天と地の狭間で夢を見る
「え、これがあなたの家……」
最近、N高校で友達になった綾小路姫奈はお金持ちだと聞いていた。
実際、学校が休みの日に着てくる服はブランドものばかり。
それなのに、このぼろっちいアパートが彼女の家?
「愛華ちゃん、ついてきて……」
赤茶けた錆びが目立つ青い階段をゆっくり上る。カンカンという音が寂しく響く。
二階にくると、薄墨色の壁と黒ずんだコンクリートの床が続き、その壁に等間隔に埋まるくすんだ水色の扉が並んでいる。彼女の住処は一番奥の扉の向こう……
「恥ずかしくて言えなかったの…」
たどり着くと姫奈は顔を赤くして言った。
「見栄っ張りだから……」
「そうなんだ、でも、この前の休日、三宮のセンター街に行ったときは、良い服きてたよね」
「父が生前買ってくれた時の服だよ。父は昔は某IT企業の社長だったんだけど、リーマンショックの煽りを受けて会社が倒産したの。その時、お父さんも自殺しちゃって……」
姫奈はその時の事を思い出したのか、目を潤ませた。
「学校のお金どうしてるの? 」
「母親がなんとかお金をだしてくれて」
「そうなんだ……知らなかった」
「ごめんね」
「ううん、全然いいよ」
姫奈と付き合い始めてそれほど経っていないけど、学校以外でも数回遊んだ仲だ。
今日彼女はあまり言いたくない秘密を私に打ち明け家に招待してくれる。それは私を親友だと認めてくれた証に違いない。
真実を聞いて最初は驚いたけど、思い返すと、まったく思い当たる節がなかったわけではない。例えば、学校の帰り、一緒に食べに行こうと誘っても、よく断られていた。バイオリンの稽古があるからって言っていたけど、あれは、お金がないから、買い物に行きたくなかったのか。
さっき話にでた三宮のセンター街に買い物へ行った時も、姫奈はほとんど何も買っていなかった。
私の家は中流家庭だけど、それでもお小遣いは月に3万円ほどもらっていて、服や小物類を買うには不自由していない。
姫奈は私がいくつか買い物をしているときどんな気持ちでみていたのだろう。
そんな事を考えていると、姫奈に対して罪悪感のようなものが湧き上がってくる。
あ、でも、まだ……
「そういえば、姫奈、転校生の重松君とよく一緒にいるよね、あの子はあなたのことしってるの? 」
「 うん、知ってるよ」
「あの子金持ちよね」
重松一行はIT企業、重松グループの社長の御曹司だ。N高は私立高なので、中流家庭以上の生徒がほとんどだが、重松の家はその中でも別格だ。
なにせ帰りは、専任の運転手がベンツに乗って向かいに来るくらいだ。
姫奈には悪いけど、そんな彼がまたなんで姫奈と。
「なんで、私と重松君が仲良くしてるかって顔してるね」
悪戯っぽく微笑んだ。
「そんなつもりじゃ」
「いいのよ、気を遣わなくっても」
言いながら、私に人差し指を向けて言った。
「真実はひとつ! なんてね、さむ…」
彼女は自分の頭をこつんとたたくと、舌をちろっと出して続けた。
「簡単な話だよ、昔、父の会社の取引先が重松グループで、そこの社長さんのご子息が重松君ってだけ。重松君ちとは子供のころから交流があって、重松社長が、今でも気にかけてくれているの、それだけよ」
「ああなるほど」
と、言ってみたものの何かひっかかる。仲がいいとはいえ、潰れた会社社長の家族との関係が続くだろうか。もしかして、重松社長と姫奈の母親は愛人だったりして……
まあ、これはおかしいか、妻と愛人の子が仲良くするはずないもんね……
「それよりさ、いつまでも扉の前で話していても寒いだけだし、早く家に入ろうよ、お母さん、ただいまあ、友達を連れてきたよ」
姫奈が先に家に入る間際、私は扉の横の小さな金属製のポストの上部に「三船」の苗字を見つけた。姫奈の母親の旧姓だろうか。」
「お母さん、ただいま」
「おかえりなさい」
「あ、話は聞いております。お友達の姫川さんですね、はじめまして、姫奈の母です」
白いタイルの床に腰を落とし、前に手を合わせて頭を下げる姫奈の母親。
「ど、どうも、ひ、姫川愛華といいます。はじめまして」
あまりに丁寧な挨拶に私は気後れをした。
「どうぞ、中へ」
すっとたちあがる姿には品がある。
さすがはもと社長の奥様、貧しくなっても品格は残っていらっしゃる。
