第三話 この街が大好きなんですよ
かがみ荘にティルミットがやってきて、数日が過ぎた。
ティルミットは段々とかがみ荘の面々に受け入れられて、晴れて俺のおかしな趣味疑惑も晴れた。
まぁたまに桜さんあたりが冷たい目つきで俺を見てきている気がするけど。
学校までまだ日の残る春休み。
暇を持て余していた俺は、退屈な時間をもっぱらラウンジで過ごしていた。
ラウンジにはテレビとソファー等応接セットがあり、家具の少ない自室で過ごすよりも快適に時間を潰すことができるのだ。
俺がラウンジに居ると、大体いつも鈴葉とティルミットがついてくる。俺たちはいつもごろごろしたり、テレビを観たりしていた。
『でもね奥さん、アンタにもその原因はありますよ?』
ある日の昼。働きすぎで有名な白髪の司会者が生電話で視聴者の疑問に答えていた。
それを真剣な面持ちでみている鈴葉とティルミット。正直この絵は見ていておもしろい。
が、テレビの内容はあまりにも退屈だったので。
「えいっ」
「「あぁーっ!!」」
あ、チャンネル変えただけでこいつらハモった。
「ひどいよ零一!鈴葉がみてたのにー!!」
「そうですマスター!私も今の番組には興味があります!」
「・・・ミノさん見て喜ぶって、何処の主婦だおまえら・・・」
ぼやきつつ、俺は視線をテレビにもどす。
『―のバジルを加えて、先ほどの鶏肉を――』かちっ。
『―涛合体、アーク!グレ――』かちっ。
『―以上現場である紅津市から、私野田がお伝え――』
「え?」
チャンネルを回す指が一瞬止まった。
現場?べにつし、って言ったよな今・・・。
その番組を見ると、右上に《ついに11人目!紅津市連続切り裂き魔!》というテロップが表示されていた。
「11人目?鈴葉、これって・・・」
「いいから零一!ミノさん、ミノさんだよっ!!」
「わっ、こら、やめろ―――!!」
「申し訳ありませんがマスター。ミノさんの為です!」
結局鈴葉&ティルミットコンビによりリモコンは取り上げられ、先ほどのニュースをそれ以上見ることは出来なかった。
俺がここに越してくる前からこの通り魔じみた犯行は起こっており、犯人は毎晩必ず若い女性一人ずつをナイフで斬りつけているという。
更に犯人はまだ捕まっていない、という事実を知ったのは、これより少し後の話だった。
白鷺美月は、夜の紅津市を歩いていた。
駅から教会までの暗い道のり。佇むのは街灯の灯りばかりで、あたりには人の姿は見当たらない。
それもそうだ、と彼女は苦笑する。駅の時計は彼女が見たとき既に12時近くを指していたし、そんな時間にこの道を通る人間はそういないからだ。
教会までの道程には商店などはほとんど無く、あるのは民家や小さなアパートメントくらい。このあたりに住む人間でなければ、こんな道はそう通らない。
しかしそれも住み込みでシスター見習いをやっている彼女には見慣れた景色で、こんな時間にも関わらず彼女は危機感など露ほども持ち合わせていなかった。
なのでこの日の彼女の小さな不運は、単に夜間だからという警戒心を持たなかったことなのだろう。
背中にギターケースを背負い、街灯の灯りのみを頼りにとてとてと道を行く美月。
「やっぱり遅くなっちゃった・・・。神父様もう寝てるかなー」
携帯電話を取り出すと、時計は既に日付が変わった後の午前0時13分を指していた。
もし神父様が起きて待っていてくれたら大変だ、と彼女はすこし早足気味になる。
そのあまりにも無防備な背中を―――。
「・・・・・・・・・・・・」
彼は、狙っていた。
肉厚のナイフを握り締める。
彼の武器といえるのはそのナイフと薬物により増強された肉体くらいなものだった。
が、それも一人の少女を重症に至らしめるには十分すぎる得物である。
息を、足音を、影を殺してひっそりと彼女の背中に近寄る。
男は今一度ナイフを握りなおす。美月までの距離はおおよそ5メートルといったところだ。
存在を消してにじり寄る。
前を歩く無防備な少女の背中に、これから自分がするであろう行為を想像すると男の身体に恍惚が走った。
残り2メートル強。いいだろう、もういいだろう、と男は自分に言い聞かせた。
・・・もう、ヤってしまってもいいだろう。
