捨てられた侯爵令嬢、隣国の皇帝になった幼馴染に拾われる
「ん……? もう朝なの……今日も早く書類仕事を──」
あれ? なんで揺れているの?
ある朝、私──レーナ・ルーベル侯爵令嬢は目が覚めると、馬車の中にいた。
「私、なんで馬車なんかに乗っているの?」
しかもこの馬車は侯爵家の人間が乗るようなものではなかった。座席は布が敷かれているだけの板張りで硬く、壁や天井は焦茶色一色に塗られていて装飾がない。
頭が冴えてくると、私は状況を確認しようと壁と同じ焦茶色のカーテンを開けようと窓に手を伸ばす。その時、向かいの座席に一枚の書面が置いてあるのが目に入った。
「あれは……」
一枚の紙切れを手に取り、内容に目を通す。その瞬間、私は頭の中が真っ白になった。
「私が……国外追放?」
書かれていた内容は、
「レーナ・ルーベル。貴様は雑事をこなすことしかできない無能だ。そのような地味でつまらない女など、俺の婚約者として、ましてや我がカナリーズ王国の妃としてふさわしくない。よって貴様との婚約を破棄し、国家反逆罪という形で国外追放とした」
というもので、署名には私の婚約者──いや、元婚約者のカナリーズ王国第一王子アルス・フォン・カナリーズとあった。
今は国王が体調を崩し、実質的な国のトップはアルスだ。確かに彼ならば、私の罪をでっち上げることも容易だろう。
そして、紙切れの内容は追伸へと続く。
「貴様の向かう先は、今帝位争いで紛争の絶えないオルトロス帝国だ。精々頑張って生き残れ。まあ、貴様のようなひ弱な女が生き残れるとは思わないがな」
帝国……テオ、無事だといいな……。
紙面を読み終え、私は馬車のカーテンを開ける。すると少し先に、帝国との国境にある門が見えた。
「ついたぞ」
御者の鋭い声に、私はゆっくりと馬車から降りる。そして私は、御者の兵士が国境管理者に手続きを終えるまで、清々しいほどの青空を見上げて待った。
私は国のために尽くしてきたのに……。
「でもこれで、起きてから寝るまでずっと働き続けなくてもいいのね……」
私は力無く微笑み、濃いクマのできた目元から涙を流した。
***
「終戦だー!」
「テオ様の勝利だー!」
レーナが国境にいたのと同時刻。オルトロス帝国帝都では、帝位争いの終戦に多くの民や兵士が歓声を上げていた。
「やりましたねテオ様! これでオルトロス帝国はあなたのものです!」
「ああそうだな。ジルク、今まで俺を支えてくれてありがとう」
執事風の格好をしているジルクに礼を言ったのは、汚れた赤の軍服を身に纏う茶髪の好青年──テオ。彼は平民の出でありながら多くの臣下を従え、帝国での帝位争いに勝利した。
実力主義を謳う帝国では帝位争いへの参加条件に身分は含まれず、過去にも何人かの平民出身者が帝位争いに参加している。だが、帝国四百年の歴史の中で帝位争いに勝利した平民はテオが初めてだったのだ。
「テオ様。皆がテオ様のお言葉を待っておられます」
「そうだな」
テオは恵まれた剣才と努力、そして何より、関わった者を皆魅了する生き様──つまりは人柄の良さからくる人望の厚さによって、平民からの帝位獲得という歴史的快挙を達成したのだ。
テオは宮廷のテラスから身を乗り出すようにして、声を張り上げた。
「みんなよくやってくれた! こうして勝利できたのもみんなのおかげだ。だから今日は好きなだけ食え、好きなだけ飲め。今日だけは俺が奢ってやる!」
ニッ、と、無邪気な少年のように笑うテオ。そんな彼に、兵士たちは大爆笑を返した。
「「「アハハハハッ!」」」
「テオ様、戦場が帝都になる前に民衆をみんな避難させちまっただろっ!」
「店なんてどこもやってねぇよぉ!」
「そう言えばそうだったなっ! じゃあとにかく、今日はゆっくり休め。奢りはまた今度なっ?」
テオ頭をかきながら、悪い悪いと照れ笑いを浮かべ、宮廷の中に戻る。それから、グッと拳を握りしめた。
