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「君を愛することはできない」と結婚初日に言った旦那様は、なぜか私の好きなものをよく知っていました

作者: エフピロ
掲載日:2026/07/15

「僕には、君を愛することはできない」


 結婚初日。

 嫁いだ先で、旦那様にいきなりそんなことを言われた。


「……他に良い人でもいるというのですか?」


「いや、違うんだ。そして、君が嫌いなわけでもなく。僕は……そう、北の果てに行かなきゃならない」


 北の果て、ですか。


「それなのに、今、私と結婚されたのですか」


「それは説明が難しいんだけど……ああ、ココア、飲む? 好きだよね」


「はい、いただきます」


 あれ? なんで私がココアが好きって知ってるんだろう?


「ちょっと君にとっては不思議な話かもしれないけど、僕は君のことを案外知ってる。ナッツのお菓子も好きだったよね」


「……はい」


 本当に、よく知っている。


「僕は、君を愛してはならない夫なんだ。だから、君には手切れ金とこの家をあげる。どうか、幸せに暮らしてほしい」


「そんな……いきなり。受け取れませんし、納得ができませんよ」


「まあ、そういう人だよね、君は。僕の方もあと数日は準備にかかる。その間に君も離縁の準備をしておいておくれ」


「はあ……」


 新婚早々、離縁の準備と言われても。




 暖炉にあたりながら混乱する頭を整理していたら、眠ってしまったらしい。

 いつのまにか火も消えていた。


「……寒い」


 前に椅子で寝てしまった時は、毛布をかけてくれたのに。

 そう思いながら、私は改めてベッドに入った。


 ……前に?


 答えのない違和感を覚えつつも、夜も遅かったので、私は眠りについた。

 結婚初夜だけれど、言葉通り旦那様は姿を見せなかった。




「旦那様!」


 そんな声で目が覚めた。

 侍女のマーサの声だ。相変わらず大きな声。


 あれ? 昨日初めて会ったのよね。


 廊下に出ると、旦那様が倒れていた。


「大変!」


 近づくと、苦しそうにうめいているけれど、息はある。


「ベッドに運びましょう」


 マーサと協力して旦那様をベッドに運ぶ。


「昨夜、離縁してほしいと言われたのだけれど、これでは出て行くわけにもいかないわね」


 マーサを見て肩をすくめる。


「……旦那様……」


 複雑そうな顔をするマーサ。


「マーサは旦那様を見ていて。あと、お医者様の手配をお願い。私はなにか薬や、栄養がとれそうなものを探してくるわ」


 街へ出た。

 昨日、遠い実家から着いたばかりなのに、この街は不思議と居心地が良い。ケーキを売っているお店がないのだけ、ちょっと残念だけれど。


「……あれ?」


 知らないのに、知っている。不思議な既視感に襲われる。


 そして、引き寄せられるように、一軒のお店に入った。


「いらっしゃい。なんだ、お前さんか。まだ早いよ」


 営業開始前だったのだろうか、店主の年老いた女性は、私の顔を見るなりそんなことを言った。


「ここは、薬屋さん……ですか?」


 棚に並んだ瓶を見る。

 何に使うかわからないようなものばかり。


「お前にとっては似たようなもんさね」


 また、わかるような、わからないようなことを言われる。


「旦那様が倒れてしまったの。滋養に良い薬はありますか?」


 旦那様が倒れた時は、決まって薬を買っていたっけ。


「ここにある。しかしこれは愛を必要とする。お前にそれだけの愛はあるか?」


 愛? 人を愛する心ならあると思うけれど。でも、旦那様には愛されなかったから、ないのだろうか。


「そう言われても、わからないわ」


「わからないなら、まだ早い。今日は帰りな」


 わけのわからないうちに、お店から追い出されてしまった。




「ただいま。パンを買ってきたわ。旦那様の様子はいかが?」


「お帰りなさいませ。今はお眠りになっています」


 マーサが奥から出てくる。


「そう、悪くなってないなら良かったわ」


 愛さないと言われた旦那様でも、多少のご縁のある方。死なれでもしたら、少し……とても、とても……悲しい。


「あ……」


 旦那様が死んでしまう想像をしたら、なぜか涙が止まらなくなってしまった。


「あれ? なんで?」


 昨日会ったばかりの、私を蔑ろにした旦那様に、なんでこんなに涙が出るのだろう?