ナイフが牙をむく。
残りの2メートルが一度の跳躍でゼロになる。
背後からの物音に振り向く美月。
振りあがる男のナイフが月光に煌めく。そして―――――
「・・・・・・っおらああぁぁぁぁっ!!!」
気合一撃とばかりに男の首に叩き込まれるハイキック。
ミチリ、と骨と肉のきしむ音が男の首の付け根から響いた。
一瞬男と視線が交錯するが、『彼女』はそんなことは少しも気にしなかった。
そのまま男の首に叩き込んだ右足を左足を軸に体ごともう半周させる。
回し蹴りの要領で蹴られた男の身体は一瞬宙を舞った後、石畳に叩きつけられ地面を転がった。
「がっ・・・・・・!!」
苦悶の声を上げながら仰向けに倒れる男。
それに一瞥をくれた後、美月と男の間に乱入してきた彼女―――各務桜はちらりと背後を振り向いた。
「怪我とか、ない?」
「へ?・・・・・・・・・あ、はい!ないです!」
突如として目の前で繰り広げられた展開にようやく追いついた美月。
彼女の返事を聞くと、桜は倒れ伏す男に向き直り、背中を向けたまま言った。
「んじゃあさ、ちょっと急ぎ足でお家に帰って貰えないかな?あの男、まだ」
そこまで言った瞬間、背筋を凍らせるような殺気を感じ、桜は顔をとっさに右に逸らす。
一瞬遅れて男のナイフが桜の髪を撫ぜた。
切断された髪がはらはらと地面へ零れ落ちる。
「・・・っ!!」
かわした体を捻って勢いを殺さず後ろ回し蹴りを放つ。
男はそれをひらりと後ろに飛んで避けると、体勢を低くとり、桜と向き合った。
「貴女、このまま振り向かないで走って、家まで帰りなさい」
「え、でも・・・」
「早く!!」
わけもわからず、美月は教会までの道を走り始めた。
彼女の足音が遠ざかっていくのを聞き届けると、桜は眼前の男に集中する。
男は姿勢を低く構え、眼前にナイフを握り締めたまま動かない。
「・・・あんたが、今話題の切り裂き魔ってやつ?」
男は答えず、口の端を吊り上げてにぃ、と笑った。
直後、低い姿勢のまま桜に肉薄する。
見切る一閃。頚動脈を狙って振るわれた一撃を首を逸らしてかわす。
続いて胸を狙った突きを避ける。避けきれず左腕をかするナイフ。衣服が裂け、血がにじむ。
立て続けに足を狙って振るわれる一閃を跳んで避ける。
浮いた右足から反撃の蹴りを繰り出す。受けた男の腕がメシメシと音をたてた。
後ろに距離をとりながら、まずいな、と男は直感する。この女の身体能力は自分のそれを大きく上回っていると判断する。
玉砕覚悟の特攻も考えたが、それで重傷をおってしまっては意味が無い。
男の目的は「なるべく多くの人間をナイフで切り裂く」。それ以外の欲望など無いのだ。
一旦、退こう。
分が悪いと判断した男は、ナイフを左手に持ち替え、蹴られ痛む右腕を後ろ腰に回した。
「あん?なんか隠し玉でもあるの?まさか銃とか?」
桜は少しの余裕を感じ、ニヤつきながら男を睨む。
が、男はいつまでも後ろ手の形のまま動こうとしない。
普通ならばここで無闇に突っ込むような真似はしないのだが、実力の開きを感じ、男を侮っていた桜は、
「そっちからこないなら・・・・・・!!」
と、男との間合いを詰めてしまった。
その瞬間を待っていた、と男は腰から投擲用のナイフを抜き、身体を捻って桜へ投擲した。
空気を切り裂いて桜の顔めがけて飛ぶナイフ。
ここは一旦退くが、次回この女と仕合うことも考えて片目くらいは奪っておこう―――。
男のそんな考えはしかし、あっさりと砕かれる。
「甘いっ!!」
桜は飛んできたナイフを受け止めるように、ナイフの腹を掴んだ。
普通でも掌が傷つく。ましてあの速度なら指の一本飛んでもおかしくは無かった。
が、見れば桜の手はナイフを掴んではいない。
桜の手から発する青い光が、ナイフを空中で止めていたのだ。
「・・・てめぇ、てめぇも」
言いかけた男の顔面めがけて投げ返されるナイフ。
男はそれを左手のナイフで打ち下ろすと、本格的に逃げる算段をつけた。
「どうしたの?もうオシマイ?」
余裕げに男をねめつける桜。男は観念したように言った。
「いやぁ、コイツはまいったよ・・・今回はこれで―」
言って、後ろ腰の、今度は小さな筒のようなものを地面にたたきつけた。