「これでようやく、レーナとの約束を果たしに行けるな」
勝利の歓声がこだまする帝都でテオは一人、幼い頃の約束を思い出していた。
***
「あなた、どうしたの?」
八年前。テオもレーナもまだ十歳だった頃。レーナはルーベル侯爵邸の門の横で地面に蹲っていたテオに話しかけた。
「おまえは誰だ! ルーベル侯爵家のやつか?」
警戒するテオ。対してレーナは、自分のワンピースが汚れるのも構わず、テオと目線を合わせるために地面に座り込んで頷いた。
「そうよ。私はレーナ。あなたは?」
「俺はテオだよ! どうせおまえも俺を笑いに来たんだろ! ルーベル侯爵家私兵団に入隊するにはガキ過ぎるって」
「そんなことないわ。……もしよかったら、何があったのか教えてくれないかしら?」
激昂するテオの話を聞くと、どうやらテオはルーベル侯爵家の私兵団への入隊試験を受けに来たらしい。だが年齢が足りず、試験官の兵士に門前払いされたようだった。
「そうなの……」
「ああ。ここの連中はみんな歳でしか俺を見ない」
そう言ってテオは、不貞腐れた視線を遠くに向ける。その様子を見て、レーナは何か思いついたように手を叩いた。
「ねえ。それならテオの剣、私に見せてくれない? 私、ずっと家でお勉強とお稽古ばっかりだったから、そういうの見てみたいの」
「ええっ……!?」
テオはあからさまに顔を顰めると、頭の後ろをかいて、「しょうがないなぁ」と言って立ち上がり、剣を抜いた。
「一回だけだからな」
「うん!」
レーナが頷くと、テオは纏っている空気を一気に引き締め、重心を下げた。そして鋭い視線を、ちょうど落ちてきた木の葉に向ける。
「はあぁっ!」
スパンッ!
テオは目に見えない速度で剣を振り、見事に木の葉を真っ二つにしたのだった。
「すごいすごい! 剣ってこんなにすごいんだ! 私知らなかった!」
「まあ、こんなもんだ……」
レーナが飛び跳ねながらテオの剣戟を褒めちぎる。するとテオは、頬を赤くして目を逸らした。
それからレーナはテオに屋敷の抜け道を教えた。そうして二人はこっそりと、毎日会うようになった。
***
レーナとテオが十四歳になった頃、レーナが王立学園の寮に行くことをテオに告げた。
「じゃあもうレーナとは会えないのか?」
「そうなるわね……」
「そうか……」
露骨に肩を落とすテオに、レーナはかける言葉を見つけられない。そうして二人はしばらくの間、重苦しい沈黙に包まれた。
この頃、レーナはすでにアルス第一王子の婚約者として膨大な量の事務仕事を押し付けられていた。そのことをテオも知っていて、日に日にやつれていくレーナを見て心を痛めていたのだ。
同時に、レーナの境遇をどうすることもできない自分自身の無力さを痛感していたテオ。彼はこの時、あることを決意した。
「レーナ」
ふいに、テオがガバッと顔を上げる。そしてレーナの碧眼を真っ直ぐに見つめ、彼は決意を口にした。
「俺は帝国に行く。そして必ず帝位をもぎ取って、レーナを迎えにくるから! だから待っててくれ」
***
どのくらい歩いただろう。私は帝国の領地に足を踏み入れてから丸二日。飲み物も食べ物もなく街道を歩き続けていた。
「また、廃村……」
戦火に焼かれ、家屋が倒壊した村を見かけるのはこれで四つ目だ。私はまだ、帝国に入ってから一度も人と会っていなかった。
「えっ……」
ふいに、視界が揺れた。
「……っ。ハァ……ハァ……」
よろける足を気力で動かし、転ばないようなんとか持ち堪えた私は、また街道を歩き始めた。
気を抜くと今にも倒れそうになる。原因は明白──王国での日々の激務により蓄積した疲労と、二日間何も口にせずに歩き続けたことだろう。
そのせいだろうか。街道の先から、帝国の旗を立てた馬車と、何百頭にも及ぶ騎馬の群れが見えるのは。