姫奈の母親は娘と同様、顔の整った美人だ。
けれど、肩まで伸びた髪には、白髪がちらちら混じっており、顔色もどこか疲れているようにみえる。
「どうぞ、ささ」
玄関の外観から予想はしていたが、中の部屋も分相応のものだった。
黒ずんだ畳が連なる6畳一間が、この家族の唯一の憩いの場であり寝食の場であるようだ。真ん中に木製の丸テーブルがあり、後ろに木製箪笥、部屋の隅っこに小型液晶テレビがある。
「あれ……」
私はこの貧しい部屋をみて、ある種の既視観を覚えた。なんだろう、前にもどこかで、この部屋をみたことが……
姫奈はテーブルの脇にに薄茶けた座布団を置いて言った。
「どうぞ、座って、愛華ちゃん」
「すみません、狭いところで、あ、お茶いれますね」
「おかまいなく」
母親が炊事場へ消えると姫奈がささやくように言った。
「お母さん、ビルの清掃業とスーパーのレジをかけもちしてくれていて、私たち、なんとか生活してるの、今日は火曜日だけど、体調が悪いんでお休みとったけどね」
高みからこの場へ落ちた数年、いくつの壁を乗り越えてきたのだろう。
別に……貧乏でもいいじゃないの
学校であんな真似をしなくても、立派に生きてきたんだから、堂々としていればいいじゃない。
「ねえ、姫奈、なんで」
私が質問しかけた瞬間、母親がもどってきた。
「お待たせ、粗末なものですが」
茶色い皿におかきがうず高く積まれている。
高校の文化祭の話で盛り上がるお茶の間。
「それでそれで、私……いってやったんです
「なんてなんて? 」
「そこは私の……」
話している途中に、私はある物に視線が釘付けになった。
「友達が座る席だって……」
「ああ、あの子、間違って座ってたんだよね。」
箪笥の上に、明らかにこの部屋には似つかわしくないものがあった。適当に話をしながら、そのブツに視線をずらす。それはシルバーのローレックスだ。以前、ネットでみたが、ぴんきりだけど、最低でも50万円以上はするものだったはず。
「ちょっとおトイレへ行って来ますね」
おばさんがいなくなった。確かめるチャンスだ。
「ちょっとお部屋みてまわっていいかな? 」
「いいよ~」
「あれ」
この箪笥の上の高級そうな黒い革張りの化粧箱、高そう…
「ねえ、姫奈、この箱、綺麗な箱ね」
「う、うん……その中にはお母様の大事な宝物が」
「そうなんだ……」
姫奈が悲しそうな顔で俯くので私は察した。
これも輝かしい世界の残滓なんだろう。
しかし、一体なんだろう?
この部屋をみていると、湧き起こる懐かしさのような感情は。
私は以前ここへ一度来たことがあるのだろうか?
否、ないはずである。
縁もゆかりもない、ただの友達の家に来るわけがない。
姫奈は鼻歌を歌いながら、スマホをいじっている。
そんな時、液晶テレビの横にある台に置かれた固定電話のベルが鳴った。
おばさんが、慌てた様子で電話にでる。
「はい、はい、分かりました、すみません、ごめんなさい、すぐに、はい」
ぼそぼそ話すので、最初の会話は聞き取れなかったが、最後の方のニュアンスだけ掴んだ。深刻そうな内容だ。
ガチャン。
なにかおばさんの顔が前にも増してやつれたような。
姫奈もそれを察したのか、スマホから目を離し母親を見上げた。
「お母さん、まさか……」
「うん、前田金融の」
と、いいかけて、私に震える視線を向けてくる。
私はここにいていいのだろうか……
「お金、返せって怒鳴られたの……」
なぜか、私を挟んで深刻な話を始めたおばさん。
「お金のあてはあるの? お母さん」
「あるにはあるんだけど……」
おばさんは姫奈をチラッと見た。
姫奈はみられると、俯いたまましばらく黙っていたが、なにか決心をしたかのように顔を上げた。
「重松君に……聞いてみる」
「やあ、おばはんたち元気か? 」
重松は、さっきスマホで姫奈に呼ばれると、20分くらいで家にやってきた。
イケメン御曹司の重松一行は、なぜか学校の時とは印象が違っている。酷く不機嫌そうに顔をゆがめて、荒っぽい口調で話している。
「ったく、またうちに金借りようってのか? 」
「…………」
「結構、親父に貢いでもらってんだろ? 」
なにこの展開……やはり、私が思ったとおり、姫奈の母は重松社長の愛人なの?