カァン、と石畳が甲高い音を立てる。
「―見逃してもらうとするぜ!」
「逃がすかッ!」
途端地面を転がる筒から、白煙が噴出する。
「ッ!?煙幕!?」
「ハッハ!!あばよ女ァ!」
「待て!!・・・この!最近これでばっか逃げられてるわね・・・!!」
待てこらー、と叫ぶ桜を尻目に、男は煙の幕から抜け出し、港目指して走った。
◇
「・・・はぁ、はぁ」
息を整え、後ろを振り向く。
万が一のことを危惧していたが、どうやら先程の女は追ってきていないようだ、と男は嘆息した。
男はそのまま海沿いの道を歩き、自分のねぐらまで帰るつもりである。
―――一体なんだったんだ、あの女は。
その女・・・各務桜はありえない力で男を蹴り飛ばし、斬撃を避け、終にはナイフの投擲すらを素手で止めた。
最後のひとつなんかはあの距離からでは確実に避けようもない、決まり手だったはずだ。
それを素手で止める。常人ではない。
・・・だとすればあるいは、あの女のような・・・?
そこまで考えたことを払拭するように首をふる。いや、よそう、そんな考えは持たずにおこう、と。
思考の海から抜け出してみれば、男のねぐらはもうすぐだった。
この街に似つかわしくない倉庫の群れの、この角を―――
曲がった瞬間それは居た。
それはまるで人間のようだった。
誰が見ても美人というだろう美しい女性が、男のねぐらである倉庫の入り口に居る。
小さなコンテナに腰掛けたそれは、まるで男には気づいていないかのように手にした文庫本に視線を落としていた。
男は思う。あの女が俺に気づいているはずが無い。足音を殺して近寄り、今日の獲物とすればいいのでは、と。
しかし男の身体は、脳の正常なはずの考えを異常なまでに否定していた。
―やめろやめろやめろ!!おまえじゃ歯が立たない!背中を見せて走れ!命を無駄にするなここから逃げろ!!
人畜無害そうな女性のヒトガタを前に、男の身体は必死で後ろへ走り出そうとする。
だが気づけば身体は前にも後ろにも動かず、男はその場に棒立ちに縛り付けられていた。
「桜ちゃんがここに来ない、ってことは・・・」
女のヒトガタが口を開いた。澄み渡るような美声が夜の港に響く。
呟くような声はしかし、男の耳にしっかりと届いていた。
「・・・あの子もまだまだ甘いというかなんと言うか。誰に似たのかしらねぇ」
それはきっと独り言だ。男には関係ない妄言だ。
それの視線はまだ文庫本に落とされたままだ。
まるで、男の存在を許容しながら男を無視しているかのように。
気づけば男は、
「・・・た、すけて、くれ」
切り裂き魔である男は、初対面の、しかも敵とも認識してすらいない相手に、命乞いをしていた。
男自身、なぜそんな言葉が真っ先に浮かんできたのかなんてうかがい知れない。
女との十メートル弱の距離。これさえ詰めれば男はいつものパターンで彼女を重傷せしめることが出来るはずだ。
が、男の脳内には距離を詰められるというただそれだけのイメージがまるで沸いてこない。
それどころか、たとい距離を詰めたとして、自分が勝てるという考えすら浮かんでこなかった。
男が眼前の女に抱いたイメージはいたってシンプルで、原始的な感情だった。
人はその感情を、その存在を「死」と呼んだ。
眼前の死はニコリと笑って文庫本を閉じる。
「助けてと、貴方は今そう言ったのかしら?」
男は自分の言葉が届いたことにほんのわずか、安堵する。
「あ、ああ!そうだ、頼むから命だけ」
「どうして」
短く、ぴしゃりと女は言い放つ。
「どうして貴方は、初対面であるはずの私に対して、そんなに怯えているのかしら?」
それは至極もっともな発言である。が、その理由は男が知りたいくらいだった。
ただ、本能的にこの女には勝てないと、勝てないどころかこのままここにいたら―――という感情が湯水のようにわいてくるのだ。
「それに、もうひとつ」
女の指がすっと伸び、棒立ちのまま固まっている男を指差した。
「どうして私が、貴方を助けなくてはいけないのかしら?」
瞬間、男の背筋が凍りついた。
そして瞬時に理解する。あぁ、この女は俺に対するすべてを当然のように知っていてこの場所にいるのだと。
そして今の言葉からするに、このままでは俺は・・・!!
