。
……
俺は一頻り泣き終えると、深淵近くの森から少女を連れ出す事にした。
こんな危険な場所に、少女を一人置いて行くわけにはいかなかった。
彼女もそれには抵抗しなかった。
連れて行くにあたり、服は俺の替えで我慢してもらう事にしたのだが……
これに少々手こずった。
「我が名はケルベロス! 誇り高き冥府の番犬にして、偉大なる冥王ハデス様の忠臣!」
奇行が目立つとは思っていたが、本当にこの子は何を言っているのだろうか?
しかもこの時、彼女は全裸で決めポーズである。 はしたないにも程があった。
ケルベロス…… 確か、深淵の奥深くに生息する、ドラゴンにも劣らない伝説級の魔物だったか?
と、物思いにふけっていると自称ケルベロスがドヤ顔でチラ見をしてくる。
俺は頭が痛くなった。
いや、折角だから、彼女を仮に『ケル』と呼ぶ事にする。
「おい、やめろ! 服を着せるな――――――――!
誇り高き私の体には着物など不要なんだ! やめろ、服など着て堪るか―――――――――――!!」
涙目の抵抗。 しかし、俺はそれを許さない。
「頼むから、服を着てくれ。 これから街に向かう。 公共場に出るんだ」
「例え体毛を失っても、私は今の私を恥じたりしない! 何を隠す必要があるというのだ!」
「…… いや、恥じろよ」
無慈悲な一言にケルが青ざめる。
だが俺も引く気は無かった。
数分後、レイプ目の少女が服を着せられて倒れている。
「穢された」と人聞きの悪い事を口にしているが、俺は気にせずケルを抱えて街へと向かった。
街に着くと、一応、帰還の報告をする。
向かったのは酒場と冒険者ギルドだ。
深淵に向かう際、何か手頃な仕事や情報はないかと立ち寄っただけの関係だが、顔を見せると驚かれた。
どうやら彼らは俺が自殺志願者だと思っていたらしい。
今思うに、俺は相当無謀な事をしていた様だ。
ちなみにケルについて聞かれる事は無かった。
北の終着地であるこの街は大きな街だが、訳アリな奴が多い。
誰が誰を連れていようと詮索する者は少ないのである。
顔見せが終わると、足早に冒険者ギルドを後にする。
これから向かうのは古着屋だ。
流石の俺も、可憐な少女にぶかぶかな服を着せ連れまわせる程、肝は据わってなかった。
買い与えたのは下着とチュニックにズボン。 靴に靴下。 後は適当に見繕う。
思わぬ出費に、ため息が漏れた。
後日、稼ぐ必要がありそうだ。
その日、俺は久しぶりにベットのある広めの宿をとった。
これは疲れを確りととる為の必要経費だ。
それにケルと二人きりになれる場所が欲しかった。
そして、これから酒場に寄ったついでに買った飯を広げての、ケルと今後についての打合せである。
「お疲れ」
にっこりと微笑みかけると、ケルはボーとしている。
心ここに在らずといった所だろうか?
「おーい、 大丈夫か?」
「人がいっぱい……」
「なんだ? 人に酔ったか?」
肩をすくめながらおどけて聞いてみるも、返事がない。
ただの、図星の様だ。
そう言えば、街に入ってからというものケルは大人しかった。
もう少し、気を使うべきだったかもしれない。
とりあえず食事をとりながら機会を待つ。
ケルも次第に力が抜けて、いい感じになってきた。
「なあ、とりあえず、俺は君を何と呼べばいい?
ちなみに俺はジル。 冒険者をやってる。 君より…… 多分、年上かな」
「へー、ジルはとても長生きなのですね」
食い付いて来た。
来たけど…… 何かズレている様な気がする。
「ああ、俺も魔族だからな見た目よりは年を重ねてるさ。 君もだろ?
そんな事より、何て呼べば……」
と、尋ねてみてふと思ったが、ケルは魔族なのだろうか?
あのしなやかな動き、もしかすると獣人かもしれない。
「ん? もう忘れたか?
ククク。 我が名はケルベロス! 誇り高き冥府の番犬にして、偉大なる冥王ハデス様の忠臣!」
笑ってあげればいいのだろうか? あの時と同じドヤ顔が可愛らしい。
裸でないのが少しだけ残念に思えた。
「ハイハイ、犬ってぐらいだ、獣人だろ?
保護者は…… そのハデス様ってやつか? 君をほったらかして何処に行った?」
冥王ってのは耳にした事が無いけど、魔王の事だと思う。
それなら獣人を囲っていてもおかしくはないし、彼女はもしかすると魔王の隠し子かもしれない。
何方にしろ、深淵の近くに裸で放置というのは、厄介事の匂いしかしないけど……
「ククク、 偉大なる主様は、私に構ったりしはしないのだ!(キリ
しかし、私が尽くせば、主様が褒めてくれる。(エッヘン」
……やばい。 何かよく分からないけど、ケルの闇を垣間見た気がする。
聞いてはいけない事だっただろうか?
「そ、そっか」
「うむ!」
快活なケルの肯定に、俺は全て察した。
ケルはあの森に捨てられていたのだと、そして、彼女はそれに気付いていない…… (ブワッ
「なあ? もし、だけど…… 行く当てがないなら、俺について来るか?」
何でこんな事を口にしたのか…… 俺にも分からない。
余裕はなかった筈だ。 修行の旅、他人と関わっている時間など無い。
でも、それでも、彼女とは一緒にいないといけない気がしていた。
俺のアプローチにケルの答は……
満面の笑みで頷く。 どうやら食事に付いてたパンケーキがお気に召した様だ。 口周りが汚れている。
俺はそれに拭ってやると、笑顔を返した。
ケルを何と呼ぶかは…… 次の機会に持ち越そうと思う。
2018年10月4日修正 誤記修正。