でも、それなら説明がつく。
このようなオ…ンボロアパートに住んでいながら、あんな高級品を持っていたり、私立の学校に通えたり。おかしいと思ってたんだ。たぶん、全部、重松社長が……
「仕方ねぇな、だがよ、俺は、親父にお前たちの資金面を任されている、そして、前にそのことで姫奈と相談したよな」
なぜ実の息子に愛人の資金面を任せるんだろう?
「うん、覚悟はできている。」
「じゃあ、三人とも車に乗ってもらおうか? 」
なんで私まで!?
重松邸はさすがにとんでもなく大きい豪邸だった。
敷地面積はどれくらいあるんだろう?
後部座席におばさんを真ん中にしてゆったり三人が座っている。
重松御用達のベンツである。
運転手は黒いスーツを着た60歳前後の老人。確か、重松家の執事兼運転手の人だ。広大な敷地を車は噴水の手前で、右折すると、母屋と思しき邸宅から外れた建物へ移動していく。
「おりろ」
私たちは夕暮れ時、離れらしき建物に連れてこられた。
しかし、さすがに重松グループの社長の家だけあって離れの建物もゴージャスだ。
赤いレンガ作りの壁はお洒落で私好みだった。
と、そんなことを言っている場合ではない。
暗い地下駐車場の入り口へおりていくと、執事は車を停車させた。
「三船、家政婦はどうした? 」
み、三船? 姫奈の母親の旧姓、まさかこの人が。
「ぼっちゃま、大丈夫です、誰もいません」
「さあ、この階段を上った先の部屋だ、ついてこい、姫奈」
姫奈が重松に連れられていくと、おばさんが蚊のなくような声で言った。
「無理しないでいいのよ」
「分かってる……でも、私が決めたことだから」
二人が白い扉に吸い込まれると、おばさんは、静かに下を向いた。
もう、私は、大体のあらすじがわかっていた。
こうなりゃやってやる。
相手がお金持ちだろうがなんだろうが、こんなこと絶対許さない!
一足飛びで駆け上がると、私は白い扉を開いて、叫んだ。
「重松! なにやってんの! 姫奈になにかしたらこのわた……」
言いかけて、途中で私は止めた。室内の様子に違和感を感じたからだ。
「どうしたの? お姉ちゃん」
「え? 」
姫奈は黒皮のソファーから立ち上がりながら、わけの分からないことを言った。
重松は大きな出窓を眺めながらくすくす笑っている。
手前にはびしっとした濃紺のスーツを着た風格のある男性が立っていてこちらに歩むと、
「私が重松グループの会長、綾小路秀樹です。今日は、娘と妻の『 貧乏ごっこ 』につきあってくださったそうで」
「え? 綾小路? む、娘? び、貧乏ごっこ……? 」
私は説明を聞いて頭がくらくらした。
富裕層の間ではやっているという貧乏ごっこ。日常、お金を持っていないふりをして過ごすというのが一般的なものだが、綾小路家のものは特殊だった。
「アパートも執事の三船に借りさせたんだよ、私も母も大喜び、テレビドラマでやっている、『セレブと貧乏母子』にでてくるみたいなぼろアパートみつけて、内装もあのドラマそのまんまにして、貧乏な生活を楽しんでたのよ。なりきりっていうの? 私たち家族はみんな生まれたときから、豪邸で住んでいて、つまんないでしょ。貧乏な人のの世界観を知りたかったの」
この家族、よくしゃべるしゃべる。
乗りに乗ってる。
「今度お父様もやろうよ」
お父様!? そういえば、あの家にいたときも、姫奈は、お母様とお母さんの二つの呼び方を併用していた。あ、そうか、箇所箇所で呼び方が違っていたのは『ごっこ』をやりはじめで慣れていなくて、よく言い間違えてたのか。
ちなみに、私はとりあえず、セレブと貧乏母子に出てくる隠し子の姉役兼、劇の評価をする役目だったらしい。評価とは、実際にうまく貧乏をこなせているかをみる役目。それと、重松君は姫奈のいとこ。
それにしても設定も部屋の小道具の配置も役柄も台詞回しも適当だった。台本やセッティングはほとんど姫奈と母で決めたのかな。まんまと私は騙されたけど
……そりゃ私いつもあのドラマみてたし、この娘とも話してたから既視感あるはずだよ。
「よし、今から、貧乏定番の、競場にいくぞ」
ああ、もうついていけない、この家族!