私、もう幻覚まで見始めてるの? 今、帝国は帝位争いの最中なのだから、こんなところに軍隊がいるわけないじゃない……。
「でも、もういいかも……しれないわね」
国を支える事務仕事をしていた頃と違い、今私が死んでも誰にも迷惑がかからない。
六年間もの間、休む暇もなく働き続けた私は、とうに生きる気力など失っていた。
目を閉じ、ゆっくりと足の力を抜くと、心地よい浮遊感に包まれる。けれど次に来るはずの、地面にぶつかる衝撃は来なかった。
「レーナ!」
ドンッ! と力強く地面を蹴る音と共に、温かな手が、倒れていく私の体を抱きしめた。
「レーナ! レーナ目を開けてくれ!」
「んん……」
「レーナ……よかった……生きてる!」
目を開けるとそこにあったのは、逞しく、けれど幼い頃の面影を残す、テオの顔。行き着く暇もない王国の激務の中でも時折脳裏に浮かんだ、ずっと会いたかった人の顔が、互いの息遣いを感じられる距離にあった。
「テ……オ……?」
「そうだテオだ! ……レーナ。だいぶ遅くなってしまったが、あの時の約束、果たしたぞ!」
「うん……。テオ。私を迎えに来てくれてありがとうね」
私は、込み上げてくる涙を止めることなどできず、テオの腕の中で六年分の涙を流した。
***
あれからレーナは治療を受け、テオに連れられて宮廷に行った。それからテオはレーナを妃として宮廷に迎え入れた。
妃となったレーナは、十分な休息を取りつつ皇帝となったテオを支え、二人は帝国建国以来のおしどり夫婦として広く民に知れ渡ることとなる。
一方、カナリーズ王国では、レーナを追放して三日と経たない内に異変が起き始めていた。
「どういうことだ! なぜ誰もいないのだ!」
レーナを追放した張本人──アルス第一王子は、定例議会を行うはずだった部屋で、顔を真っ赤にして叫んだ。有力貴族が多数集まるはずの定例議会だというのに、時間を過ぎても誰一人として部屋には来なかったからだ。
「殿下。申し上げにくいのですが、こちらが届いておりました」
「寄越せ!」
侍女が差し出した手紙をひったくり、アルスは乱暴に封筒をこじ開けた。手紙に書いてあったのはたった一言だけ。
「レーナ様が居なくなられたのであれば、我々がアルス殿下に従う理由はございません」
「なぜここでレーナの名が出てくるのだ! あいつは誰にでもできる簡単な雑事しかいていなかったではないか!」
顔を真っ赤にし、激情のままに手紙を引きちぎるアルス。そんな彼に、侍女は恐る恐る卓上に置かれた封書入れを示した。
「で、殿下。……実はあちらにも──」
「なんだと!」
侍女を押し除けて、アルスは封書入れを漁る。封書の差出人は、古くから王家と付き合いのある大手の商人や教会、多くの前途有望な人物を王城勤務に排出する学園まで様々。
そのどれもが王国にとって絶対に手放したくない伝手だった。が、封書の内容はどれも
「レーナ様が居なくなられたのならば王家との付き合いを取りやめる」
だの
「アルス様にはついていけません」
だの
「レーナ様ほどの有望な方を易々と手放すアルス様に、我が校の卒業生は預けられません」
と言った、レーナを国外追放したアルスに対する罵倒と、縁切りの宣告だった。
「バカな……ふざけるなよ! ……あんな女一人国外追放した程度でどうしてこうなる!」
ドンッと思い切り机を叩くアルスに、声をかけるものはいなかった。
それから王国は、アルスの狂ったような政治に振り回されることとなる。そして当然、一切の支えを無くした王国が滅びるのに、そう長くはかからなかった。
こうして、アルスの名は最悪の愚王として歴史に刻まれることとなった。
誤字報告ありがとうございます!
「試験管」→「試験官」
直しました。
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