魔法少女の安らぎ
3
夕暮れの日差しの差し込む生徒会室。昨日と同じように、ふたりだけの室内。
いつも通り大した仕事ではないけれど、それをこなしている途中でイスから立ち上がった私は不意に目眩を覚えて、その場に倒れ込んだ。
「先輩!」
「大丈夫だから……」
私は立ち上がろうとする。けれど身体が上手く動かない。それでも上半身だけは起こす。
「立てますか……?」
殻木田くんが立ち膝になって、手を差し伸べてくれる。
その手を見て、失敗したなと思った。
少し迷ってから手を取って、なんとか立ち上がる。
そして――直ぐに殻木田くんから離れようとした。
「先輩……?」
開くふたりの距離。
彼が戸惑った顔で私を見ている。
「ごめんなさい、その……大丈夫だから、本当に……」
そんな彼の顔を見たくなくて、言葉を重ねる。
けれど、その事で逆に心配そうな表情を浮かべる。
「昨日の夜、何かあったんですか……?」
そう言って、私に近づいてくる。
「何も、ないの」
それに合わせて、私はつい後ろに下がってしまう。
今の私は――殻木田くんには触れて欲しくなかった。
昨日の事が頭を離れないから。
怪異に身体を弄ばれた記憶。
それが、どうしても消えてくれないから。
殻木田くんが近づくのに合わせて、下がり続けていると背中に固い壁の感触を覚えた。もう下がれない。だから横に逃げようとしたけれど、壁と間で伸ばされた彼の手に塞がれてしまう。
「……先輩、どうして俺から離れようとするんですか?何か俺、知らずの内に先輩を……傷つけるような事しましたか……?」
その表情は私の態度に傷付いているようにも見えた。
「違うの、あなたは何も悪くない。それからいつもの通り、何もなかった……」
嘘を重ねる。
「嘘――ですね。だって先輩、こんなに身体震えてる。それに目、腫れてません?昨日ちゃんと寝ましたか?」
首を縦に振る。
それも嘘だ。
昨日はあの後、全然眠れなかった。
あの時、確実に怪異を倒すための時間を稼ぐ為だったとはいえ、触れられ続けた感触がシャワーを浴びても、ベッドに入っても残っていて。
身体を邪な想いが這いずるような感触。
――汚されたような気がした。
それでもそんな事を誰にも、特に――彼には知られたくなくて出来るだけ〝いつも通り〟にしていようと思ったのに。
クラスでも生徒会でも。
彼の前でも。
ああ、本当に失敗したと思った。
私は殻木田くんから目を逸らす。彼をとても見続けてはいられなかったから。
そんな私を――彼は抱き寄せた。
包み込むように。
「あ……」
それは突然の事で、何もできなかった。
「先輩の嘘つき。こんなの――痛々しくて見てられません。イヤ、だったら言って下さい、直ぐに放しますから」
背中に手を回されて、優しく撫でられる。
最初はその手を振りほどいて、身体を離そうとした。
でも、出来なかった。
その温かい、柔らかい感触からは離れられなかった。
「先輩、俺にして欲しい事。出来る事があったら言ってください。何でもしますから」
それはいつもの彼の言葉、表向きはお人良し。でもそれだけじゃない事も知っている。誰かの為に。そんな彼の想いは昔、家族を喪ってから生まれたもので、そうしなければいられない、という強い想い。
「それは、いつもみたいに〝誰かの為〟の延長に……ある事?」
この優しさは誰の為のもの?
その言葉に首を横に振る。
「俺は今、先輩の為だけにしたいです。ただそれだけです。そもそもこんな風に女の子を抱き締める事なんてその…恥ずかしくて先輩以外にはできません……」
「んっ……」
身体が震えた、胸に熱さを覚えた。
どうしようも無く切なさを感じた。
想いのままに彼の胸に顔を埋める。
今の顔を殻木田くんには見られたくなかった。
もしもこれ以上に優しくされて、間近くで顔を見つめられたりしたら、もう気持ちを抑えられる自信がなかったから。
私が普段から彼に抱いている想いを――
それを誤魔化すように、それでも彼から離れられなくて私は言った。
「それなら私の枕になって。膝枕をして欲しい」
「分かりました」
頷く殻木田くん。
◇
生徒会室の隅に置かれたソファの上に座る殻木田くん。
その殻木田くんの膝の上に頭を載せて横たわる私。
凄くドキドキした。でもそれでも、安らげる。
「やっぱり、あなたは私の枕として最適だと思うわ」
自分の心を落ち着かせるように茶化す。
「やっぱり、枕としてなんですね……」
彼が苦笑いする。
静かな時間。穏やかな時間。
時間を刻むのは時計の針の音だけ。
ふと、感じる温もり。
それは、殻木田くんが私の頭を撫でる感触。
それは昨日の邪な想いとは違うもの。
「先輩。やっぱり、昨日何があったかは話せませんか?」
「ごめんなさい」
私は話せない、魔女として自分がしている事を。それから魔法少女として活動している事、その全部は。
「仕方ないですよね」
そう言って笑う。
殻木田くんは――普通の人だけど、ある怪異に関わってからは少し変わった立場にいる。
この【セカイ】に魔法がある事を魔女のしている事の一部を知っていて、関係者と言えない立場ながらも記憶を消されていない。千鶴の母曰く彼の事はしたいようにさせておけばいいと、いう事だった。
その言葉の意味を私は測りかねていた。
彼はいったい何を望まれているのか?
ただそれでも彼は今こうして私の傍にいて、いつだって私を信じてくれる。
それを心苦しく思う時もある。
私は全部話していない。それは出来ない事だけど。
でももし――全部知られてしまったら。私はきっと彼に嫌われてしまうと思う。
魔女のしている事は、決して正しい事なんかじゃない。
怪異を生むひとの想いを刈り取る事。
それは、他人を傷つけるモノを刈り取る事だけじゃないから。
時としてマボロシのようなモノとはいえ、ささやかな幸せを刈り取る時もあるから。
魔女は力で他人の想いを蝕む存在だと、私は思う。
魔女として生きていく事。
母を亡くした時に自分で決めた事。
だからどんな事をしても、どんな目に遭っても仕方ない筈。
それでも私は彼を、この温もりを手放せない。
私は――我儘だ。
目蓋が落ちる。
「そろそろ、眠気の限界みたい」
「おやすみなさい――先輩」
耳元で聞こえる声。抱すくめられる身体。
眠り付く前におぼろげに、彼の声を聞いた。
「先輩は俺の大事なひとだから、きっとあの魔法少女は先輩だと思うから――もう、あんな風には誰も触れて欲しくない」




