ゼムス教の狂信者
ゼムス教魔界方面神殿騎士長クロエ。
それが、彼女の持つ肩書でした。
クロエは幼少の頃からゼムス教の中で育った生粋のゼムス教徒です。
彼女はゼムス教徒達の中でも温厚な性格をした修道女として知られていました。
しかし、幼い頃から長所を伸ばす教育を受けて来た彼女は、一部の信徒しか知らない裏の一面を持っていたのです。
魔界方面神殿騎士長。
その役目はその名の通り、魔界潜伏する神殿騎士や密偵を統括する事です。
クロエは若くしてこの地位に至った異色の傑物でした。
幼少より育て上げた長所が、クロエをこの地位まで押し上げたのです。
トラウマとも言い直せるその長所は、クロエの出自に起因した物であり、彼女の行動理念を大きく決定づけていました。
クロエは笑います。
笑いながら、殺すのです。
信徒を優しく導き、 無神論者を丁寧に諭し、 忌むべき異端を厳しく裁き、 魔族を無慈悲に殺すのです。
クロエはある意味において模範的な信徒でした。
そんな彼女がゼムス教の上層部に魔界方面を担当すると申し出たのです。
当然、周りの者は酷く困惑しました。
クロエは一騎士団員であった時から優秀な存在で、政治的な意味でも中枢にいるべき存在です。
外交にはその優れた容姿で、暗躍には卓越した力をもって、暗殺は躊躇する事無く対応していました。
彼女はゼムス教を上層部においても、欠かす事の出来ない存在だったのです。
それなのに、クロエは魔界での務めを希望しています。
魔界勤めとは、即ち左遷を意味していました。
そこは必要のない人材を、都合の悪い政敵を送り込む場所だったのです。
そこにクロエを送り出す……
上層部は頭を痛めました。
しかし、許可を出さずにはいられなかった。
クロエは色々な事を知っていたのです。
黒い、黒い、真っ黒に染まったゼムス教の恥部を知っていたのです。
だからと言って、クロエはゼムス教を嫌ったりはしません。
何故なら、ゼムス教は魔族の抹殺を是としているから……
何れ現れる勇者と共に魔族を駆逐する。
全部全部全部に等しい抹殺を。
行く手を阻む幾万もの魔族を踏み潰すのです。
老いも若きも男も女も、クロエは差別をしません。
分け隔てなく平等に、塵芥に返すのです。
それは嘗て見た光景と同じ。
そう……
その再現こそが、クロエ唯一の渇望でした。
……
「……貴方は、剣聖様ですか? それとも剣神様ですか?」
淡々とした声が、室内に響く。
クロエは新しく送り込まれた部下の教育中です。
失敗をしてなお開き直る部下に、クロエは静かな圧を送ります。
それを浴びた部下は、冷や汗にまみれた顔を更に青くする。
「い、いえ。 ですが、私は剣が得意で…… スキルも持っています」
「その剣で……
貴方は任務をこなせましたか?
スキルは、役に立ちましたか?
こだわりを捨てなさい。
メイスを持つのです。 アレは良い物です。
懐には短剣を…… いえ、そうですね暗器をしのばせておきなさい」
「お、恐れながら申し上げます!
我が家は由緒正しき騎士の家系、我が剣には誇りがあるのです!
つ、次こそは……」
「誇りでは生き残れません。
知っていますか? ここは魔界ですよ。
貴方の油にまみれの剣は、友を危険い晒した訳ですが……」
罪の意識が芽生えたのか、部下が押し黙る。
己を恥、涙ぐむ信徒にクロエは優しく微笑んだ。
「悔いる心が有るなら、次に生かしなさい。
ゼムス様は全てを視ておられます。
良いですか?
