「君を愛することはできない」と結婚初日に言った旦那様は、なぜか私の好きなものをよく知っていました
「僕には、君を愛することはできない」
結婚初日。
嫁いだ先で、旦那様にいきなりそんなことを言われた。
「……他に良い人でもいるというのですか?」
「いや、違うんだ。そして、君が嫌いなわけでもなく。僕は……そう、北の果てに行かなきゃならない」
北の果て、ですか。
「それなのに、今、私と結婚されたのですか」
「それは説明が難しいんだけど……ああ、ココア、飲む? 好きだよね」
「はい、いただきます」
あれ? なんで私がココアが好きって知ってるんだろう?
「ちょっと君にとっては不思議な話かもしれないけど、僕は君のことを案外知ってる。ナッツのお菓子も好きだったよね」
「……はい」
本当に、よく知っている。
「僕は、君を愛してはならない夫なんだ。だから、君には手切れ金とこの家をあげる。どうか、幸せに暮らしてほしい」
「そんな……いきなり。受け取れませんし、納得ができませんよ」
「まあ、そういう人だよね、君は。僕の方もあと数日は準備にかかる。その間に君も離縁の準備をしておいておくれ」
「はあ……」
新婚早々、離縁の準備と言われても。
暖炉にあたりながら混乱する頭を整理していたら、眠ってしまったらしい。
いつのまにか火も消えていた。
「……寒い」
前に椅子で寝てしまった時は、毛布をかけてくれたのに。
そう思いながら、私は改めてベッドに入った。
……前に?
答えのない違和感を覚えつつも、夜も遅かったので、私は眠りについた。
結婚初夜だけれど、言葉通り旦那様は姿を見せなかった。
「旦那様!」
そんな声で目が覚めた。
侍女のマーサの声だ。相変わらず大きな声。
あれ? 昨日初めて会ったのよね。
廊下に出ると、旦那様が倒れていた。
「大変!」
近づくと、苦しそうにうめいているけれど、息はある。
「ベッドに運びましょう」
マーサと協力して旦那様をベッドに運ぶ。
「昨夜、離縁してほしいと言われたのだけれど、これでは出て行くわけにもいかないわね」
マーサを見て肩をすくめる。
「……旦那様……」
複雑そうな顔をするマーサ。
「マーサは旦那様を見ていて。あと、お医者様の手配をお願い。私はなにか薬や、栄養がとれそうなものを探してくるわ」
街へ出た。
昨日、遠い実家から着いたばかりなのに、この街は不思議と居心地が良い。ケーキを売っているお店がないのだけ、ちょっと残念だけれど。
「……あれ?」
知らないのに、知っている。不思議な既視感に襲われる。
そして、引き寄せられるように、一軒のお店に入った。
「いらっしゃい。なんだ、お前さんか。まだ早いよ」
営業開始前だったのだろうか、店主の年老いた女性は、私の顔を見るなりそんなことを言った。
「ここは、薬屋さん……ですか?」
棚に並んだ瓶を見る。
何に使うかわからないようなものばかり。
「お前にとっては似たようなもんさね」
また、わかるような、わからないようなことを言われる。
「旦那様が倒れてしまったの。滋養に良い薬はありますか?」
旦那様が倒れた時は、決まって薬を買っていたっけ。
「ここにある。しかしこれは愛を必要とする。お前にそれだけの愛はあるか?」
愛? 人を愛する心ならあると思うけれど。でも、旦那様には愛されなかったから、ないのだろうか。
「そう言われても、わからないわ」
「わからないなら、まだ早い。今日は帰りな」
わけのわからないうちに、お店から追い出されてしまった。
「ただいま。パンを買ってきたわ。旦那様の様子はいかが?」
「お帰りなさいませ。今はお眠りになっています」
マーサが奥から出てくる。
「そう、悪くなってないなら良かったわ」
愛さないと言われた旦那様でも、多少のご縁のある方。死なれでもしたら、少し……とても、とても……悲しい。
「あ……」
旦那様が死んでしまう想像をしたら、なぜか涙が止まらなくなってしまった。
「あれ? なんで?」
昨日会ったばかりの、私を蔑ろにした旦那様に、なんでこんなに涙が出るのだろう?
