賢くまとまった愚者
魔界。 それは世界の中央に位置するエリシオン大陸から西に存在する三日月形の大陸。
力の指標であるランクを絶対の階級制度とする魔族が住まう地域。
現在、ランク『魔神』『大魔王』は存在せず、『魔王』が各地で乱立し戦国の世となっている。
……
《???視点》
「なあ、知ってるか?」
「ん? 何、ジル」
「戦において大事な事が何かわかるか?」
「え、レベルとランク? 相手との強さを見極めるとか?」
それは幼き日の一幕。
私は幼馴染であるジルと彼の住む村近くにある草原で剣の稽古に励んでいた。
激しい打ち合いの末に疲れ果てて倒れ、人目を憚る事なく地に大の字で寝そべる。 すると、熱く火照った体を冷たい風と大地が迎え、癒してくれるのだ。 私はこの一時がとても好きだった。
隣には息を整え、汗を拭くジル姿。
その姿を見ると頬が熱くなり、胸がキュンとなる。
私は慌てて目をそらす、いつものテンプレート。
でも、彼は何も気づかない。
少し鈍感でいて、とても眩しい。 ジルとはそんな少年だった。
そんなジルが得意げな顔で私に出した問題。
私は頭が良くないけれど、思う範囲で答えてみた。
お父様が確かそんな事を言っていた気がするのだ。
ジルはそれを聞き終えるとニカッと笑い、答え合わせを始めた。
「おしい! でも、ブーーーー! 外れ!」
「じゃあ何よ?」
拗ねた顔で抗議を示し、起き上がるとジルに詰め寄る。
ジルは驚きながらも抵抗はしなかった。
近くからジルの汗のにおいがする。
「どうした? 顔が赤いぞ?」
「別にいいでしょ、ちょっと稽古がきつかっただけよ」
「そう?」
ジルは素知らぬ顔で答え合わせを続けた。
「答えは ―――」
それは幼き日の一幕。
幼き日の思い出。
それは、今でも私を成す一つの支柱となっている。
……
《ジル視点》
後悔はしていない。
俺達の別れはきっと彼女を…… エリスを強くする。
だから、後悔はしない。
左頬は、未だ熱を帯びている様な気がする。
腫れはとうに引いる筈なのに、痛みが引いてくれない。
それはエリスとの距離が離れるに連れ、より強くなっている気がした。
俺は今、村を飛び出して魔界の北部を目指している。
向かう先は深淵。
そこには魔族すら寄せ付けぬ深い森が広がり、その最奥には世界最難関とされるダンジョン『アビス』が存在している。 勿論、踏破した者はおらず、今では近づく者すらいない。
魔界に覇を唱える魔王達も恐れて逃げ出す程の地、それが深淵であった。
俺はそこで修行するつもりだ。
死を覚悟の上で、修行して強くなる。 そして……
いや、よそう。
これから向かうのは深淵。
たとえ生き残れたとしても、帰るのは何時になる事かわからない。
待って居られても困るのだ。
エリスの才能を無駄にしてはいけない。
エリスの人生を狂わせてはいけない、だから……
ぶたれた頬が痛む。
あの時、エリスは泣いていた。 涙を一杯に溜めて泣いていた。
「何故逃げるの? 大事な事、教えてくれたじゃない! 何故戦わないの?」
剣を向ける彼女に俺は何も言えなかった。
「もう向き合ってもくれないの? あの時、外れって言ってくれたじゃない……」
彼女は剣を取り落とし、そのまま涙をぬぐう。
あの時? あの時とは何の事だろうか……
分からない。
分からないから、待ってくれとは言えなかった。
エリスに何時ぶたれたのか、まったく憶えていない。
気付くと左の頬が腫れ、酷く傷んでいた。
酷い喪失感が胸を襲い、その日に俺は村を飛び出した。
強くなる。
強くなる為に。
強く。
思えば言い訳ばかりの日々だ。
しかし、旅の経験を得た俺は少し強くなったと思う。
でも、まだ足りない。
こんな強さは気休めでしかない。
これでは届かない。
エリスには…… 届かないのだ。
旅の終着点は近い。
俺は深い森へと足を踏み入れていた。
そこは深淵へと続く深い森。
後方の景色が木で埋め尽くされた時、俺は気付いてしまった。
この先に待つのは絶対な死だと。
なるほど、誰も足を踏み込まない筈だ。 深淵とは恐怖その物だったのかもしれない。
しかし、気付いた時にはもう遅い。
恐怖が足に纏わり付き、俺は思わず後退っていた。
「逃げ出す亡者の匂いがしますね―――!」
それは唯大きいだけの声だった。
ただしそれは、怯える者を恐慌させるのに十分な力を持ってる。
目の前に少女がいる。
全裸の少女。
赤い瞳に綺麗な黒髪の少女。
平時に出会えば思わず見惚れたであろう存在。
こんな場所で出会う筈も無い異質な存在を前に、俺は腰を抜かす。
少女はその隙を逃さない。
少女には似つかわしくない大口を開けて襲い掛かってきたのだ。
俺は為すすべもなく、その毒牙にかかった。
……
……………
…………………
アレ? 痛くないぞ……
少女がハムハムと俺の頭に噛みついていた。
逃がさないぞ!っと俺にしっかりと抱き着いてである。
この子は一体何がしたいのか……
少女を無理やり引きはがすと、今度は腕に噛みついて来た。 しかし、痛くはない。
やはりハムハムとご機嫌な様子で噛みついて来る。
「君はあれだね、何か切ない味がするよ」
コイツは何を言っているんだ……
意味が分からない。
意味が分からないけど……
少女が口をモゴモゴとさせる度に、心が和らいだ気がした。
押し殺してきた心が、不意に救われた気がしたのだ。
心の奥深くに沈めていたドス黒い膿が掻き出された様な感覚。
俺の頬には、涙がつたっていた。
これが俺と不思議な少女との出会い。
愚かな俺に道を示してくれた少女との出会いであった。
2018年10月4日修正 誤記修正。