都合の良い夢と悪い夢
夢を見ている。
暖かい手が私を撫でてくれて……
夢を見ている。
まだちっぽけ存在である私を暖かい手が抱き上げてくれます。
振るえる私を包み込む様な抱擁。
私は今でも覚えています。
夢を見ている。
父が敗れた日。
暖かい手はそっと私を撫でてくれました。
手の温もりがいつもと違い、その震えが申し訳ないと私に告げていました。
夢を見ている。
暖かい手の主と奥方様の仲睦まじい姿。 私はそれを見守ります。
手の主は一途で奥方様を愛しておられます。 馴れ初めを話すのは少々憚れれますが、今では奥方様も手の主を愛している様です。
正直な話すると、当初私は嫉妬していました。 手の主を奪われたと嫉妬していたのです。
ですが、手の主の浮気をきっかけにその心を改めました。
奥方様の愛は深く、手の主をお許しになったのです。 そんな事、私には出来ませんよ。
私の愛などその程度…… 心を切り替え、私は改めて主様に仕えて行く決めました。
夢を見ている。
主様が激怒した日。
未遂ではあるが、賊が主様から奥方様を奪おうとしたようです。
勿論、彼らは裁きを受けました。
『忘却の椅子』。 私は恐ろしい。 もし、あれが私が向いたらと……
夢を見ている。
私のトラウマ。
クソチート野郎との同伴…… いやだ! 語りたくない。
だってアイツ、主様の思い出のポプラに手を出したんだ! 糞野郎にも程がある。
夢を見ている。
冥府の入り口を守る日々。
惰眠を貪る日常。 逃げ出そうとする亡者共を食い殺す私。
交代で見張り、交代で眠り、交代で食べた。
天職と言える冥府の番。
私は手の主、、 いや、ハデス様の忠犬ケルベロス。
私は……
私は……
私は……
「は!」
目がパチリと覚めた。
慌ててその場に立ち上がる。
どうなっている?
焦燥感に駆られ辺りを見渡す。 現状を把握しないといけない。
私は確か……
「うぷっ!」
ゼムス様に毟られた首の事を思い出し、嘔吐感が込み上げます。
口に手を当てて……
「何だこれは……」
手に毛が生えていない。 つるつるときめ細かい地肌。
慌てて体を確認する。
そこには、薄い膨らみが二つ。
体を見渡せる限りで確認をしたが、綺麗に禿げ上がり無様な姿を晒している。
美しかった毛並みの名残は、頭部から流れる様に肩へと垂れる物のみとなっていた。
そして何より……
♂がない……。
もう一度か確認する。
♂がない。 おまけにつるつるに禿げ上がり見窄らしい。
酷い……
酷すぎる……
私は力なく崩れ落ちます。
ゼムス様に掛けられた言霊。
「汝は『人』に堕ちよ」何とも酷い所業です…… ハ、ハハハ……
私は気力を無くし、地にしな垂れかかり放心状態になった。
きっと、これは夢です……
涙が零れ落ちます。
何故、私がこんな目に合わねばならないのか……
きっとこれは夢。 悪い夢。
そう、もう少しすれば左の首が私を起こす。 いつもの交代の時間。
きっと目が覚める。
私は薄く膨らんだ胸を抱える様に縮こまり、目を閉じます。
僅かにあるかも知れない希望を信じ、都合の悪い事をシャットアウトして、暗闇に身を任せたのです。
短いですが今日はこれまで。導入部は終わりです。
次話は主人公とは別の視点から始まります。
2018年10月4日修正 誤記修正。