悪いのは魔族です。 そう、魔族なのです!」
クロエはそう教鞭を終えると、信徒を退出させます。
後は、己で悟るべきでしょう。
はい、こう言ったやり取りが、日に何度も繰り返されていたのです。
クロエが魔界に身を寄せて先ずしなければならなかった事、それは教育でした。
密偵としての練度も教育も成ってないならず者達を、束ね導かねばならなかったのです。
当初こそ舐められていたクロエですが、日頃の行いや卓越した戦闘センスを見せつけた事で信頼を勝ち取ります。
今では、彼女の教えに諭された信徒達が一定の成果を上げていました。
クロエもそこに遣り甲斐を感じていたのです。
しかし…… 残念な事に、それは彼女が遣りたかった事ではありませんでした。
魔界方面。
クロエがイメージしたのはもっと、そう、もっと前線の光景でした。
血にまみれで泥をすする様な最前線を思い描いていたのです……
それが、呑気に教鞭を執る毎日。
最近では、部下が裏でクロエの事を神が遣わした天使と呼んでいるのです。
こんな筈ではなかった。
こんな筈では……
そう思うも、上からの指示で大きな事が出来ず、悶々とした日々を送っていたのです。
事情が変わったのは、それから暫くの事です。
勇者ケルベロス。
その噂を耳にした時、クロエの心を言い様の無い感情が駆け抜けました。
まだ、直接の確認に至っていませんが、
クロエの手元に届いた情報は、彼女の心を焚きつけます。
嘘か誠か、1000の騎竜兵を潰し、それを束ねる魔王を討ち取った。
嘘か誠か、胸に矢が刺さったまま生きている。 その矢は神殺しの矢と呼ばれる忌むべき魔界の兵器。
嘘か誠か、道行く魔族を根こそぎ喰らう。
他には再生の力を有している事。
追われながらも、未だ戦闘を継続してる事。
情報が入る度に更新される魔族の殲滅数。
無慈悲に駆逐された魔族の集落では、血の池だけが残されていた。 とか。
クロエは部下の報告を受ける度に、胸のときめくのを感じていました。
勇者は、彼女が想像していた通りの存在だったのです。
クロエは上層部に「勇者を確保したい」と申し出ます。
しかし、上層部それを渋りました。
魔族相手とは言え、度の超えた行動をする勇者を危険視していたのです。
ですが、それはクロエの一言で決着がつきました。
クロエが勇者付きを申し出たのです。
これには上層部の思惑が絡みます。
もしもの場合は暗殺を。
クロエはゼムス教の中で随一とは言わないが、優秀な暗殺者です。
そこには上層部も絶対の信頼を寄せていました。
また、上手く引き込めた場合、クロエに帰参を命じる事が出来る。
そう、この件について上層部にはメリットしかなかったのです。
答えは勿論、二つ返事の許可でした。
クロエはたまらずアジトを飛び出し、部下が報告で挙げた場所を訪れます。
目的の存在を一目見ようと、探し、探し、探し尽くし……
そして、目にしたのです。
草原の木陰に佇む一人の少女を、、、
黒い髪、
そして赤い瞳が、眠たそうに此方を見詰めていました。
小さな手には、何かの肉片が握られています。
赤黒い汚れが、小さな口を汚していました。
近くには少女とは不釣り合いな、魔族の亡骸が……
クロエは全てを理解しました。
この御方こそが、ケルベロス様である! と。
ときめきは確信へと変わり、賜ったのは天啓です。
『ケルベロスは、我が神ゼムスが遣わした存在である』と。
なんとも愛クルシイ!
ああああああああああああああああ、聖女よ!
心の叫びが、クロエの中で染み渡っていきます。
クロエは自然に動いていました。
持物からハンカチーフを取り出すと、少女の口を拭ったのです。
それは抵抗が出来ない程の自然に流れる所作。
ケルベロスは呆けていました。
クロエは膝をつき、ケルベロスを見上げます。
そして、ゼムスの信徒である事を告げ「神が遣わした聖女のお世話がしたい」と願い出たのです。
奇しくも、その願いは叶えられます。
おかしな事にクロエの妄想は、ケルベロスが『聖女』である事以外は概ね正しかったのです。
ケルベロスも、ゼムスの信徒を無下には出来ませんでした。