「奥様……ええい、もうわたしゃ限界です! 見ていられません! 旦那様のお言い付けを破ります! こちらに来てください!」


 マーサが私の腕を引っ張る。

 その先は、旦那様にいつも入ってはならないと言われているお部屋。いつも? ……頭が混乱する。


 マーサは鍵を取り出し、扉を開ける。


 中は、書斎だった。


「これは……?」


「旦那様の書斎です、クリシュ様」


 クリシュ。ああ、そういえば私、そんな名前だったな。なんだか懐かしいな。


「こちらをご覧ください。旦那様の日記です」


 マーサは、机に置かれた一冊の本を指す。


「ベルナーは日記をつけていたのね」


 ベルナー。そうだ、旦那様のお名前ね。


「おお……奥様……」


 マーサが、旦那様の名前を言った私を見て、目に涙を浮かべている。


「これが、そうなのね」


 マーサの示した本を開き、眺めてみる。


『妻がやってきた。僕にはもったいない、愛らしい妻。名はクリシュ。今日から一緒に暮らせる幸せを、神に感謝する』


 最初は、そんな書き出しだった。

 五年前の日付だった。


「結婚したの、昨日なのに……」


 ページをめくっていく。


『クリシュが椅子で寝てしまっていたので、毛布をかけてやった。寝顔もかわいい。朝になって、恥ずかしそうに毛布を返しに来た。気にすることなんてないのに』


 四年前の日付だ。


『クリシュの機嫌が悪い時はココア。これを切らしてはならない。温かいココアを淹れて、心当たりがあるなら僕から先に謝るのが肝心』


 三年と半年前。

 ああ、あの頃は、楽しかったなあ。


「あれ……?」


 私の目から、涙がとめどなく溢れてくる。

 あの頃……?


『クリシュが、厄介な呪いにかかった。放っておけば死に至る。僕は研究を重ね、その呪いを僕に移すことに成功した。解除の研究が実を結ばなければ、一年で僕は死ぬだろう。でも、これで良いんだ。クリシュが死ぬくらいなら、僕が引き受けよう』


 三年前。


 そうだ。ベルナーは、具合が悪くなって、倒れたんだ。さっきみたいに。


『倒れた僕を見かねて、クリシュが薬を買ってきてくれた。それを飲んだらかなり回復したけれど、クリシュは僕との暮らしの記憶を失ってしまった。買っただろう店の店主を問い詰めたら、薬は愛の記憶が代償だと言う。それなら僕の愛を払うと言ったら、呪われた身体では支払えないと言われた。クソッ!』


 二年前。


『呪いにまた徐々に蝕まれて行く。解除する研究は継続中だ。クリシュとは改めて一から結婚生活を育んできた。たとえ忘れられようと、愛があればまた元の二人に戻ることはできるはずだ。研究と記録は彼女を混乱させる。マーサにもクリシュには見せないように伝えた』


 一年半前。


 思い出してきた。

 忘れてはならない日々を。


『また、倒れた。また、クリシュが、薬を買ってきた。また、クリシュが、記憶を、失った。僕に愛されて呼ばれていたせいで、自らの名すら、忘れた。研究に成果はない。しかし、どうにか、どうにかしなければ』


 一年前。


 思い出した。

 かけがえのない、愛するベルナーとの日々を。


『まただ。また倒れてしまって、クリシュが、また薬を買ってきてしまった。ああ、もう耐えられない。どこか遠くで死ぬことに決めた。クリシュには残せるだけのものを残そう。愛のない男だと思ってもらえれば、クリシュも別れが辛くはないだろう。どうか、どうか幸せに』


 一昨日。


 薬! ベルナーは私が買ってきた薬を飲んでいないのだわ。早く飲ませないと!