「私はね、この街が大好きなんですよ」
女がコンテナから腰を上げた。
「海が綺麗で、街並みもとてもとてもきれい。住んでいる人たちもみんな暖かくて、優しい人ばかりで―――」
女はにこやかに語っている。
男の呪縛が霧散する。指が動く、腕が、足が、体が動く・・・!!
起死回生一発逆転、生き残るチャンスはここを除いて存在し得ない。
女が余裕たっぷりに語っているのを好機とし、男はベルトの両脇に挿してあるナイフを引き抜いた。
そしてそのまま、体全体のバネを使って、一気に女に向かって跳躍する!
「う、あああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁ!!!」
起死回生、一発逆転のその一撃はしかし、
「―――そんな素敵な街を汚す人間を、私が赦すと思いますか?」
冷淡な一言であっけなく幕を迎える。
「―――」
男の眼と脳が最後の瞬間に記録したものは、何事かをぼそりと呟いた女の口の動きと、突き出された右手から放たれた、目もくらむばかりの光だった。
◇
「・・・続いて、ニュースです。今日未明、K県紅津市の港において、正体不明の―――」
「わー、すげぇ。地上から空に向かって流れる流れ星だってよ」
「流れ星ー?たしか5回お願い事を言えば叶うんだっけ?」
「鈴葉さん、それは正しくは3回です。そもそも何故3回かといいますと・・・」
「・・・・・・」
朝のかがみ荘ラウンジでは、最近のラウンジ常連である俺たちに加え、珍しく有珠が居た。
「鈴葉ちゃんは流れ星がきたらなにをお願いするのー?」
「レールガンが欲しい、かな・・・」
「・・・レールガンって何?」
などと不毛な会話をしているうちに、朝のニュース番組は終わった。
今日は珍しく噂の切り裂き魔のニュースが一度も取り上げられなかったな。昨晩は切り裂き魔の犯行が起こらなかったのだろう。
「まぁ、あそこまで警察沙汰になって続く事件の方がどうかしてるか・・・」
「あんたら朝からきゃーきゃーぴーぴーうっさいわよ〜」
眠たそうな目を擦りながら、ラウンジに桜さんが現れる。珍しいことは重なるものだ。
「あ、桜ちゃんおはよー!」
「だぁからうっさいっての!頭に響くわ!!」
あー、と頭を押さえる桜さん・・・って、あれ?
「桜さん、髪切ったんですか?微妙に短くなりましたよね?」
「ん?あぁちょっとね。事故で無くしちゃってさー。おかしかったから切りそろえたのよ」
「・・・髪の毛微妙になくす事故ってなんすか」
まぁ桜さんのことだ。マッチとかいじっていたら髪に火がついたということも十二分に考えられる。
そんな邪な考えを見抜いたのか、桜さんは俺に向かってコーヒーを入れてくるよう命令すると、ラウンジのソファにうつ伏せに寝転んでしまった。
しょうがないですねー、と俺はラウンジを立った。
・・・桜さんが少しへこんでいるように見えたが、きっと髪を事故でなくしたことにでも腹を立てているのだろう。
そう考え、俺は台所へと向かうのだった。