「奥様……ええい、もうわたしゃ限界です! 見ていられません! 旦那様のお言い付けを破ります! こちらに来てください!」
マーサが私の腕を引っ張る。
その先は、旦那様にいつも入ってはならないと言われているお部屋。いつも? ……頭が混乱する。
マーサは鍵を取り出し、扉を開ける。
中は、書斎だった。
「これは……?」
「旦那様の書斎です、クリシュ様」
クリシュ。ああ、そういえば私、そんな名前だったな。なんだか懐かしいな。
「こちらをご覧ください。旦那様の日記です」
マーサは、机に置かれた一冊の本を指す。
「ベルナーは日記をつけていたのね」
ベルナー。そうだ、旦那様のお名前ね。
「おお……奥様……」
マーサが、旦那様の名前を言った私を見て、目に涙を浮かべている。
「これが、そうなのね」
マーサの示した本を開き、眺めてみる。
『妻がやってきた。僕にはもったいない、愛らしい妻。名はクリシュ。今日から一緒に暮らせる幸せを、神に感謝する』
最初は、そんな書き出しだった。
五年前の日付だった。
「結婚したの、昨日なのに……」
ページをめくっていく。
『クリシュが椅子で寝てしまっていたので、毛布をかけてやった。寝顔もかわいい。朝になって、恥ずかしそうに毛布を返しに来た。気にすることなんてないのに』
四年前の日付だ。
『クリシュの機嫌が悪い時はココア。これを切らしてはならない。温かいココアを淹れて、心当たりがあるなら僕から先に謝るのが肝心』
三年と半年前。
ああ、あの頃は、楽しかったなあ。
「あれ……?」
私の目から、涙がとめどなく溢れてくる。
あの頃……?
『クリシュが、厄介な呪いにかかった。放っておけば死に至る。僕は研究を重ね、その呪いを僕に移すことに成功した。解除の研究が実を結ばなければ、一年で僕は死ぬだろう。でも、これで良いんだ。クリシュが死ぬくらいなら、僕が引き受けよう』
三年前。
そうだ。ベルナーは、具合が悪くなって、倒れたんだ。さっきみたいに。
『倒れた僕を見かねて、クリシュが薬を買ってきてくれた。それを飲んだらかなり回復したけれど、クリシュは僕との暮らしの記憶を失ってしまった。買っただろう店の店主を問い詰めたら、薬は愛の記憶が代償だと言う。それなら僕の愛を払うと言ったら、呪われた身体では支払えないと言われた。クソッ!』
二年前。
『呪いにまた徐々に蝕まれて行く。解除する研究は継続中だ。クリシュとは改めて一から結婚生活を育んできた。たとえ忘れられようと、愛があればまた元の二人に戻ることはできるはずだ。研究と記録は彼女を混乱させる。マーサにもクリシュには見せないように伝えた』
一年半前。
思い出してきた。
忘れてはならない日々を。
『また、倒れた。また、クリシュが、薬を買ってきた。また、クリシュが、記憶を、失った。僕に愛されて呼ばれていたせいで、自らの名すら、忘れた。研究に成果はない。しかし、どうにか、どうにかしなければ』
一年前。
思い出した。
かけがえのない、愛するベルナーとの日々を。
『まただ。また倒れてしまって、クリシュが、また薬を買ってきてしまった。ああ、もう耐えられない。どこか遠くで死ぬことに決めた。クリシュには残せるだけのものを残そう。愛のない男だと思ってもらえれば、クリシュも別れが辛くはないだろう。どうか、どうか幸せに』
一昨日。
薬! ベルナーは私が買ってきた薬を飲んでいないのだわ。早く飲ませないと!