「マーサ、薬はどこ! 一昨日私が買ってきたはずよ!」


「あ、ああ……奥様、記憶を取り戻されて……。旦那様が、死ぬつもりだから不要だと、こちらに」


 私は瓶を持ってベルナーの元へ急ぐ。

 

「ベルナー! これを飲んで!」


「……クリシュ。僕を思い出したのか」


「あなたの日記のおかげで、思い出せたの。全てをね。ありがとう、ベルナー。私がかかった呪いと一人で戦ってくれていたのね……」


 私はベルナーに薬を飲ませた。

 落ち着いたのか、苦悶の表情は消え、静かに寝息を立て始めた。


「マーサ。ベルナーをお願い。私はベルナーを『治す』薬を買いに行くわ」




 向かうのは、あの薬屋。

 昼間は街の中にあったのに、今は街の外れにあった。

 それでも、なぜだか私にはその場所がわかった。


「おや、また来たのか。一年ばかり早いじゃろうて」


 この老婆は、知っているのだ。私たちがどんな目にあっているのかを。


「薬を頂戴。知っているでしょう、ベルナーの、私の旦那様の呪いを完全に解く薬を。なんだって払うから、今すぐ頂戴」


 私は、それがあることを知っていた。

 初めて薬を買ったときのことを思い出したからだ。


「……お前、愛の記憶を売ったのに、記憶が戻ったのかい」


 深いシワに隠れた目を大きく見開く老婆。


「ええ。ベルナーの深い愛のおかげでね。私たちは呪いなんかに負けないわ。だから、用意して」


「そんなことが起こるはずがない。どんな奇跡が起きたのじゃ? しかし、薬はまた別。前に言ったろう?」


「その薬は今の私には買えない、だったわね」


「左様じゃ。お前らにかけられた呪いは、単に呪われた者が死ぬ呪いではない」


 老婆はカウンターから身を乗り出し、私と目をじっくりと合わせる。


「毎年、どちらかが死にかけ、毎年、せっかく培ったその一年分の愛を代償に、治しきれない弱い薬を買う羽目になる。死ぬまでそれを繰り返すしかない。それが宿命となる悲劇の呪いじゃ」


 だから、私は毎年記憶を失って、ベルナーは毎年倒れることになっていたのか。今だったらそれが本当だとわかる。


「この呪いを解くには、五年の愛、真実の愛が必要。だから、長年連れ添った者が最初の一度だけ使える手段となる。三年でも、四年でも、それで賄えるのは弱い薬のみじゃ」


「だから、私では買えないと言ったのね。ベルナーと出会ってまだ三年だったから」


「そう。お前らには死ぬまで救いの道は無い。そのはずであった」


「でも、今は違うわ。今の私にはベルナーと暮らした五年すべてがあるもの!」


「同じ奇跡は二度起こらぬ。それでも、それを、残らず売ることができるか? 一切が消え去るとしても、それを使い切る覚悟が、お前には、あるか?」


 老婆は私を値踏みするように眺める。

 だけど、私は即答する。


「当たり前よ。それでベルナーが治るのなら、私は命だって売るわ!」


 あの人は、私のために命を投げ出そうとしてくれたんだから。


 老婆が、机の下からひとつの瓶を取り出す。


「よくぞ言った。その言葉に嘘が無いならば、さあ、この器を持って夫の元へ急ぐが良い」


 みれば、それは不思議な模様の描かれた、空の瓶。


「空っぽじゃない!」


「これで良いのじゃ。お前と、相手の愛が真実の愛ならば、満たすことができる」




 私はその言葉を信じるしかなかった。

 瓶を手に、走って家に戻り、ベルナーの元へ向かう。


 と、その前に。


 書斎に入り、ベルナーの日記を開く。


「よし」


 ちょっとした、イタズラ。

 改めて、ベルナーの元へ。


「奥様、それは……」


「わからない。わからないけれど、これでベルナーは治るはずよ」


 蓋を開ける。

 何もない。何もないのに、渦が見える。


「ベルナー……!」


 私はその瓶をベルナーに近づける。

 すると、ベルナーから禍々しい黒い霧のようなものが出てきて、瓶に吸い込まれて行く!


