世界語
懇親パーティ話が思いの外難産で、こっちの問題を先に処理する事にしました。アーノルドおちょくり隊の方にはお待たせして申し訳ないです……。
巨大な筋肉の塊が縮こまっている。
縮こまっているというか、まぁ有り体に言えば土下座だ。クリス先生が土下座しているのだ。
あの後――食堂での一悶着の後、ガクガクプルプルと膝を笑わせつついつもの二倍の時間を掛けて教室に戻って来た私達は、さすがに今回の伝達ミスは流せないだろうとやって来た先生に水を向けてみたのだが……、即効でこの状態になったよ。
前世ではテレビなんかで何度となく目にした土下座。正直、土下座したからって何なの? とか思っていたんだけど、いやはや。実際目の前でやられてみると、これは最強の謝罪ツールだわ。許さざるを得ないわ。
しかし筋肉の塊の前に仁王立ちする肉の塊は強かった。特に心を動かされた様子も、斟酌する様子もない。ああうん、もちろんゴンゴルです。
「いや、何で二週間と一ヶ月を勘違いするのかってのを聞きたいわけ。そこ解決しないと、またやるじゃん。」
ごもっとも、ごもっともで御座いますとも。でも頭を上げて貰ってからの追及でも良くはなかろうか。フランツのオロオロっぷりが半端ない。
今週末に迫った懇親パーティ。先生へは入学式の時点で事務方から書類連絡があったようなんだけど、なんと二週間後を一ヶ月後と勘違いしていて、授業の体制が落ち着いた今週末にでも伝達しようと思っていたらしい。
遅い、その今週末に開催だ。
「まぁ、原因は確定かな?」
オレアノが苦笑する。え、そうなの? もしかして分かってないの私だけ? 私にぶちん?
「は? なに?」
良かった、ゴンゴルも分かってない。多分アルカロスもフランツも分かっていない。
「勘違いじゃなくて、読み間違えたんですよね? 先生、リベティア語苦手でしょ?」
え?
「いやでも……、先生ってリベティア人っスよね?」
アルカロスの言う通り、先生はリベティア王国の外縁島に領地を持つコールローズ子爵家の五男の筈だ。識字率80パーセント程の国ではあるが、流石に貴族の子息が20パーセントの方に含まれる訳がない。
「でも八歳で操船士に弟子入りして国を出て、その後三十年以上も戻らずに世界語ばっかり使っていたなら、祖国の読み書きを忘れても不思議じゃなくない?」
この国の言葉ややこしいし……と続くオレアノの台詞には、何故か実感がこもっている。
ちなみに世界語とは、色んな国へ立ち寄る事になる船夫達が好んで使う共通言語だ。操船指南書に始まり海図に航海記……早い話、海に関する書物はほぼ間違いなくこの世界語で著されている。操船科の授業でも世界語しか使わない。
しかし将来的にも国から出る可能性の低い他の学科の授業は、もちろん国語であるリベティア語で行われている。学校からの掲示もリベティア語だし、そうなれば先生に回ってくる事務方からの書類も当然リベティア語だろう。
「辞書片手に頑張ってたんでしょ?先生の辞書、ボロボロですもんね。」
言ってオレアノが、先生の肩をトントンと叩く。
「こうしましょう。リベティア語で書かれている物は、とにかく全部教室の後ろに掲示する。で、先生が読んで、俺達も読む。先生が間違っていたら教えます。」
いつもの和やかな笑みを浮かべるオレアノに、しかしゴンゴルは不満げだ。
「甘やかし過ぎじゃねーの?」
「うーん、先生だけが悪いんじゃないだろうなと思うからね。先生ここの教職員試験を受けた時に世界語しか使わなかったから、リベティア語なしでも大丈夫だと思っちゃったんでしょ?」
「なんで……それ……。」
「学院側としては操船科の先生だから、世界語が完璧かどうかの確認も兼ねて全篇世界語で通したんでしょうね。」
それは……あれか。つまり、英語で授業の出来る日本人講師を雇ったと。で、その採用試験の際に本当に英語が出来るかどうか、試験も面接も英語で行ったと。非雇用者は全部英語で行われたものだから、日本語は必要ないんだと思った。雇用者は日本人なんだから、当然日本語も出来ると思い込んでいた……って事か。
うーん、両方が確認を怠って、色々裏目に出ちゃったって感じだなぁ。いきなりリベティア語で書かれた書類を渡されて、先生もびっくりした事だろう。
「正直国語が出来ないなら、首になる確率は高いよ。先生もそう思ったから言い出せなかったんだろうし。先生が辞めて、次の先生がそう易々と見付かると思う?」
思わない。まずこの学校、貴族か貴族に連なる人間でないと教師になれない。そして貴族出身の操船士なんて、絶滅危惧種並に数が少ない。そして貴族でありながら操船士になるような人間が、ちょっとやそっとで船を降りる訳がない。
うん、ないない尽くしだ。クリス先生にしたって、足に大怪我を負って船上での生活が難しくなったから陸に上がったんだもの。
「俺は俺の都合を優先するよ。先生が首になったら俺が困るから、掲示すればいいだけって対応策があるんだから、断罪しない。先生だって努力中だし、半年もすれば改善されるよ。」
俺も協力しますから頑張りましょうねと言うオレアノの言葉に、ハラハラと涙を流す先生が凄まじい勢いでうんうん頷く。
「しゃーねーなぁー。」
ゴンゴルが、大して怒ってもいなさそうな声で受諾する。根本が解決しさえすれば、それで良かったんだろう。
フランツが「子供の頃に使っていた単語帳持ってきますね」と言い、アルカロスが「流石にそれは失礼だろ」と突っ込んでいた。
多分他の学科だったら、先生は普通に首だったと思うんだ。気位の高い生徒が激高して、糾弾するのが当然だと皆が思い込んで、そして辞めてしまった後に自分達の不利益を知って、誰が辞めさせたんだとギスギスした空気になる。
先生がフランツに単語帳を貰えるように頼んでいる。たった八歳で、操船士になるため国を飛び出すような人だ。そのバイタリティは、すぐに彼に高水準の語学力を齎すだろう。
さて解決した事だし、私は今日にでも兄に連絡を入れよう。きっとすぐにでも、ドレスを持って来てくれる筈だ。
この話の主役は、実はゴンゴルです。