「マーサ、薬はどこ! 一昨日私が買ってきたはずよ!」
「あ、ああ……奥様、記憶を取り戻されて……。旦那様が、死ぬつもりだから不要だと、こちらに」
私は瓶を持ってベルナーの元へ急ぐ。
「ベルナー! これを飲んで!」
「……クリシュ。僕を思い出したのか」
「あなたの日記のおかげで、思い出せたの。全てをね。ありがとう、ベルナー。私がかかった呪いと一人で戦ってくれていたのね……」
私はベルナーに薬を飲ませた。
落ち着いたのか、苦悶の表情は消え、静かに寝息を立て始めた。
「マーサ。ベルナーをお願い。私はベルナーを『治す』薬を買いに行くわ」
向かうのは、あの薬屋。
昼間は街の中にあったのに、今は街の外れにあった。
それでも、なぜだか私にはその場所がわかった。
「おや、また来たのか。一年ばかり早いじゃろうて」
この老婆は、知っているのだ。私たちがどんな目にあっているのかを。
「薬を頂戴。知っているでしょう、ベルナーの、私の旦那様の呪いを完全に解く薬を。なんだって払うから、今すぐ頂戴」
私は、それがあることを知っていた。
初めて薬を買ったときのことを思い出したからだ。
「……お前、愛の記憶を売ったのに、記憶が戻ったのかい」
深いシワに隠れた目を大きく見開く老婆。
「ええ。ベルナーの深い愛のおかげでね。私たちは呪いなんかに負けないわ。だから、用意して」
「そんなことが起こるはずがない。どんな奇跡が起きたのじゃ? しかし、薬はまた別。前に言ったろう?」
「その薬は今の私には買えない、だったわね」
「左様じゃ。お前らにかけられた呪いは、単に呪われた者が死ぬ呪いではない」
老婆はカウンターから身を乗り出し、私と目をじっくりと合わせる。
「毎年、どちらかが死にかけ、毎年、せっかく培ったその一年分の愛を代償に、治しきれない弱い薬を買う羽目になる。死ぬまでそれを繰り返すしかない。それが宿命となる悲劇の呪いじゃ」
だから、私は毎年記憶を失って、ベルナーは毎年倒れることになっていたのか。今だったらそれが本当だとわかる。
「この呪いを解くには、五年の愛、真実の愛が必要。だから、長年連れ添った者が最初の一度だけ使える手段となる。三年でも、四年でも、それで賄えるのは弱い薬のみじゃ」
「だから、私では買えないと言ったのね。ベルナーと出会ってまだ三年だったから」
「そう。お前らには死ぬまで救いの道は無い。そのはずであった」
「でも、今は違うわ。今の私にはベルナーと暮らした五年すべてがあるもの!」
「同じ奇跡は二度起こらぬ。それでも、それを、残らず売ることができるか? 一切が消え去るとしても、それを使い切る覚悟が、お前には、あるか?」
老婆は私を値踏みするように眺める。
だけど、私は即答する。
「当たり前よ。それでベルナーが治るのなら、私は命だって売るわ!」
あの人は、私のために命を投げ出そうとしてくれたんだから。
老婆が、机の下からひとつの瓶を取り出す。
「よくぞ言った。その言葉に嘘が無いならば、さあ、この器を持って夫の元へ急ぐが良い」
みれば、それは不思議な模様の描かれた、空の瓶。
「空っぽじゃない!」
「これで良いのじゃ。お前と、相手の愛が真実の愛ならば、満たすことができる」
私はその言葉を信じるしかなかった。
瓶を手に、走って家に戻り、ベルナーの元へ向かう。
と、その前に。
書斎に入り、ベルナーの日記を開く。
「よし」
ちょっとした、イタズラ。
改めて、ベルナーの元へ。
「奥様、それは……」
「わからない。わからないけれど、これでベルナーは治るはずよ」
蓋を開ける。
何もない。何もないのに、渦が見える。
「ベルナー……!」
私はその瓶をベルナーに近づける。
すると、ベルナーから禍々しい黒い霧のようなものが出てきて、瓶に吸い込まれて行く!