「お、奥様……」


 マーサの声に自分を見ると、私からは白い霧が出てきて、やはり瓶に吸い込まれて行く。


「マーサ、全てが終わったら、この蓋を閉めてね」


「……わかりました」


 マーサは複雑な顔をしている。

 また、私が記憶をなくすことを心配しているのだろう。


「大丈夫」


 全てを失っても。

 ベルナーさえいてくれるのなら。


 愛しているわ、ベルナー。


   *


 朝。


 私はどうやら椅子で寝てしまったらしい。


 誰かが毛布をかけてくれていた。


「ここは……」


 そうだ、私は結婚して、昨日からここで旦那様と住み始めたんだった。


「やあ、おはよう、クリシュ」


「おはようございます」


 クリシュ? 誰だっけ。ああ、私か。

 それで、旦那様は?


「あれ、すみません……お名前が出てこなくて」


「……ああ、気にしないで。大丈夫。僕はベルナー。ココア、好きだよね。飲むかい?」


 そんな顔をしないで、ベルナー。


 あれ? なんで私そんなことを?

 あれ? なんでココアが好きだってわかるの?

 あれ? 日記は?


「日記……」


「日記? なにか、覚えているのかい?」


 変なことを聞く旦那様だ。

 日記は、大切なものでしょう。


「どれ」


 旦那様と、私と、マーサで書斎に入る。

 このお部屋、入っていいのね。


 旦那様が、日記を開く。

 そうそう、それ。大切な日記なのよね。


 最初のページから、順に、一緒に眺めていく。


「どうだい、クリシュ。何か、思い出すかい?」


「……いいえ。書かれていること、なんだかおとぎ話みたい」


「クリシュ様! 昨日はこれを読んで全てを思い出せたじゃないですか!」


 マーサが大きな声を出す。

 そう言われても、私はこの日記、初めて読んだのだけれど。


 ついに、日記の最後のページになってしまった。


「これは……! クリシュ……!」


 そのページを見た旦那様が、大粒の涙をこぼす。


 どうしたんだろう?

 私も肩越しに覗く。


 一番新しいページの下に、短い走り書きが書かれている。


 あれ? 私の、字?



『五年の愛をここに。たとえ忘れても、絶対に思い出すから! ベルナー、愛しています。永遠に』



 それは、私が、私にかけた呪いのようなものだった。

 絶対に忘れない。絶対に思い出す。

 そう、その想いだけを込めて書いたの。


 誰が? 私が。

 いつ? 今より前の、いつか。

 なぜ? 忘れては、いけないから。


 絶対に、思い出すから――


「あ、あ……ああ!」


 そのことに「気づいた」私の中に、五年分の記憶……愛しいベルナーとの思い出が、濁流のように流れ込んでくる!


 楽しかったこと、ケンカしたこと、淹れてくれたココアの味、毛布の暖かさ、ベルナーが倒れてしまった時のこと……そして、昨夜のことも!!


 私はクリシュ。

 五年前から、ベルナーと夫婦で、ずっと一緒にいた!


 はじめは、ベルナーの愛が。

 つぎは、私の愛が。


 二度起こらぬと言われた奇跡を、起こしたのだ。


「ベルナー、私はクリシュ。そう、あなたの妻よ、五年前からずっと! 愛しているわ、ベルナー!」


「あ、ああ……信じられない。また記憶を取り戻せるなんて。クリシュ、愛しているよ。君は僕の妻で、僕は、僕は……君の夫だ!」


 私はベルナーに抱きついた。

 ベルナーも固く抱きしめてくれる。


「ありがとう、ベルナー。私を何度も諦めずに愛してくれて」


「いや、僕は弱い男だ。ありがとう、クリシュ。諦めかけた僕を助けてくれて」


「当然よ、私はあなたの妻なのだから!」


 私たちは、熱い口づけを交わした。

 五年分の、全ての愛をのせて。

お読みいただきありがとうございました。

愛の奇跡を書いてみたくなりました。

お気に召しましたら評価や反応をいただけると嬉しいです。

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