「お、奥様……」
マーサの声に自分を見ると、私からは白い霧が出てきて、やはり瓶に吸い込まれて行く。
「マーサ、全てが終わったら、この蓋を閉めてね」
「……わかりました」
マーサは複雑な顔をしている。
また、私が記憶をなくすことを心配しているのだろう。
「大丈夫」
全てを失っても。
ベルナーさえいてくれるのなら。
愛しているわ、ベルナー。
*
朝。
私はどうやら椅子で寝てしまったらしい。
誰かが毛布をかけてくれていた。
「ここは……」
そうだ、私は結婚して、昨日からここで旦那様と住み始めたんだった。
「やあ、おはよう、クリシュ」
「おはようございます」
クリシュ? 誰だっけ。ああ、私か。
それで、旦那様は?
「あれ、すみません……お名前が出てこなくて」
「……ああ、気にしないで。大丈夫。僕はベルナー。ココア、好きだよね。飲むかい?」
そんな顔をしないで、ベルナー。
あれ? なんで私そんなことを?
あれ? なんでココアが好きだってわかるの?
あれ? 日記は?
「日記……」
「日記? なにか、覚えているのかい?」
変なことを聞く旦那様だ。
日記は、大切なものでしょう。
「どれ」
旦那様と、私と、マーサで書斎に入る。
このお部屋、入っていいのね。
旦那様が、日記を開く。
そうそう、それ。大切な日記なのよね。
最初のページから、順に、一緒に眺めていく。
「どうだい、クリシュ。何か、思い出すかい?」
「……いいえ。書かれていること、なんだかおとぎ話みたい」
「クリシュ様! 昨日はこれを読んで全てを思い出せたじゃないですか!」
マーサが大きな声を出す。
そう言われても、私はこの日記、初めて読んだのだけれど。
ついに、日記の最後のページになってしまった。
「これは……! クリシュ……!」
そのページを見た旦那様が、大粒の涙をこぼす。
どうしたんだろう?
私も肩越しに覗く。
一番新しいページの下に、短い走り書きが書かれている。
あれ? 私の、字?
『五年の愛をここに。たとえ忘れても、絶対に思い出すから! ベルナー、愛しています。永遠に』
それは、私が、私にかけた呪いのようなものだった。
絶対に忘れない。絶対に思い出す。
そう、その想いだけを込めて書いたの。
誰が? 私が。
いつ? 今より前の、いつか。
なぜ? 忘れては、いけないから。
絶対に、思い出すから――
「あ、あ……ああ!」
そのことに「気づいた」私の中に、五年分の記憶……愛しいベルナーとの思い出が、濁流のように流れ込んでくる!
楽しかったこと、ケンカしたこと、淹れてくれたココアの味、毛布の暖かさ、ベルナーが倒れてしまった時のこと……そして、昨夜のことも!!
私はクリシュ。
五年前から、ベルナーと夫婦で、ずっと一緒にいた!
はじめは、ベルナーの愛が。
つぎは、私の愛が。
二度起こらぬと言われた奇跡を、起こしたのだ。
「ベルナー、私はクリシュ。そう、あなたの妻よ、五年前からずっと! 愛しているわ、ベルナー!」
「あ、ああ……信じられない。また記憶を取り戻せるなんて。クリシュ、愛しているよ。君は僕の妻で、僕は、僕は……君の夫だ!」
私はベルナーに抱きついた。
ベルナーも固く抱きしめてくれる。
「ありがとう、ベルナー。私を何度も諦めずに愛してくれて」
「いや、僕は弱い男だ。ありがとう、クリシュ。諦めかけた僕を助けてくれて」
「当然よ、私はあなたの妻なのだから!」
私たちは、熱い口づけを交わした。
五年分の、全ての愛をのせて。
お読みいただきありがとうございました。
愛の奇跡を書いてみたくなりました。
お気に召しましたら評価や反応をいただけると嬉しいです。




